4-1

 上等なシーツに、ふかふかとしたお布団の感触。まだ眠っていたいけれど……でも、起きなくっちゃ。

 そんな気がして、重い瞼を開く。


 目が覚めると、私を覗き込むように、とても綺麗な紺碧色が、真っ先に視界に飛び込んできて、あれ? と思った。


 海……?  ……すごく、綺麗な色……


 ポケーっとしながら思わず見入ってしまい、ゆっくりと、瞬きをする。


「ルル! ……良かった。 目が覚めたのだな! 気分はどうだ?  ……身体は、痛くはないか……?」

「ウェ……ル……様……?」


 紺碧色の持ち主は、ほっとした顔をして私の顔を覗き込んでいる。

 少し……疲労の色が見える。

 彼に、心配をさせてしまったようだ。


 ……私……は……

 確か、あの後……シルビアちゃんが、連れて行かれて……

 それから……それから……?


 頭がぼーっとする。どうやら熱があるようだ。

 上手く回らない頭を必死で起こそうとするけれど、やっぱり上手くいかない。

 ……とにかく、もう起きなくっちゃ。


 身体を起こそうと、上体を持ち上げようとして——


「——っ!!」


 い、痛たたたたたた……!


 全身が物凄く痛い。それに、右腕がジンジンと熱を持っていて上手く動かせそうにない。

 よく見ると、折れていた筈のそこは手当がなされているようで、白い清潔な包帯が巻かれており、ギブスのようなものでしっかりと固定されているみたいだ。


「ルル! まだ起きてはいけない。 ……君は、あれから二週間も寝込んでいたのだから」


 心配そうに、ウェル様が身体を支えてくれる。


 二週間……そんなに、寝ていたの……?


「……あ……」


 口の中がカラカラだ。

 喋りたいのに、上手く行かない。


「ほら、水だ。大丈夫か……?  ゆっくり飲むといい」


 ウェル様は、私の上体を支えて優しく起こしてくれ、カップに注いだ水を少しずつ飲ませてくれる。

 口内をゆっくりと湿らせながら流れてきた水を、小さくコクリ、と喉の奥へ飲み込んだ。


「……う……」

「まだ体調が万全ではないのだから。 ……もう少し、休むといい」

「……あ……ウェ、ル……様……」

「どうした……?」

「シ、ルビア……ちゃん……は……?」


 ウェル様は、少し逡巡し、口を開きかける。言うのを躊躇っているようだ。


「……ルルの体調が良くなってから、話そう」

「……う……うん……大丈夫……。

 シルビア……ちゃんが……どうなったか……知りたいの……」

「……そうか。ルルが望むなら、話そう。 ……実は、あれからな……」


 そう言って、ウェル様は私の頬にそっと触れながら、事の顛末を話してくれた。


 あの後、騎士に連れていかれ、しばらく地下牢に投獄されていた筈のシルビアちゃんは、いつのまにか居なくなってしまったのだそうだ。


 彼女は、元々身体が弱かったのもあるけれど、出された食事に一切口をつけていなかったそうで、随分と衰弱していたらしい。

 彼女一人だけでは逃げ出すことは出来なかった筈だから、誰かが連れ去ったとみて間違いないそうだ。


 辺りを聖灰……ううん。麻薬独特の甘い香りが漂っていたようで、煙をモロに吸い込んでしまった牢番は倒れてしまい、その隙に鍵を奪われてしまったらしい。


 相手は、牢のある部分から外へと繋がる、隠し通路の存在を知っていたらしく、そこから抜け出したのではないかとされている。


 内部のごく一部の人間しか知らない筈の通路を使った為、本来ならば該当者は限られてくるけれど、連れ去った人物は、おそらくスカーレット家当主ではないかとみているそうだ。


 彼は、失踪するまで仕事でよく城に出入りをしていたそうだけれど、機密を知るような立場にはいない。

 どうやってこの隠し通路の存在を知ったのかは不明だけれど、未だに行方が知れないこの当主が娘連れ去ったのならば、説明がつく。


「……そっ、か……」


 それを聞いて、私はほっとしてしまう。

 沢山の人を殺め、取り返しのつかない事をしてしまった彼女だけれど、それでも私は、彼女がこの先も、心穏やかに生きていけるように願わずにはいられなかった。


 ……シルビアちゃん。

 また、会えるよね……?


 どうか、この世界が貴女に優しくあってくれればいい。

 そして……いつか、また。

 貴女に会える日を……私はいつまでも、待っているから。


 いなくなってしまった彼女に思いを馳せながら、下を向いて黙り込んでしまった私の頬を優しく撫でながら、ウェル様は、気遣うように私の様子を窺う。話しても大丈夫だと判断したのだろう。更に話を続けてくれた。


 次に、魔女の母親についても教えてもらえた。

 私が眠っている間に、処刑は滞りなく執行されたのだそうだ。


 貴族の子息に令嬢、そして、庶民の命を手に掛け続けた大罪人である魔女の母親は、本来ならば、処刑場で衆目の前に晒されながら刑を執行する予定となっていたのだけれど、マリアの嘆願により取り止められたのだそうだ。


 彼女の意を汲んだテオさんが、ウェル様と、現王シャルル様に掛け合った形らしい。


 晒されない代わりに、魔女の母親自らの手で毒杯を煽らせ自害をさせるという刑が、牢獄の中でひっそりと執行される事となった。


 命が終わるその日まで、魔女の母親は、娘の生まれ変わりであるマリアの存在を、決して受け入れる事は無かったらしい。


 酷く悲しそうな顔をして、マリアは刑が執行されるのを、静かに見つめていたそうだ。

 けれど、その隣には、生前の彼女の恋人だったテオさんが寄り添うようにいたそうだから、この先何があっても、きっと、この二人が一緒ならば大丈夫だろう。


「後は……個人的には……色々と残念な事があってな……」

「……?」


 そう言って、少し言い淀むウェル様に、首を傾げる。


「……残、念……?」

「あ、ああ。  ……その、テオ……私の護衛騎士だった男なのだが、魔女の母親の刑が終わった後、その……マリアという男爵令嬢と結婚すると言いだしてな……。  彼女を連れて早々に領地に引き籠もられてしまい、今連絡をとっているところなのだ。 彼は、私が密かに憧れていた男なのだが。  ……まさか、一回り以上も年下の少女に手を出すとは……」


「…………」


 まさかの情報だった。


 え……?  手を、出したとは……?

 ちょっとその辺詳しく聞きたいけれど……い、いや! 今はいいや。

 償いをしたいってマリアに言っていたから、ずっと彼女の事を想っていたんだろうとは思うけれど……!


 私の考えてる事が分かったのだろう。ウェル様は、詳しい経緯を教えてくれた。


「テオの行動は早かった……。 ルル……君が倒れたあの日、彼はすぐに男爵令嬢の実家を訪問し、囲い込んだようだ。実は、テオの実家は侯爵家でな。彼は次男なのだが、いつまでも結婚しようとしない彼に、現当主らは気をもんでいたらしい。この際年の差はどうでも良いと、諸手を挙げて喜んだそうだ。私も、彼が幸せならとても喜ばしいのだが……。 流石に彼ほどの人物に、辞められるのは困る……」


 ウェル様は、困ったように笑っていた。

 眉尻を下げて頼りなさそうに笑う彼の顔が、なんだかおかしくって思わず笑ってしまう。


「……ふふ」

「……さあ、もう眠るといい。 体調が落ち着いたら、ルルの家族に会わせよう。それと、今度はルルの話を聞かせて欲しい」


 少し節ばった手で、頭を優しく撫でられる。


 ……少し、疲れたかもしれない。

 知りたかった事が知れたからだろうか? 不安な気持ちが薄らいだ気がして、ふいに眠気が訪れる。


 うつら、うつらと頭が揺れる。


「ん……」


 クッションに身体を預けて、瞳を閉じると、意識はゆっくりと落ちていく。


 ウェル様……起きたら、貴方に、全部を話すから……


 ……それまでは……


 少しだけ、おやすみなさい。

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