第54話葵という人間(朱明視点)

 取り敢えず試してみるか。




 安らかな寝息を立てて眠る葵を横目で見下ろし、魔力を掌に乗せた。下位の魔の排除と同様の規模の魔力を、その無防備な寝顔に叩きつける。




「ハッ、この距離で外すなど」




 葵の寝ている周りは焦げて煙が立ったが、それすらも弱すぎる威力だ。自分の攻撃とは思えない弱々しさにイライラする。


 しかも音すら抑えられていて、葵は全く起きる気配もない。




 続けて3発ほどお見舞いするが、面白いように当たらない。




「う……………ん」




 モゾリと身動ぎした葵だったが、再びスウスウと寝息を立て始める。こちらは全力を出して息まで切らしているというのに、その平和な様子は神経を逆撫でしまくった。


 ガッとその首を手で掴む。へし折るつもりだったのに、実際は壊れ物を扱うような触れ方になってしまった。


 だが跨いだことで体重が掛かり、葵が小さく呻いた。




 ダメか。予想はしていたが、どれほど魔力を放っても物理的に攻撃しようとしても、寸前で身体が勝手に攻撃を弱めたり逸らしたりするように動いてしまうらしい。それはそれで契約術の強制力と自らの器用さに感心する。




 ただ一つ収穫はあった。


 葵の喉元を撫でて確かめる。


 この人間は人の世でも珍しい存在の為、生い立ちから家族構成や趣味嗜好まで容易に調べることができた。成人に近い年齢だとも知れているが、それにしては身体の線が頼りない。人も高位の魔も性別の特徴は同じだというのに、葵には喉骨の出っ張りは見当たらないし、筋肉の付き方も違う。




 葵は、女だ。


 どうせ家の跡を継ぐ為とか些細な人間の道理で偽っているのだろう。




 襟の合わせから覗く鎖骨の間へと視線を下げる。簡単なことだ、服の中に手を滑らせれば、はっきりと…………




 ゆっくりと葵の目蓋が開いた。




「っ!」




 咄嗟にその顔に魔力を放ち、直後に霧散するのを見るや拳を振り上げてみた。空振りに終わるのは分かっていたが。




「もう気が済んだ?僕さ、あんまり機嫌良くないし、いい加減重いし、どいてくれる?」


「きさ…………………おまっ、クソッ」




 鬱陶しげに言われた命令に、身体が考えるより先に動いてしまう。葵から離れ、何か言われる前に向こうの世に戻るつもりで次元を開く。




 女か確かめる為に肌に触れようとしただけだ。疚しい気持ちなど露ほども無いのに、誤魔化すような真似をしてしまった。


 こいつといると調子が狂う。




「待て、そこに直れ」




 やはりか。


 呼び止められて屈辱的にも正座を強いられる。ギリギリと歯噛みしていたら、半身を起こした葵が寝具で胸元を意図的に隠したのに気付いてしまった。




「………………………」


「何か言いたげだね?」




 ついまじまじと葵の顔を観察するように見てしまい、問われて目を逸らす。


 その後は部屋の修復と菓子の調達といった小間使いのような辱しめを受けた。




「……………神久地家。魔を操る能力者の家系だそうだな」


「調べでもしたの?そう、僕は神久地家12代目にあたる」




 俺は仕方なく菓子を口にしながら探りを入れると、『彼女』はすんなりと肯定した。


 唇に付いた餅をペロリと舐めとる赤い舌を、つい目で追ってしまい舌打ちをする。餡の甘ったるさが口の中に残っていて、葵の手中で転がされる身が悔しくてたまらない。菓子の包み紙を、ささやかな抵抗と殺意で投げ付けてみれば不自然に跳ね返ってきた。




「おまえ、その血に魔が混じっているのか?その力は人間が持つようなものではない」


「僕は人間だ。血がどうでも、姿も中身も人間なんだよ」




 魔の部分があることを認めたくないのか。ムッとなって言い返す様子に、少しだけ溜飲が下がる。




「ムキになったな、それが一つ弱点か」


「何?」


「契約術で俺を服従させたと思い上がるな。おまえの弱味を握って、その内こちらから術を解くように仕向けたらいい。これからじっくり観察してやる。おまえが何が苦手か嫌いか苦痛を感じるか。偉そうにしているのも今のうちだ。すぐに俺に平伏して涙を流して赦しを乞うことになるだろう。だが赦しはしないし簡単には死なせやしない。術が解けたら自分から死にたくなるような苦痛を最大限に与えてやろう」




 この娘が性別を偽っていることは、しばらく知らないふりをしておこう。それが葵の弱みのもう一つだとすれば、今後何かの時にこちらが優位に立てる切り札になるかもしれない。




 そう考えてせせら笑っていたら、俺の言葉通りのことを性根の幼稚な葵はこちらへ返してきた。


 永遠に闇に葬り去りたい記憶とは、こういうものだろう。

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