第18話水羽2

『おのれ我の糧を!』




 水羽の姿の魔が悔しそうに唸る。暴れようとしているようだが、動くことはできない。




「観念しろ」




 やがて悟ったのか項垂れて大人しくなった魔を見て、朱明へと命じようと口を開きかけたら、泣き声が響いた。




『葵、お願いやめて!私を殺さないでえ!』




 ポロポロと涙を流して訴えかけてくる。




「………………水羽」


『助けて!私は水羽よ、あなたの知っている水羽だから、助けて!』




 水羽が怯えた様子で懸命に私を見ていた。




『お願い、私達親友でしょう?』




 指を鳴らせば、私の術が解けて水羽がふらりと膝をついた。




『葵、わかってくれたの?………………ねえ、こっちに来て』




 流・暢・な・言葉を紡ぎ、水羽が嬉しそうに手招きする。




「……………水羽の傍へ」


「おまえ馬鹿か、あれは」


「口を閉じて。さあ行って」




 容赦なく命じると、探るように目を細めて私を窺いながらも、術のせいで朱明は水羽へとゆっくりと近付いていった。




『葵、葵』




 打って変わった笑顔の水羽を正面に見据える。


 抱えられたまま、そっと右手を彼女へと差し出した。




『かあっ』




 水羽が大きく口を開けて、そこから魔が飛びかかってきた。


 私の口の手前で朱明の片手が瞬時にそれを捕まえ、それが握り潰されながら灼かれていく。


 彼の片腕に座る形で抱え直された私は、それを横目に水羽の心臓に指先をトンと触れさせた。




「自滅せよスヴァラレア」




 左手で朱明の首に掴まりながら、伸ばしていた右手を下ろした時、水羽は胸を押さえて驚愕の眼差しを私に向けたままよろめいた。


 倒れかけた彼女の身体が塵となり空気に溶けて始めた。




「大好きだったよ」




 下半身が無くなり、体内に隠れていたもう一体も道連れにボロボロと崩れた端から上半身も失われ、小さな手が月を掴むように宙に伸ばした先から消えていく。最後に顔も消えかけた時、水羽は受け入れるように目を閉じた。




「僕は君のこと、家族だと思っていたよ。ありがとう水羽」




 餞別の言葉を手向け、堪えられなくなった私は朱明の胸へと顔を押し付けた。








 *************************************************




「………………………暑い」




 開け放した引き戸に凭れて縁側で涼んでいた。


 盛夏。


 蝉の声が暑さを引き立てるように耳に入り、うだる暑さに自分も溶けるようだった。




「何て格好だ」




 背後から掛かった声にも、振り向いてやる気力はない。




「だって暑いんだ」




 膝上まで裾を捲って桶に張った水に脚を突っ込み、襟口をさらしが見えないぎりぎりで寛げた状態の私はだらんとして応えた。引き戸の陰になった部分が少しだけひんやりしているのを見つけて、脚は水で冷やしたままで縁側に上半身を寝そべらせる。




「君だって、暑いものは暑いだろ?」




 隣に座る気配に、ごろんと寝返りを打てば案外近くにいた朱明は、黒い袖の無い衣装に黒い手袋という最初よりもかなり軽装になっていた。




「暑さぐらい調節しようと思えばできる、魔力で」


「いいね、羨ましい」




 ツルツルの縁側の板に頬擦りしながら言えば、呆れたように鼻で笑われる。




「俺を従わせているおまえが言うな。魔を指先と言葉だけで殺せるおまえがな」


「ああ、まあちょっとだけでも触れないとできないけどね」




 水羽を消したあの後、私は疲れて直ぐに眠ってしまったのだ。


 目が覚めたのは丸々一日経ってからだったが、私はまだ朱明に抱っこされていて、疲れた顔で私の部屋の壁に凭れて座り込んでいた彼を見上げてふと思い出したのだった。




「あの時はごめんね。僕がいいと言うまで抱えてろって命じたままだったの忘れてたよ」




 その時は、鈴音や使用人達は朱明を怖がって戸口の隙間から覗くばかりだったし、父上や見舞いに来た星比古はなぜか機嫌が悪くて微妙な緊張感を醸し出していたものだ。




「クソ、見せ物か」




 頭に彼の手の平が乗っかり、腹いせとばかりに重心が掛けられる…………ようなことは、できなかった。




「ああ、君の手は冷たくて気持ちいいな」




 ほわああ、と彼の手を自らの頬に押し付けて涼しさを堪能する。




「………………でも僕は万能じゃない。水羽を殺せても、元のあの子に戻すことはできなかった」




 影が差して、私は顔を仰向けた。




「…………………………」


「なに?」




 私を囲うようにして見下ろした朱明が、しばらく観察するように見つめていたが「平気なふりをしてるのか」と呟いた。




「え、ふりじゃないから」




 言ってる意味は直ぐに分かった。


 あれから三日。


 私が水羽を殺したところは大勢の人間が目撃していた。私自身、あれほどの人数の前で術を行使して見せたのは初めてだったこともあり、目撃した人々によって忽ちの内にこの事件のことは噂として広がっていった。


 純粋な称賛もあったが、やはり私の血筋に言及するものが多かった。


 報告と女御の容態を確認する為に内裏に上がった私の耳に入ったものでよく耳にしたのは『神久地葵は、人の血が通っていない。長年共にいた魔を躊躇いもなく殺して涼しい顔をしている。あの気味悪い力といい、やはり奴も魔だったのだ』といったもの。




 磨きあげられた板に映るのは、いつも通りの感情の分かりにくい顔をした自分だ。




「…………………誤解しないでよね、僕は水羽を殺せてホッとしたんだ。あの子があの子じゃなくなるのは嫌だったから…………だから、悲しい気持ちは湧かない」






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