第44話属する世界

「脱げ」




 私が命じると今までに見たことのないポカンとした表情を浮かべた。この男でもこんな顔をするのかと興味深げに見つめていたら、目を伏せ気味にスルスルと袖を抜いて上衣を脱いで椅子に掛けた。




 そういえば、こうして高位の魔の肌をじっくり見たのは初めてだ。


 裸の上半身は、均整が取れて程良く筋肉が付いて締まっていた。


 背には人為らざる黒き翼が備わっているが、それが彼の美しさを際立たせる一つとなっている。下位の魔とは全く違う生き物なのだと改めて思う。




「き、綺麗だ」


「男に言うことか?」




 彼は微妙な顔をして意見するが、なるほど色気とはこういうものを言うのだな。


 目に映しているだけで胸がドキドキして変な気分だ。




 どんな感触なのか触ってみたい。それにあの肌は暖かそうだ…………抱かれてみたい。


 ジロジロ見すぎたようで、朱明はそんな私の視線にフッと息を漏らして笑った。




「気になるのか?」


「君は何を言っている」




 なんてはしたないことを思ったのだ私は。




「ほ、ほら傷を見せて」




 カアッと紅潮する頬を見られないように慌てて命じると、寝台に座った朱明が私に後ろを見せた。下位の魔に襲われた傷は手足や背中に及んでいたが、布で拭くと既に血は止まっていた。




「痛くない?」


「別に放っておいてもじきに治る」




 他の者が用意してくれた塗り薬を指に付け、傷口に塗り込む。




「こんなに怪我をして」


「従魔が主を守るのは普通だろう」




 私なんかの為にと申し訳ない気持ちが湧く。


 肩の傷を手当てして、その手を傷の無い腕に滑らせた。




「君は、私が主で無ければ守らなかったの?」


「……………分かっている癖に」




 そう呟き、朱明が私の手を掴んだ。そのまま引っ張られて寝台にあえなく転がされる。見下ろされる形となって、私は視線を敷き布に泳がせた。




 本当の私は、朱明に身を挺して守られることに愉悦を感じている。もっと私を見て、私の為に身も心も捧げて、私で頭の中をいっぱいにして、私の為だけに生きて死んで欲しい。


 そんなどうしようもない女の私に、私は恐怖する。


 制御できない感情で、私は醜くはしたない女に成り下がってしまいそうだ。朱明にそんな姿を見せなくない。




 足首に触れられて我に帰れば、こちらを見たまま彼が裾を上げようとしていた。




「朱、明?!」


「やはり痣になっている」




 私は今、水羽が良く着ていた『ワンピース』という軽やかな衣装を纏っている。一度は着てみたいと思っていたものだったが、動きやすい代わりに簡単に捲れ易く脚が見えてしまう。




 脛まで捲り、じっくりと脚を観察する上半身裸の朱明を奇妙な絵面だと頭の片隅で思いつつ、裾を必死に押さえる。




「み、見るな」


「痛いか?手に痕はないな」




 脚には魔に巻き付かれた痕が赤くなって残っていた。正直、まだあの気持ち悪いベタつきも残っているように思えて、朱明の傷が無ければ直ぐにでも身体を清めたい気分だった。


 そんな気持ちを知ってか知らずか、朱明が痕を布で拭う。




「自分でできる」


「消毒してやる」


「あ、あ………」




 内腿に唇を押し当てられて、半身を起こしていた私は息を呑む。裾をずり上げながら柔らかな感触が少しずつ上へ上へと移動していく。卑猥なはずなのに、まるで神の指にでも接吻しているかのように恭しく厳かに思えて、私は彼の唇の行く末を見送っていた。


 いつしか寝台に倒れるようにして唇を耐えていたら、大きな手が太腿を辿り、彼の吐息をあらぬ部分に受けてビクリと身体が跳ねた。ようやく私は息も絶え絶えに声を絞り出した。




「は、んん…………それ以上は、や、やめろ」




 顔を覆って言えば、簡単に払い除けられて唇を塞がれてしまう。




「………………契約術は、いつ解いてくれるんだ?」




 そうして一度唇を離し、私の伸びてきた髪を弄りながら問う。言外に求められているのだと知っていたが、甘やかな熱はゆっくりと冷えてきた。




「私の願いを一つ聞いてくれたら、その時は……………」




 予想していたとばかりに、嫌そうに溜め息をつかれた。




「心残りがあるから、ちゃんとけじめをつけたいんだ」


「あんな世が気になるのか?」


「うん、私が生まれ育んでくれた世だから。どんな世でも私の生きていた大事な場所なんだ」




 そのまま忘れたようなふりはできない。




「命令ではなく、お願いなのだな」


「うん」




 宥めるように彼の髪を掬い、毛先に口付ける。


 やや間があって「分かった」と重たげに了承が下されて、心の中でこれでいいのだと唱えた。




「お邪魔しまーす」




 控えめに扉を外から叩かれて翠珀の声がする。




「分かっているなら何処かへ行け」


「えー、俺達ばかり片付けでイチャコラとかムカつく。王様手伝え」




 相変わらずな翠珀に笑いを溢したら、苛立ちながらも朱明は身を起こした。


 あんなにいた下位の魔は姿を消している。森の奥や洞窟の奥、湖の底或いは家の床下や宵闇の片隅に彼等は潜むことを朱明によって許された。




「面倒なことを押し付けたな」


「適任だと思うよ」




 応えれば、名残惜しげに私の頬にそっと指を掠め、彼は背を向けて部屋を後にする。




 昔は、なぜ自分以外へ従わせるような術があるのか分からなかった。だが色々明るみになって、初めて光紫の本意なのだと理解できた。




 この術は、光紫が朱明の母親へ贈るはずだったものだ。皮肉にも彼女に全てを任せるほどに信じていたのだと、この術の存在が物語っている。だから朱明に渡せて私は満足だった。これが正解だと思ったからだ。




 この世が必要とするのは、私ではなく朱明なのだから。




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