第17話水羽

『みつけた、みつけた』




 ひひひ、と可愛らしい外見とは似ても似つかない下卑た男の笑い声が小さな口から漏れ出た。




『三の奴はどうした、なんぞ消えちまったか』




 水羽から吸いとった力で言葉を手に入れたらしい。彼女の姿の魔が、踊るようにくるくると宙で回る。




『そこの美童よ。この魔の記憶によると、おまえ面白い力を持っているそうじゃのう。さすれば我が憑いて存分に奮えば無敵じゃ』




 年寄りのような言い回しをする魔の視線の先を追い、一応朱明の肩越しに後ろを振り返るとそれらしき者はいなかった。




「………………美童とは、まさか僕のことか。やめろその呼び方。僕に男色の気はないからな」




 はあ、と真上から溜め息が降ってくるが朱明に誤解させていただろうか。その呼び方は男に可愛がられる男の子を連想させるので、あの魔が単純なお世辞で言っていたとしても喜べない。そもそもあの水羽の口からそんな言葉聞きたくなかった。




「葵!」




 警護部の者達の間から聞き慣れた声がして、星比古が人垣を掻き分けて現れた。




「無事か葵?!身体はもう平気なのか?」


「星比古様、ご迷惑をお掛けしました。でももう大丈夫です。女御様のこと……………魔を仕損じ申し訳ありません」


「何を言う。私こそ近くにいたのに守れもせず、すまない」


「そんなこと」




 皇子に謝られたことに少々驚いて首を振るう私から、朱明へと目線を移した星比古が眉を顰めた。




「葵、何がどうなってる?」


「一応弁解させて下さい。力が入らないので抱えられていますが、僕は男に興味はありません」


「そ、そうか。葵、では私がそなたを抱えようか」




 微妙な顔をした後で、手を差し出す星比古に再び首を振る。




「私の従魔がいますのでお構い無く。代わりに皆をここから退かせて下さい。あの子の狙いはどうやら私のようなので」 


「しかし、あの魔は葵の魔だった者だろう?」


「そうです、だから下がってください。あの子は私が送ります」


「…………………わかった」




 察したらしい神妙な顔で星比古が「下がれ」と命じると、警護部の隼人様が無言で水羽から距離を取った。




「朱明、結界」




 視線を投げただけだった。ブォンと空気が震え、私達の背後に透明な膜が瞬時に張られる。


 それを見て、この魔は私が思っていたよりも強いのだと改めて認識した。考えれば、私の体内から魔を取り除いた時も難しそうではなかった。




「……………水羽、聴こえているか?ごめん、油断して君を酷い目に合わせてしまった。それと僕を守ってくれてありがとう」


『ひひ、もうこの魔の自我は喰っちまったぞ!無駄だあ』




 篝火に照らされた水羽の影が二つに枝分かれした。それがにゅるりと伸びて、素早い動きでこちらに向かってくる。


 飛び退いた朱明の脚を追い掛けるように二つの影が伸びる。




『あおい、欲しい、食べたい』


『儂のじゃ』


『我のじゃ』




 二体の魔の声が水羽の口から先を争うように飛び出る。




「水羽………………水羽」




 分かってはいたものの、魔から聞いたことが私の胸を押し潰すようで、朱明の軽く開けた襟口を縋るように握った。




「葵、できるのか?」




 影を空中で避けつつ、朱明は冷静に問う。




「できるさ」




 一度耐えるように目を瞑り、次に目を開けたと同時に命じる。




動くなア・クレ




 水羽は勿論、その影さえも動きを封じて着地した朱明に抱えられたまま彼女の前へと進む。




 まず女御の強い念を解き放たなければ、おそらく再び違う下位の魔の呼び寄せてしまう。




さらけ出せシャルア




 すると、水羽の顔が怒りに染まる。




『なぜじゃ、なぜ妾の息子が皇太子になれぬ。他の皇子達よりも遥かに優れているというのに、なぜじゃ。妾の家が低いせいだと、そんな戯けた理由など理由にならぬ。それとも上に四人いる皇子のせいか、ならば全て消せばいい』




 驚きはしない。だがあの温和そうな女御の心に、魔が憑くほどの執念が宿っていたことを憐れんだ。これでは気が休まることはなかっただろうに。一人長い間苦しんだだろうに。




『妾の可愛い星比古を必ずや在るべき地位に就かせねば。その為なら人が死のうが妾が死のうがどうなってもよいのじゃ』


「愚かだな。人間とは、かくも浅はかで醜いものか」




 朱明が侮蔑を露に吐き捨てた。その言葉に小さく胸が痛んだのは、私も似たようなものだからだ。




「人間は、愚かだから可愛くて放っとけないんだよ」


「そう言えるのは、無知か無欲か同じかだ」


「それは認めるよ」




 こちらをチラッと見下ろして朱明はそれ以上言わない。


 女御の本心は、結界の外の星比古には聴こえていないはずだ。だからこれは聞いたそばから私が忘れたらいい。




解呪ツアレル




 パン、と柏手を打ち言霊を乗せる。


 女御の蓄積した念が解れ弾けていくのを感覚で感じ取る。




 ふと見ると、朱明が何もない空中を目で追っていた。彼には見えているのだろうか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る