第19話水羽3

「君にお礼を言わなきゃね」と、私は笑った。




「朱明、手出しせずにいてくれてありがとう。本当は君、凄く強いんだろ?なのに僕に任せてくれたのは分かっていたよ。水羽は僕の家族だから自分の手で葬り……………」




 頬にあった手が最後まで言わせずに、するりと私の口を塞いだ。


 朱明が意地悪げに笑う。




「泣かせてやろうか?」


「ふ、う?」




 何を言っているんだ?




「おまえの澄ました顔が、涙でぐしゃぐしゃになるのを見てみたい」


「ふあ?!」


「俺が従順でいると図に乗るなよ。いつも偉そうにしやがって」




 どうするつもりかと身構える私を、朱明は笑いを引っ込めて見つめる。




「昔……………姉妹の魔がいたのだが、姉は人間と契って子をもうけたそうだ。姉と仲の良かった妹は、他の魔から子供を守って死んだ姉に代ってその子を見守っていた。そして、代々姉の子の血筋を手助けし、時にはその時の当主の従魔として仕えていた」




 手を口から離されても、私は直ぐに言葉が出なかった。


 今この時に誰のことを言っているかなんて、さすがに私でも分かる。




「なぜ水羽は………………」




 そんなこと教えてくれなかった。彼女は優しいから、私が気負うと思ったのか。


 ずっとずっと、私や母がいる前から見守ってくれていたというのか。




「本当に、家族だったのか」




「言っておくが、あの魔は見た目と違って俺よりもかなり長く生きていた。近い内に寿命を迎えていたのが少しばかり早まったに過ぎない」




 そう言う朱明をぼんやりと見上げていたら、顔を近付けられて頬に何かが触れた。生温かいものが下から上へと動いて離れた。




「自分の家族に送ってもらったのだ。あの魔は、満足してる」




 自らの舌を指でなぞる朱明の仕草に、慌てて頬に手をやる。そこでようやく自分が泣いていることに気付いた。




「泣いたな」




 確かめるように言われて、ガバッと身を起こし顔を彼から背ける。視線を感じて頬に熱が溜まってしまう。


 私を泣かせたいから、こんな話をしたのか。からかっているのだろうか、それとも彼なりに慰めているのだろうか。


 いや、そもそも主の顔を舐めるとは何を考えているのか。




「葵、こっちを向け」




 ぐるぐると色んな思いが混乱した頭を巡っていたら、強引に顎を掴まれて顔の向きを変えられそうになる。朱明が近くて、吐息を耳に感じた。スッと通った高い鼻筋が私のこめかみを掠めた。




「………………朱明、僕に背中を向けろ」


「は?」




 拍子抜けしたような声を上げたが、彼は命じられた通りに動いた。


 舌打ちしながらこちらへ向けた広い背を見て、コツンと頭を預ける。




「ふ…………………う……………」




 凭れて目を瞑ると、急に嗚咽が漏れた。背中の服を小さく掴んで涙で濡らしていくが、朱明は抗議はしなかった。ただ大人しく背を貸してくれている。


 次第に制御できなくなる泣き声を聴かれたくなくて、私はとうとう彼の腹に手を回して、顔を押し付けるようにした。


 きっと涙が乾いたら彼の背中は塩まみれになっているだろう。




「…………………暑苦しい」




 庭の隅へと顔を向けたまま、朱明はそう呟くと腹に回った私の手を強めに握ってきた。




「しゅ……………朱明、ぐすっ」


「どうした?」


「あとで、ひっく、氷を出せ……………うう、かき氷食べたい、から」




 はあ、と溜め息をついた朱明は、しばらく沈黙したまま蝉の鳴き声と私の押し殺した泣き声を聴いていたようだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る