第13話熱病3

「痛むか?」


「少し」




 星比古が私を覗き込んでくるのを避けて額を擦る。冷静になれば、お上の住まう尊ぶべき内裏で相手に頭突きを喰らわしたとはあまりに恥ずかしい。自分でもびっくりだが後悔はしていない。




 父上には、目立った行動をするな、神久地の名に泥を塗るな等と厳しく言われたが、あの場合どうあしらえばいいのか器用ではない私には分からない。相手がこれに懲りて私に構わないようになればよいが。




「しかし頭突きとは、やるな」


「お恥ずかしい限りです。みっともないことをしてしまい申し訳ありません」




 星比古が愉快そうに、いつものニヤニヤした笑みを浮かべる。


 あの後、父上に都の魔の捜索に人手を回してもらうよう頼むことができた。


 おそらく流行り始めた頃から今も熱病を患っているが比較的症状の軽い者に本体の魔が憑いているだろう。気に入った宿主の生命力を奪って憑くことができなくなっては魔も困るはずだ。


 そうしたことも含めて伝えたので、既に役人や下の者も動いてくれている頃だろう。




 今は星比古についでに内裏の奥にいる病人を見て欲しいと言われて案内されている途中だった。




「……………今日はあの男はいないのか?」


「男?」


「あの偉そうな魔だ」




 星比古が私の背後を気にしている。




「今日はいません。ですが母の従魔だった子を連れています」


「そなたの母の……………そうか。幼女の姿の魔だと、そなたの父上から聞いたことがある」




 そこまで父上が話しているとは驚いた。余程星比古と親密なのだろう。


 表情を和らげた彼が、また私の額に触れた。




「………………そなたは面白いな」




 からかわれていると思い、ムッとした顔を作ると頭を雑に撫でられる。




「気に入った」


「はあ、そうですか」




 数段ばかりの階きざはしの上に緋色の打ち掛けを着た女官がいて、星比古が取り次ぎを申し出ると案内される。幾つもの部屋の前を通り過ぎ、坪庭に面した部屋に通された。


 中はかなり広い畳敷で、二つ引き戸を開けた先には部屋半分御簾で仕切りがしてあった。


 女官が御簾の向こうに口添えしてから退出する。


 部屋の装飾から高貴な女性の自室だと推測して、私は隣にいる星比古を向いた。




「………………病人は、女官の方ではなかったのですか?」


「ああ、話してなかったな。私の母だ」


「………………三ノ女御様、ですか?」




 早く言え、と思いつつ正座をして手をつく。




「女御様、神久地葵でございます」


「………………こちらへ」


「失礼致します」




 普段は妃の部屋には身内以外の男性は入れないが、治療の為なので特別に許されている。それに星比古も立ち会っているので、私は躊躇わずに御簾を軽く持ち上げて直接彼女と対面した。




「皇子から話は聞いている。そなたが私を診てくれるとか」


「はい」




 絹の布団に横たわった星比古の母親は、病でやつれてはいるが優しげな顔で穏やかな声を紡ぐ。




「熱は、もう長いのですか?」


「そうね、いつからだったか…………」




「もう二週間になるのですよ、母上」


「あらそうだったかしら。でも少し熱があるだけで、私は元気ですよ」




 確かに声はしっかりしているし、笑う余裕もある。何より彼女に黒い靄が見えなかった。




 すぐ横で女御を見ている私の所まで部屋に焚かれた梅の薫りが強く鼻をついた。




「葵、どうだ?」




 心配そうな星比古の声が御簾越しに掛けられる。




「皇子、心配しすぎですよ。ただの風邪なのですから」




 楽観的な様子で女御がころころと喉を鳴らして笑った。




「…………………星比古様、私では分からない症状があるので侍医を呼んでもらえますか?」


「分かった」




 私の声の真剣さに感じるものがあったのか、部屋の外に控えている女官へ命じる為に星比古が慌てて立ち上がる気配がした。


 衣擦れの音が遠ざかるのを聞き、水羽を呼ぶ。




「結界を」


「うん」




 返事をする時には、水羽によって御簾回りに透明な結界が張られる。張っている間は、外部から他者が侵入したり逆に内部の者が外に出ることはできない。




「葵!」


「ああ、本体だ」




 水羽が姿を現したのを見て、女御が小さく悲鳴を上げて驚く。




「まあ、これが魔なのね」




「芝居はやめることです。本性を現せリペクト




 言霊を放つと、女御が顔を伏せた。少しだけ白いものが混じる長い髪がはらはらと前へと流れて表情を隠す。




「まさか内裏に本体がいるとはね。一見したら魔が憑いているように見えなくて、うっかり見逃すところだったよ」




 低く唸るような声が女御の口から出ている。低い男のような声なのは当然だ。魔は彼女の体内に入り込み憑いている。




 姿を隠そうが、女御の口から漂う魔の特有の気配を感じられないほどではない。




「水羽、口から引っ張り出せ!うごア・ク……………!」


「葵!」




 私が術を言い終わる前に、女御の口から魔が飛び出てきた。ヌメヌメとした細長い黒いそれが、素早い動きでそのまま私の口に勢いよく侵入する。




「んぐっ!」




 形を変えられるらしい魔が体内を巡るおぞましさに身震いする。反射的に俯せに咳き込む私に水羽が駆け寄る。




「葵、今魔を取り除くから!」


「う、うう!」




 何とか水羽へ向いた私は、顔を上向かせ焦点の合わない目をした女御の口から、ボトリボトリと弾力のある黒い魔が垂れているのを目にした。


 それが目にも止まらぬ速さで水羽の背後に迫る。




「う、んぐ、ううっ!」




 三体が一人の人間に憑いていたとは。


 水羽にどうにかして避けろと伝えたかったが、息をするのがやっとで声が出ない。


 気付いた水羽が後ろを振り返り、逃げずに両手を広げた。




 水羽どうして!




 彼女の身体に二体が飛び付いた。


 それを目に焼き付け、私は意識を失った。




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