第11話熱病

 板場の中央に色の抜けた布団が敷いてあり、そこに六、七歳の男の子が寝かされている。布団の足元には子供の両親がいて、悲痛な様子で見守っていた。


 土間に水場、板の間は一つだけの小さな家。壁の漆喰は剥げ、引き戸は軋んでいる。さぞ冬は寒いことだろう。




 私は都の民の家を回っていた。夏だというのに、ここ最近急激に流行り病が起こっていた。今日だけでここで十三軒目だ。




「おにい………ちゃん、ぼく、なおるかな?」




 腫れぼったい目で横に座している私を不安げに見る子供は、十日も高熱が下がらずかなり弱っている。




「大丈夫、お兄ちゃんが治すから直ぐに楽になるよ」




 答えながら、子供の身体全体を覆う黒い靄を観察する。この靄のようなものが、免疫の低い子や老いた者に憑いて生命力を奪っていく。普通の病なら医者が治療できるのだが、原因が分からず治療しても一向に良くならない病の中には、私の領分だったりするものも僅かにある。


 昔、星比古皇子を助けた時と同じだ。




 だが、多すぎる。


 靄はゆっくりと形を変えながら、子供に引っ付いて離れない。同じ光景を何度も見て違和感が募る。




 これは本体ではない。おそらくは人間の念に呼び寄せられでもした魔が、流行り病を装って人間の生命力を取り込んでいる。




「水羽」




 呼ぶと、空中にふわりと幼子が浮かんだ。




「お願い」


「うん」




 髪と同色の瞳を煌めかせた彼女が両手を翳すと、水色の光が筋を引きながら黒い靄を引き剥がしにかかる。


 水羽はこうした『疫神』とも云われる魔を討つのが得意だ。




「動くなア・クレ」




 ばたばたと生き物のように抵抗し出した靄に言霊を放ち、動きを封じたそばから水羽が引き剥がした。彼女の魔力がそれを縛り上げると、潰れるようにして消滅した。


 先程と同じように繰り返したその手応えの無さに、私は不安を感じていた。




 子供が安らかな寝息を立て出したのを確かめて家を出る。子の両親からは金は受け取らない。そもそも貧しい家から金を受け取る程私は鬼畜ではないし欲しいわけではない。どうしてもお礼がしたいと、たまに野菜や魚を家に置いて行く者がいるが、こちらから請求したりしない。


 人の命を助けられた。


 この力も価値があると感じるだけで、やりがいがあるというものだ。まあ金持ちからは多少頂くが。




「葵、つかれてない?」


「ううん大丈夫。水羽こそ、ごめんね。たくさんお願いしてもらって」




 昼をだいぶ過ぎ、定食屋に入った私は遅い昼飯を食すことにした。


 白飯に味噌汁、鮭の塩焼きに豆腐と野菜の和え物が付いた物を口に運びつつ、他の者には見えない水羽と会話をしている。間仕切りの付いた畳の食事処なので、小声なら他人には聞き取れない。




「ねえ水羽、これは厄介かもしれない。本体を突き止めないと終わらないかも」


「ええ、病を患う家を片っ端から回っていても本体の魔が見つからないのでは、あたし達がどんなにがんばっても『病人』は増え続けるわ」


「面倒だな」




 低級な魔が、人間の強い負の感情に引き寄せられたり憑いたりするのは分かっているので、その人間を探し出せばいい。だがこの『病人』の多さが、魔を見つけ出すことを困難にしている。




「………………父上に頼んで行政部の力を借りるか」




 私と水羽だけでは探し出すのに時間が掛かる。その間にも人が死んでいくなら、嫌でも父に願い出て人手を借りた方がいい。警固部はあくまで内裏を護る機関なので、もう後が無い時しか頼めないだろう。




「あの方に手伝ってもらう?」


「……………いや、いい」




 二週間、朱明とは会っていない。


 確かに彼に働いてもらえば助かるが、呼ぶ気にはならない。


 最後に会った時の彼の様子に、私は距離と時間を置いた方がいいと判断した。思えば無理やり私の下僕にされて働かされ、歯向かう度に屈辱を与えてきた。強靭な肉体を持つ魔だとはいえ、精神的に幾分参ったとしても不思議ではない。


 少しばかり主人を忘れて自由にさせてやるのも、長く仕えてもらう為に必要なことだ。




「会いにくい?」


「まさか、僕は別に」


「とまどってるの?」


「え?」




 私の肩に顎を乗っける水羽の頭を撫でる。




 後ろから私の顔を見上げる水羽の瞳が、たまに見せる歳を重ねた者のそれで、私は笑いを引っ込めた。




「僕が何に戸惑うと?」


「分からないことに、とまどってる」




 謎掛けのよう。




「水羽の言うことは難しい」


「あたしには、人間のこころが難しい」


「よく分からないけど、僕は戸惑ってなどいないよ」


「そう」




 話に興味を無くして、追加注文したあんみつを水羽が美味しそうに頬張った。それを眺めながら、私はさらしを巻いた胸をそっと押さえた。


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