第5話君に下す命

 目覚めると、朱明が私に跨がり首を掴んでいた。


 彼のもう片方の手には赤い魔力がわだかまっていて、今にも私の顔面に放とうとしている。




「……………………僕、君を呼んだ覚えないんだけど」




 寝転がったまま周りを見れば、きちんと整頓していたはずの部屋は悲惨なことになっていた。


 文机はひっくり返り、几帳は倒れ、箪笥からは着物が散乱し、本棚はうつ伏せになり畳には焦げた跡がある。


 これは何度か私を殺しにかかって失敗した魔力があさっての方向にいった結果だろう。


 この惨状からしたら、さぞかし大きな音が立ったに違いないが誰も聞き付けて来ないのは、いつものように『あの子』が部屋を防音仕様にしてくれているからだろう。




 首を押さえつけられて、乗っかっている状態なので身動きは取れないし、重たい。




 半目で朱明を見ているが、一生懸命殺しにかかる彼がゼイゼイと疲れた様子で、もう1つ魔力を不発に終わらせて、更に私の顔面に拳を繰り出そうとして一人スカッと外して歯軋りする姿は滑稽だった。




「もう気が済んだ?僕さ、あんまり機嫌良くないし、いい加減重いし、どいてくれる?」


「きさ…………………おまっ、クソッ」




 私の命令に勝手に身体が反応して、朱明は精一杯の悪態を吐きながら私から離れた。




「逃げるな、そこに直れ」




 そのまま背中を向けて違う次元を開いてトンズラ直前の彼を、言葉で捕まえる。




「………………………おのれ」




 足元に屈辱に震えながらちんまりと正座する朱明を横目に、布団を胸に手繰り寄せたまま私は身体を起こした。


 さらしを巻いていないのだ。少し乱れた襟元を片手で合わせ、片膝を立てて然り気無く前を隠す。




 昨夜の皇子といい朱明といい、私の入って欲しくない領域にズカズカと踏み入らないで欲しいものだ。




「何か言いたげだね?」




 こちらをまじまじと見ていた彼と目が合い、声を掛ければ、ビクッと慌てたように視線を畳へと移している。


 何をされるか警戒しているのだろう。




「何をしようが契約術は解けない。僕を傷つけられないし、僕の言葉には逆らえない」


「……………俺に何をさせる気だ?」


「まずこの部屋を元に戻して」


「…………………………」




 嫌そうな顔をしながら朱明が手を振ると、倒れていた家具が元の位置に戻っていった。畳は…………焦げたままだ。




「裏返し」


「は?」


「裏に返すんだ、知らないのか」


「ああ、なるほど」




 クルリと畳を引っくり返して、やり終えた感を顔に出していた朱明だったが、直ぐに額に手を当て溜め息をついている。




「こんなこと、なぜ俺がしなければならないんだ」


「それから厨房に誰にも見つからないように行ってきてくれる?」


「はあ?」




 枕元にはぜんまい仕掛けの円形時計があって、針は六を越えたところだった。我が家の朝食は七だと決まっている。まだ時間がありすぎる。




「…………………お腹空いているんだよ。厨房の小さい方の食器棚の引き出しの右から三番目あたりに菓子があるはずだから多めに持ってきてよ」




 昨夜は、あまり食べられなかった。


 ああ、思い出すと不快だ。特にあの皇子………




「まさかこの俺に、そんな些細なパシりをさせると?」


「パシり?何それ?いいから行ってきてよ、簡単でしょ。ほら行け!」


「ゆ、許さぬ……………」




 唸りながら一瞬消えた朱明だったが、数秒のちには両手に菓子を抱えて戻ってきた。




「地獄へ堕ちろ」


「ありがとう」




 ドサドサと布団に落とされた菓子を一つ拾い上げると、包みを開けて一口かじる。




「ほら君も食べる?魔もこういうの食べるよね?」




 人間を食べるとは聞いていない。中には、人の生き血を啜る魔もいるようだが、大抵は人間と同じような食べ物を口にすることは経験上知っている。




 私が渡した、こし餡のたっぷり入った最中を疎ましげに睨んでいた朱明だったが、命じられる前に自分の意思でと思ったらしく、やがてモソモソと食べ始めた。


 美形な魔が最中を食べる光景が不釣り合いで面白くて、私はしばらくそれを眺めて楽しんでいた。




「……………神久地家。魔を操る能力者の家系だそうだな」


「調べでもしたの?そう、僕は神久地家12代目にあたる」




 唇に付いた餅をペロリと舐めとった私に、忌々しげに舌打ちをした朱明が包み紙を投げた。跳ね返ったそれは彼の膝の上に乗った。




「おまえ、その血に魔が混じっているのか?その力は、人間が持つようなものではない」


「僕は人間だ。血がどうでも、姿も中身も人間なんだよ」




 答えた私に、朱明がくつくつと笑う。




「ムキになったな、それが一つ弱点か」


「何?」


「契約術で俺を服従させたと思い上がるな。おまえの弱味を握って、その内こちらから術を解くように仕向けたらいい。これからじっくり観察してやる。おまえが何が苦手か嫌いか苦痛を感じるか。偉そうにしているのも今のうちだ。すぐに俺に平伏して涙を流して赦しを乞うことになるだろう。だが赦しはしないし簡単には死なせやしない。術が解けたら自分から死にたくなるような苦痛を最大限に与えてやろう」




 なまじ誇り高いと馬鹿にもなるのか。いや、殺すという単語を避けながら私を脅しただけ賢いか。


 私は前髪を億劫に掻き上げて、低く笑っている朱明へ命じた。




「朱明、まず君が僕にひれ伏せ。そしてさっきの失言の赦しを乞え」


「っ、クソッ、あおいい!今に………………お、おゆるしく、くだ………さ」




 命じられた通りにしてしまって尚こちらを睨む彼に、私は微笑んだ。




「僕は君のそういうところ、結構好きだな」


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