第45話属する世界2

 夜の雑踏の中を、深く被着で顔を隠した私はいた。提灯の連なる通りを行き交う人の波を立ち止まり見ていた。




 朱明に連れられ人の世に立っているというのに、鏡を覗きこんだような隔たりを感じるのはどうしてだろう。星比古の刀を受けた時の着物を纏い、以前と同じように紛れているはずなのに、弾き出された石のような心持ちがしている。




「………………葵、帰るか?」




 私にしか見えない彼が早々に問うが、私はやんわりと首を振った。




「もう少し…………これが最後だから」




 淋しそうに聴こえたらしく、朱明は私の手を捕まえた。


 いつの間にこんなに涼しくなったのか。あんなに暑苦しかった夏は、私の知らない間に去っていったらしい。頬を擽る髪を耳に掛ける。




「ここは良く立ち寄ったな」




 仕事と称して水羽と町中に出歩くことも多かった私は、二人で立ち寄ったことのある食事処の暖簾を見て通り過ぎた。すると行き交う人の中に兵が数人いて聞き込みをしているような光景が目に入った。




 気になって様子を窺っていたら、こちらに気付いた兵が一人歩いてきた。




「そこの者、人を捜している」


「…………………はい」




 つい半歩後ずさったが、逃げて怪しまれたくはない。


 中年の兵は特に気にした様子もなく、尋ね慣れしているようで淡々と用件を告げる。




「娘を捜している。歳は18で顔立ちは整っている。髪は短く、もしかしたら男のなりをしているかもしれぬ。腹に怪我をしているはずだが、何処かで見かけなかったか?」


「…………………あの、失礼ですがどなたが捜していらっしゃるので?」




 努めて声を抑えて聞けば、兵は私の顔を覗き込むようにしながら答えた。




「その娘、さる高貴な御方の許嫁だそうでな。その方や娘の父親である御方が一月以上ずっと捜しておられる」


「そうですか。申し訳ありませんが私は存じません」


「そうか」




 特に残念がることもなく兵が立ち去るのを眺めてから、その場を早足で立ち去る。


 あの兵達は恐らく星比古の私兵だ。まだ捜してくれているとは思わなかった。死んでいると諦めているかと思ったのに。




「何処へ行く気だ」




 手をグイッと引かれて、暗い川縁で私は立ち止まった。私以外辺りにいないのをいいことに朱明が姿を現した。




「家には帰らせないと言っただろう」


「分かっているよ」




 柳の垂れた葉がゆらゆらと風に流れている。沈黙して、それを眺めていたら背中を抱かれる。




「葵、別れはすんだ。俺と来い」


「…………………………そうだね。ところで朱明、君は契約術の解術について何か知っているの?」


「どういう意味だ?」




 そっと彼の腕に手を触れる。彼と出会った最初、まさかこんな風に自分が囚われるとは思いもしなかった。




「ねえ朱明、ここで契約を終わりにしようか」




 腕を抜けて彼と向かい合った。被着を落として微笑む私に、朱明は眉根を寄せつつ頬に触れようとする。




「なぜそんな泣きそうな顔をする?」




 泣きそう?何を言っている?私は笑っているというのに。




「動くな、朱明」




 目に力を込めて強く命じた。




「言葉を発することも禁じる、絶対だ」




 少しだけの間だから。




 冷たく言ったはずなのに、私へと向けられた視線には怒りはなかった。訳がわからないと言った表情に、微かに警戒が浮かんでいる。




「………………私は、夢を見たんだよ。美しい魔に出逢って女として生きる夢を。とても幸せな夢を…………」




 神久地家で従魔との契約を解除した者は今まで私の知る中ではいない。どちらかが死ぬまで共にいるのが常だった。


 解術法は存在する。代々の当主がそれを実行しなかったのには理由がある。


 もし普通に解術すれば、信頼関係無く強制された主従関係だった場合、主だった者は従魔だった者に報復として殺される危険がある。だから仕掛けを組み込んでいるのだ。光紫は子孫を守る為に狡猾な程に用意周到だった。




 朱明が契約術に抗う術を知っていたのは、彼の母の知識だと推測できる。だが口伝で受け継がれた女王の仕掛けは知らなくて当然だ。子孫にしか知らされていないのだから。




 解術すれば、従魔は忘れる。契約を強いたその日からのこと。主だった者のこと。泡沫の夢のように、彼らからしたら些細な日々のことを。


 信頼し合った者同士なら尚更だ。だから私の母の記憶を持っていた水羽は、初めから契約術を交わしていなかったはずだ。忘れたくない相手と誰が好んで解術するだろう。




「人は人の世で。魔は魔の世で。私と君は属する世界が違う。私が生きる場所はここしかない。」




 朱明を必要とする世で、私の存在はいらない。




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