第6話君に下す命2
内裏へ登るのが許されるのは、春の日の良き時分。18の貴族の子息達に限られている。五の月に18となった私は、次の年まで待たねばならない。
黒絹の外出着を着用した私は牛車を降りると、裏戸で門兵に許可札を見せた。
「神久地家の者です。警護部に用があるので通らせて頂きたい」
「どうぞ」
馴染みの門兵は許可札を一瞥しただけで戸を開けてくれた。白砂の敷き詰められた小道を歩く。
「まだ職位の無いおまえが、内裏などに用があるのか?」
「勿論。まだ公式には内裏へ登れないけど、僕にしかできない仕事があるんだ」
「実際させられるのは俺だな」
うんざりした様子で私の肩の辺りに浮いている朱明だが、普通の人間には見えない。向こうからやって来た雑色も、俯きがちに歩く私の横を興味なさげに通りすぎていった。
少しばかりの竹林を迂回すれば、大きな建物が幾つも見えてきた。その内の一番隅にある建物へと進む。木造の二階建ての正面で、再び札を見せて沓を脱いで上がった。
案内された部屋には、恰幅の良い厳つい顔の中年の男と星比古がいた。
「…………………なぜいらっしゃるので?」
「そなたが参ると聞いていたから待っていた」
今日は黒の正装に衣冠まで着けて澄まし顔で、本当に同じ人物だったかとジロジロと見てしまった。するとまた僅かににニヤッと笑うので、取り繕った無表情で畳に手を付いた。
「失礼致しました。第五皇子様に御挨拶申し上げます」
「ああ」
大仰に頷いてみせる彼から目を離して、もう一人の方へと向き直る。
「隼人様、ご用件を承ります」
「これを」
何度も繰り返されたやり取りで挨拶もそこそこに、警護部の監督官である隼人様はいつものように一枚の畳んだ紙を差し出した。
断りを入れて、紙を広げてサッと目を通す。
「一の件については、今日中に処理してもらいたい」
事務的なことだけを口にする隼人様に、私も手短に返す。懇意にする気はない。親しくなれば、私が女だとばれるかもしれないのだ。
「心得ました。結果は遣いにてお知らせ致します」
直ぐに退出しようとしたら、私の後を星比古がヒョコヒョコとついて来た。隼人様は呆れたような顔をしていたが、座ったまま見送っている。
「そなたの仕事を見てみたいのだ」
「………………………そうですか」
父はなぜこの皇子と目通りさせたのだろう。
「星比古様、何か父に僕…………私のことで言い含まれていますか?」
「そなたに興味があったのは本当だぞ。警護部では対応できぬ不可解な事柄を一人で処理してきたのだろう。そのような人物がまだ子供のような」
「子供ではありません」
はぐらかされた。星比古が臣籍に下るとはいえ、高貴な身分である者が供も付けずに自由に動くなど普通は考えられない。
元々彼が型破りなだけなのだろうか。
「そうか。まあ実を言うと、魔を見てみたいのもあるのだ」
「左様でございますか」
まさか真後ろにいるとは思っていないようだな。嗤われているが黙っておこう。
私達は内裏の六ある門の内の一つ、西門へと歩いて行った。
「………………私が幼い頃、そなたが助けてくれたことは覚えていないか?」
門前で立ち止まったら、星比古はそんなことを言い出した。
「私が、ですか?」
「そうだ。魔に憑かれて高熱で死にかけた時だ。そなたは十にも満たない子供だったが、私を救ってくれたではないか」
記憶を辿れば、そうした子供を『あの子』に手伝ってもらって魔から助けたことは何度もあった。なるほど、と思う。
星比古はからかっているようには見えない珍しく真面目な顔で、本当のことを話しているのだろう。
「そんなこともありましたか。もう忘れてしまいました、申し訳ありません」
「そう、なのか……………」
私が答えると、淋しそうに眉尻を下げている。これでいい。恩に思って近寄ってきたのなら、冷たく返せば諦めるだろう。
「それより、この門辺りで昨夜事故があったとか」
「………………ああ、兄…………第2皇子が落馬なされて頭をお打ちになられた。まだ意識は戻っていない。突然馬が暴れだしたらしいが、大きな音や何かが横切って驚いたのではないと聞いている」
開け放たれた門を出た所、道の真ん中に何かがいる。私は近くまで来ると小さく言霊を放ち、それを片脚で踏んだ。
私の脚が宙で静止しているようにしか見えないのだろう。何事かと様子を窺っていた門兵と星比古が、不思議そうに目を瞬く。
「ここでつまずいて転んだりした者もいたでしょう?」
四人の門兵に問えば、彼らは皆一様に頷いた。
「私は今日、ちょうどそこで転んでしまいました。石など無いのですが、何かにつまずいたような感じがありまして」
「そうでしょうね……………出てこい」
指を鳴らせば、面倒そうに朱明が姿を現した。
「これが………………」
門兵も星比古も目を見開いて驚いている。
従魔の名は明かせない。真名は、魔にはとても大事な意味を持っていて、私はそれを彼自身から白状させたことにより契約術が完全に成立できたのだ。
「私の従魔です。とても美しいでしょう?」
踏みつけていたものが抵抗できないのを確認して、私は朱明の頬を軽く撫でて主従であることを見せつけた。
「な……………な………………」
命じていないのに固まったようになって、口をパクパクとしている朱明が面白い。
「………………………ああそうか」
魔でも照れるのかと眺めていたら、沈黙していた星比古がポツリと呟いた。
「そうやって美辞麗句で魔を懐柔するのか。確かに褒めれば喜ぶだろう」
「懐柔?私には契約術で足りている。美辞麗句などではありませんよ」
「は、放せ」
ハッと警戒を強めた朱明が、私の手から離れようとする。
「逃げるな」
不思議な色彩の髪を軽く引き、私は鼻が触れる程の近さで朱明を見つめた。
「神久地家は、言霊を尊ぶ。だから私は軽々しく嘘をつかない。そして真実思うことは真実のままに口に乗せる」
男だと周りに嘘をついているつもりはない。私は男として生きているのだ。女として生きる自由は、生まれた時からない。
「君は僕の自慢の美しい従魔だよ」
「…………………まるで口説いているようだ」
なぜか面白くなさそうに星比古に言われて、私は首を傾げた。そして顔の赤い朱明を真下から覗きこんだ。
「君は口説いているように聞こえるのか?」
「そんな、わけ…………………は、放せ」
「男に口説かれて、嬉しいのか?」
「やめ」
朱明は視線を逸らして言葉で弱く抵抗する。動揺しているとは、遊び甲斐のある。
「そっか。いつか君に殺されないように、たくさん口説いておこうかな」
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