第20話湯煙の中で
魔の本体を倒したことで、熱病も治まり表面上は平穏な日常を取り戻した都を後に、牛車に乗った私は御簾の間から緩やかに変わる景色を眺めていた。都からあまり出たことがないので、どれもこれもが珍しい。
「そなた、気性の割には子供っぽいところがあるのだな」
向かいに座る星比古が愉しげに私を見ながら、扇子で自分を扇いでいる。
「私はこれでも箱入りなので、あんなに広い田園地帯も大きな河も山々も見るのが初めてなのです」
もわっとした熱気の中に涼しい風の通るのを感じて、深く呼吸をする。
私はお上の行幸……………つまり皇家の始祖とされる神の社への詣、それにかこつけた湯治の旅へと同行する第五皇子星比古の供として誘われ付き従っていた。
「ああ、そうか。神久地家も私の家も不自由な者同士というわけか」
「まあ、似たようなものですね」
内裏にいる星比古なら、しきたりごとを初め、皇位争い、果ては身の危険まであらゆる不自由な生き方をしてきただろう。
かくいう私も、この特殊な力が一部の魔や人間にとっては魅力的な餌に見えるようで、この間のように私を操ろうとする魔は初めてではない。今まで何度も狙われて、その度に水羽や私が対処してきた。私の存在そのものが目障りだという理由で魔に命を狙われたことも数えきれない。
神久地家が代々従魔を傍に仕えさせるのは、そういった者達から身を守ってもらう為でもある。
私など、その従魔から『いつか殺す』宣言されているという可笑しな状況ではあるが。
「しかし、あいつ本当に殺す気あるのか?」
私を憎む割に、時折親切な気がする。魔にも情はあるというから、これは懐柔できたということなのだろうか。それとも私が懐柔されているのだとしたら?
「……………わからない」
彼が何を考えているのか。彼は私を本当はどう思っているのか?
いつからか彼の暁色が私を映す時、内心ドキリとするのだ。その瞳の奥に何かを感じて、目を逸らしたくなる。
私は怖い、のか?
「葵、何を考えている?」
いつの間にか外を見ている私の横に星比古が寄ってきて、詮索するように私を見ていた。
「いえ……………それより湯治場にはまだ着かないんですか?」
「ん……………そうだな、あとニ刻半は掛かるか」
「そんなに」
愕然とする私に、星比古は気楽な顔をしてみせた。
「いいではないか、こういう時でないとゆっくりできないんだ。どうせ帰れば、また窮屈な生活が待っている。のんびり行こう」
この皇子となぜか二人だけの空間で少々鬱陶しいが、昼寝でもしてやり過ごそう。
「分かりました星比古様、お言葉に甘えてのんびりと休ませて頂きます」
返事も聞かずに、彼から背を向けて転がる。牛車はちょうど一畳ほどの広さで横になれないことはない。四方の御簾の隙間から風が入ってきて、眠れないほどの暑さでは無いのも幸いだ。
「よく私の前で、その格好で眠ろうとするな」
最近少々打ち解けたので、星比古が皇子だと忘れがちだ。
「あなたなら許されるかと。ですが寝るのに格好が関係ありましたっけ」
「………………いや、その、だな…………」
歯切れが悪い。
今、私達の牛車は行幸の行列の後方辺りに位置している。その供の中には、先日私に絡んできた輩もいる。また女御の一件で顔と名前が広く知れ渡ってしまった私に対して、星比古が勧めてきたこの格好は、私が余計な悪意や注目を向けられない為の配慮なのだとは理解している。
「鬘かつら取ってもいいですか?」
さすがに地面まで伸ばす風習は無くなったが、それでも腰までの長さの一般的な女性用の鬘を私は付けていた。転がっても取れないほどに、しっかりと付けられたそれが慣れない私には重くて邪魔だ。加えて、鮮やかな緋色の打ち着に赤の袴という女官の衣装を身に付けて、私は星比古によって女装させられている。
そう、生まれて初めて女の格好をしているのだ!胸も作れと言われて自前の物をさらしという封印から解き放ってもいる!
「髪を取るな、この道中そなたの正体が知れてしまえば、のんびり休むこともできなくなるぞ。それに勿体ないだろう」
「勿体ない?」
頭だけ星比古へ向けて問えば、目が合った。
「………………こんなに美しい娘の格好をして、鬘を取るなど勿体ないだろう?」
「それは、あり……………ええっと男なのに女装を褒められても嬉しくありません。ええ、ちっとも嬉しくありません。あ、では暑いので着物一枚脱ぐのは」
「余計駄目だぞ!」
「まあそうですよね」
不思議だ。女の格好をして美しいと褒められると、美少年と言われていた時よりも遥かに嬉しい。そうか、私は美しいのか?嬉し涙を流す鈴音に着付けてもらった時に、しっかりと鏡を見ておけば良かった。
頬が緩むのを手で隠しつつ、怒ったように言ってそっぽを向けば、星比古がくすりと笑う声が聴こえた。
「何ですか」
「いや、可愛いと思って。すまん」
「からかわないで下さい」
頭に軽く手が置かれたが、私は目を閉じて昼寝を決め込む。
「葵……………母上のこと、すまなかった。そなたと親しかった魔のことといい、ちゃんと謝らねばと思っていた」
先程とは違い真摯な声音をポツリと耳にして、ずっとそれを言う機会を窺っていたのだろうの察しがつく。
「いいのです。女御様が、その時のことを記憶していなくて良かったです」
目覚めた女御は、魔に憑かれていた時の記憶が抜け落ちていた。それに密かに募らせていた息子を皇位に据えるという強い念も私が解き放ったから、今は穏やかに過ごしている。
「母上は、なぜ魔に憑かれてしまったのだ?それほどの念とは、もしや私のことで」
「星比古様、女御様が無事なのです。それでいいではありませんか」
その内問われるだろうと予想していたので、私は振り返らずに返した。
「もう済んだことです。私も忘れました」
きっぱりと告げれば、「そう…………だな」と複雑そうに呟かれた。
「葵、感謝する」
頭を撫でられて、欠伸を一つした私は心地よい眠りについた。
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