第4話私の役目2
鈴代と共に食堂へと入れば、まだ誰もいなかった。
いつもの席に座っていれば、次の間にある厨房からの夕餉の薫りが鼻を擽った。
シン、とした食堂に、小さく包丁が何かを刻む音だけが主張していて何とはなしに聴いていたら、前触れなく両開きの戸が開いた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「お帰りなさいませ、父上」
立ち上がり頭を下げた私の前を、父である宗一朗ともう一人男が通って上座へと向かった。
「首尾は?」
「契約術は成功しました。高位の魔を手に入れることができました」
父の短い問いに答えながら、その隣にいる男へ目を向ける。同じ位の年齢のようだ。やや垂れ目の愛嬌のある顔で、私をニヤニヤしながら見ている。
感じの悪い奴。
「無礼であるぞ、葵!!」
嫌悪が表情に出たのを、父は目敏く見つけて怒鳴ってきた。神経質そうに眉間に常に皺を寄せた顔を見ないように目を伏せる。
「失礼致しました」
「わきまえよ!この方は第5皇子の星比古様だ」
御簾越しでしか会ったことのない方だ。向こうは知っていても、こちらは顔など分かるわけがない。しかも正装の深青の衣装を着用した父とは違い、皇子は着流し姿の普段着のような装いだった。
「第5皇子様、目通り光栄でございます。神久地葵でございます」
「楽にしてよろしい。今日は私的にこちらへ招いてもらったのだ。畏まることはない。さあ座れ」
「恐れ多いことでございます」
私が再び席に着くと、待っていたように膳が運ばれてきた。
「そなたの能力の話は、よく耳にしている。今宵訪ねたのは、そなたがどのような者か直にこの目で見たかったからだ」
「光栄にございます」
口に含んだ炙った魚の身を、長い時間をかけて咀嚼する。
「葵、見せよ」
「はい」
唐突とも言える主語の欠けた父の命に、私は袖から召喚石を取り出した。そして歩み寄ると両手で捧げ持つようにして渡す。
「確かに使ったのだな」
「はい」
石を摘まんで見ながら、頭を下げたままの私に視線もくれずに父は訊く。
「その魔は、おまえにちゃんと従っているか?」
「今はまだ抵抗を見せていますが、私には逆らうことは不可能です。賢そうな者のようなので直ぐに悟って従順になるかと」
「知能が高いとな、使えそうか?」
「………………左様でございます。宜しかったら、一度ご覧になりますか?」
「いい、下がれ」
義務は果たしたとばかりに、父は石をテーブルに無造作に置いた。いつものことだ。私には必要以上に関わりたくないのだ。
私は着席すると、膳の端にあった赤い果実だけを口に入れて、父が食べ終えて席を立つのを待った。
父は皇子とは打って変わって楽しげに談笑していた。こんな風に柔らかい表情を外では見せているのだろう。どこか遠くて不思議な気持ちだ。
神久地家の特別な能力のない父だが、代わりに行政部の重役として自らの手腕を奮っている。それは尊敬に値する。
私がそんなことを思っていたら、皇子がまたこちらを見ているのに気付いた。
「さて、食事も済んだ。葵とやら、すまぬが屋敷を案内してはくれまいか?」
「……………わかりました」
なぜ私が、とは言葉にするつもりはない。立ち上がると鈴代が戸を開けてくれたので、皇子の後から退出しようとした。
「粗相のないように」
厳しい声音が追いかけてくるようにかかる。
「心得ます」
息苦しいこの場から早く遠ざかりたくて、私は素直に返すと外へ出た。
皇子は廊下で私を振り返り、前ではなく横を歩き出した。
「他人には優しく、自分の子には冷たいとはね。何とも緊張感のある食卓だな」
「それは…………失礼を」
「何か理由があるのだろう」
「さあどうでしょう。ところで皇子様は、私ごときに本当に興味がおありで?」
話題を変えてみたら、こちらへ目をやった皇子が私の頭に手を置いた。
「なっ?」
「小さいな、もっと食べなければ」
あまりに気さくな仕草に驚いていたら、肩を押されて壁際へと追いやられた。
「皇子様」
「星比古と呼べばよい」
「……………………」
黙っていれば、彼も私を見下ろしている。頭から爪先まで観察されているような視線に顔を背けた。
「…………………………星比古様、お離しください」
とうとう名を呼べば、スッと離れた。
「そなた、来年から出仕か?」
「はい、警護部へと入る予定です」
「そうか、表向きはそうなるのか。既に何かと我らは助けられているのは知っているぞ」
「大したことはしておりません」
「従魔であったか、一度私にも見せてはくれまいか?」
「……………分かりました。ですがまだ手懐けるのには時間がかかりますので、また良き日に」
「そうか」
話の流れが見えてこない。
ただ、貴い身分にしては砕けた性分なのは理解した。
「もしかしたら母親のせいか?」
「はい?…………………失礼を」
好き勝手に話す皇子だ。つい顔をしかめてしまったが、彼は合点がいったように頷いていた。
「そなたの母親は、出産で命を落としたと聞いたことがある。だから父御とそなたは仲が悪いのではないのか?」
ずっと考えていたのか。儀礼的な挨拶以外で話をしたのは今日が初めてだと言うのに、他人事にいささか脚を踏み入れすぎではないか。
うんざりと溜め息をついた。
「………………父は、私が母を殺したのだとお恨みなのです」
「ふむ、余程そなたの母御を慕っていたのだろうか。だが、そなたのせいではないぞ。むしろそなたのような稀れ人が生まれたのだ。喜んでこその親だろうにな」
「は、い?」
唖然としている私の頭にもう一度手を置いて、星比古は一人気ままに歩いていった。
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