4-5
私の部屋には、とても美しい人がいる。
その人は、まるで女性とみまごうような麗しいかんばせに、艶やかな胡桃色の髪を腰まで伸ばしながら、後ろで緩く、三つ編みにしている。
そして憂いを帯びた表情で溜息をつきながら、時折、そっと窓の外を眺めては、自由に飛び交う小鳥達を羨ましそうに目で追い、長い睫毛が翳る蒼い瞳を静かに閉じ、こう囁くのだ。
「……僕に安息の地は無い……」
……そう。実はこの人、私のお兄様なのだった。
私が腰掛けているベッドの隣……そこに置かれたサイドチェアーの上に、しなやかな体躯を器用に折り曲げながら、膝を両腕で抱えて顔を伏せている。
いわゆる、体育座りというヤツである。
「帰ってきた時には全部終わった後だったし……みんな、狡い……僕だけ、除け者にされてる……」
「お兄様……」
しかも、聞くところによると、どうやらお兄様と隣国の王女とのお見合い話をウェル様が勝手に進めてきたらしい。
両親もその話に乗り気だそうで、兄は着々と外堀を埋められつつある。
周囲から精神的に追い詰められているのが、なんかかわいそうになり、ギリギリのところで逃げ回っている彼を、私がこうして部屋に匿っているのだ。 ……割と頻繁に。
「まあまあ! 別にいいじゃないですか。アルベルト様、婚約者がいなかったんだし!」
そう言って、メル君は若干めんどくさそうにしながらも、キチンと説得しようと試みているようだ。
その身には、護衛騎士に与えられる白い鎧を纏っており、小柄な彼が扱えるようにと、腰にはレイピアを帯剣している。
なんと彼、今までの密偵としての活躍に加え、隣国に渡ってすぐに私を見つけたのが評価されて、私付きの護衛騎士に大抜擢されたのだ。
たしかに大々的な人事異動を行うとは聞いていたけれど、メル君は、まさか自分が選ばれるとは思っていなかったようで、任命された時なんかは、すぐに現実を受け入れられなかったらしく、しばらく呆然としながら固まっていた。
彼の出自は、隣国で私に語ってくれた通り、本当に庶民生まれだったそうだ。
両親を早くに亡くし孤児となったメル君は、当時、治安悪化の一途を辿っていたダグラスの浮浪者が蔓延るような場所……所謂スラム地区で暮らしていたらしい。
彼が幼い頃、偶々視察に訪れていたウェル様に拾われて、密偵として鍛えられたのだそうだ。
意外にも才能があったらしく、当時、まだ小さな子供ながらに街の至る所に潜伏しては、ダグラスの情報を集めて回り、活躍していたのだという。
密偵の任務についた際、潜伏先によって貴族の子息のフリも出来るよう、バトラーを名乗っていたそうなのだけれど、今は、護衛騎士として任命された際に、準男爵の位を賜り、本当の貴族になったのだ。
「まさか……ボクがお貴族様になれるだなんてさ……夢でも見ているみたいだよ……」と、どこか遠くを見ながら呟く彼の顔は、飢えを凌ぎ、孤独な日々を過ごしていた、自身の遠い昔を思い出しているかのようだった。
それからメル君に、「ティア様は、僕の出自、夢で見て知っていたんでしょ?」と急に言われ、おもわず素で「えっ」と返してしまった。
……いや、正直知らなかった……
訳知り顔で語ってみたけれど、実は本人が教えてくれたから分かった訳だし。
多分? その辺のお話は、メル君ルートとかで出てきたんだろうけど、私はなぜか、覚えていない。
……もしかして、たいして好みじゃなかったからなんだろうか……?
と、失礼な事を考えているのが顔に出ていたらしい。 案の定、メル君にバレて、訝しげな顔をされてしまった。
「……まさか……知らなかった? ……予知夢って、やっぱり嘘だったんじゃ……!」
「い、いやっ!? ししし知ってたよ!? ……メル君、苦労してきたもんねっ!」
「ふーん…………ま、いいけどさっ」
……危なかった。
どうやら一応納得してくれたらしい。慌てて取り繕ったけど、上手くごまかせたようだ! ……多分。
と、いうか。
私が覚えている前世の記憶って、だいぶ偏っているような気がする……
なぜだか、かつてOLをしていた記憶と、社会人としての心構え。
そして、日本のサブカル文化と、この舞台となっている乙女ゲームの内容! の筈なんだけど……肝心のゲームの事で、最後までしっかり覚えている事と言えば、真相ルートの筋書きだけだった……!
……という事に、今更気づく。
そういえば、攻略対象達のエピソードとか! イベントとか! そういうものの詳しい記憶がすっぽりと抜け落ちている……!
い、いや! だって! こんな魔女だとか、カルト教団だとか、普通の乙女ゲームっぽくない血みどろの背景があったら、そっちに意識が持っていかれるじゃない?
正直恋愛よりも、お話の真相が気になってしょうがないと思うのだ。
恋にうつつを抜かしている場合ではない。下手したら本気で死ぬ。
それならしょうがないよと自分を慰めるしかない。
……あ。
もしかして、前世を思い出した瞬間、すぐに自分の頭をぶっ叩いたからいけなかったのかも……?
で、でも自分の死因まで思い出しそうだったし! なぜか以前の家族の顔や、家族構成等の詳しい事もはっきりと思い出せないのだから、多分、きっと……そのせいだろう……うん。
「ところで、隣国ってどんなところなの……?」
お兄様の声が聞こえ、意識が現実に戻ってくる。
どうやら、ずいぶんと脱線していたようだ。
「隣国かあ。 ……うーん? 経済はいいよねぇ?」
メル君に同意を求めると、彼は、なにかあまり良くない事を思い出したらしく、若干、気まずそうに口を開く。
「あー……あそこの貴族、ロクなのいないんですよねぇ。少し前まで、お金は全部上の人間で止めてたし、今の王妃サマだって、元は他国の貴族の方で婚約者もいたんですけど……隣国に旅行に来ていたのを見初めた王が、無理やり婚姻を迫ったとかでさぁ! いい話を聞く方が難しいぐらいだよー!」
「…………そう。そんな恐ろしい国に、みんなで僕を出荷しようとしてるんだ……」
お兄様は、抱えた腕の中へ、更に深く顔をうずめた。
しまったという顔をしながら、メル君は慌てて取り繕う。
「……あ。ち、違うんですよ! 今のは言葉の綾で! ……もー! ティア様が変な事聞くからー!」
「えぇ!? ひどいよメル君! 今のは絶対、私のせいじゃないよ!」
まさかとばっちりを食らうとは!
完全にメル君が口を滑らせたせいなのに酷いと思う。
「ティア様謝って!」
「わ、私が……? なんで……」
「いいから!」
「……ご、ごめんなさい……?」
しかも、なぜか私が謝る流れになってしまった。解せない。
「いいんだ……ルルは悪くない」
お兄様は顔を上げ、気にするなというふうに緩く首を振り、私に微笑む。
胡桃色の髪が、動きに合わせてサラサラと揺れ、憂いを帯びた横顔をこちらに向けながら、妙に色っぽく溜息をつく。
多分だけど、こんなふうに女性的に見えるような仕草が、隣国の王女のツボに入ったんだろうなぁ、と思う。
私に向けてくれた微笑みは、なんだか弱々しい……大丈夫かな?
それから、お兄様は遠くを見ながら囁いた。
「……妹の友達は僕の友達。そう思うだろう? メル君」
——私の護衛騎士に向けて。
「……二人して端折んないでもらえます? なんだろう、すごい嫌な予感がする……」
「メル君、僕は旅にでようと思うんだ。今よりも、もっと見聞を広める為に」
「……へ、へぇーー! ……そうですか……」
「メル君も一緒に行こう? 若いうちから国に留まっているのは良くない。もっと外の世界をみよう。世界は僕たちが思っているよりも壮大だ。 ……きっと、常識なんか覆る」
「いやボク密偵やってたんですけどっ!? アルベルト様よりよっぽど常識わかってますよ?」
「そうか……それなら、なにも考えず、気ままに旅をするのもいい。 ……嫌な事、辛い事。なにもかも投げ出して、旅にでる。三人でなら、きっと楽しいものになる。 ……そう思わないかい?」
! 私も数に入ってたようだ。
確かに……この三人で出かけられたらとっても楽しそうだ。
「わー! 素敵っ!」
私の反応とは裏腹に、メル君は冗談じゃないとばかりにおもいっきり否定をする。
「いや思いませんけど!? さっきからしれっとボクを数にいれるのやめてもらえます?!」
「……そろそろ、奴が来る時間だ。 とりあえず、一緒に来て。メル君」
どうやら、メル君の言葉は、お兄様の耳には届かなかったらしい。
椅子から下り、素早い身のこなしでメル君に近づいたお兄様は、その腕をガシっと掴む。
「ちょ! ちょっと! 離してくださいよっ! ボク、一応はティア様のお守りをしなきゃいけないんだから……!」
「……」
「ちょ、ちょっと! ちょっと! 無言なのやめてもらえます? 怖いんですけどっ!?」
「……」
「ティア様助け……!」
メル君が喋り終える前に部屋から連れていかれてしまい、扉はバタン! と音を立てて閉まる。
「行っちゃった……」
まあ、なんだかんだですぐ戻ってくるでしょう。
少しして、誰かが廊下を走る音が聞こえてくる。再び扉はバタン! と音を立てながら勢いよく開き、今度はウェル様が息を切らせながら、部屋に駆け込んで来た。
「ルル! ここにアルは来なかったかっ!?」
「んーん。知らないよ?」
本当は知っているけどね。
「そうか……っく! どこに行ったんだ……! 近々エメリア王女が来るというのに……!」
「また来る!」っといって駆け出していく彼に手をふり、その背中を見送った。
実は、今の彼には護衛騎士がいない。
結局、長年護衛騎士をしていたテオさんは、彼の元に帰ってくる事はなく、今は新たな後任を検討している最中なのだ。
護衛騎士がいなくて大丈夫なのか聞いてみたところ、実は城内のあちこちに密偵を放っているから今のところ問題ないらしい。
ウェル様自身も剣を扱える為、何かあっても自衛出来るそうなので、意外となんとかなっているようだ。
テオさんとマリアは、その後穏やかに暮らしている。
実家に戻ったテオさんは子爵を受け継ぎ、マリアは、彼の為にと学園を辞めて、共に領地の経営を学びながら支えあっているそうだ。
ちなみに、この話は社交界で瞬く間に噂になったらしい。
学園に入学したばかりの少女に手を出したという、前代未聞のこの事件で、実は影でテオさんの事を、『鬼畜、ロリコン、変態、異常者、おっさん、馬鹿、アホ、ドジ、まぬけ』などと散々言われているそうなのだけど、本人全く気にしていないようでどこ吹く風である。
……というか、後半ただの悪口になってるし。
そして、この二人、半年後に結婚式を行う事が決まっている。
早すぎる事の運びに、こちらの方も、貴族として未だ前例の無い事だったそうで、この件でもまた、社交界をざわつかせている……らしい。
私がここに運び込まれから五ヶ月がたった。
ちょうど一ヶ月後に二人の結婚式は行われるのだ。
私達も招待されているので、今からとっても楽しみだ。
それと……実は、私自身、未だに実家に帰れていなかったりする。
リハビリも終え、もう完璧に治ったというのに、ウェル様は一向に認めてくれず、「いやまだ全然治ってなどいない! ルルは無理をしているのだろう? あんなに酷い大怪我をしたのだから後十年は大事を取るべきだ」と、ものすごく渋られてしまい、帰宅許可が下りないのだった。
……まあ、その点はしょうがないのかも、と思う。
理由はどうであれ、彼は、婚約が決まってすぐ私に脱走された訳なので、もしかしたら、トラウマになっているのかもしれない。
……なんか、ほんと……ごめんなさい。
「……あ、そうだ! 手紙」
実はさっき、侍女さんに持ってきてもらった手紙があるんだった。
ベッドの上に置いていた、封筒を手にする。
くるりと裏返し、異国風の差し色がアクセントとなっている封筒の口を確認してみると、開けられた跡があるようだ。
検閲された上で、私の手元に届いたらしい。警備は厳重だ。でも、見られても大丈夫。変な手紙ではない。
中の便箋を取り出すと、どうやら三枚ほど入っているらしい。
これは隣国での、もう一つの私の家族、ロブ夫妻からの手紙なのだ。
私の体調が回復しだし、リハビリを受けていた頃、ウェル様に頼んで、私から彼等に宛てた手紙を書いたのだ。これはその返事になる。
私の書いた手紙には、こちらの近況報告と、事件の一連の顛末を簡潔に。そして、『悪い夢は覚めたのだ』と記入して送っている。
多分、この端的な内容でも、二人ならわかってくれると思う。
乙女ゲームの舞台となっていたこの地には、もうなにも恐れる事はないのだから。
ちなみに、ロブ夫妻からの手紙には、無事に女の子が生まれた、という事が書いてあった。
ハンナという名前をつけたそうで、この子もナナに似ているらしい。
きっと、将来は美人さんになるに違いない。
この子がもう少し大きくなって、船旅が出来るようになったら、こちらに会いに来てくれるそうだ。
手紙は事件後についても書かれており、急にいなくなったスカーレット家の当主達について、隣国では、不気味なくらい誰も話題にしないらしいのだ。
私も、ウェル様から、スカーレット家地下室に、大量の白骨死体が見つかった話を聞いていたのに、それも、向こうでは無かった事にされているらしい。
いなくなってしまったスカーレット家の後釜として、王命により突然、隣国の王家が後釜に収まったそうで、割とまともな王女が主体となって動いているとの事なので、経営的には問題ないようだ。
けれど、なにかあった時の為に、保険として別名義でダグラスにもお店を作る事にしたそうだ。今密かに動いているらしい。
こっちのお店が完成したら、そこに居住を移すそうなので、もっと気軽に会えるようになるかもしれない。
「そっか……」
手紙をそっと閉じ、目蓋を閉じる。
……本当に、色んな事があった。
私の周囲も目まぐるしく変わって行き、みんながみんな、新たな未来を目指している。
事件の爪痕は消える事はない。
それでも、みんなで前を向きながら、それぞれの人生を歩いているのだ。 ……だから。
「私も……」
——頑張らなくっちゃ。
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