幕間 彼女の結末

 薄暗い地下牢に入れられ、壁に身体を預けて眠る日々が続く。

 ふと、目が覚めて、明かり取りの窓から差し込む日差しの眩しさに目を背けるように、もう一度目を瞑りながら、ひとり、思う。


「……もう、お終いね」


 何がいけなかったのかしら……? ティアちゃんと出会ってしまったから?  あの子と、親しくなんてしなければ。 ……あの子に、友達だなんて呼ばれて、それを嬉しいと思ってしまわなければ。そうすれば、今頃は……


 ……なんて。考えても意味の無い事だわ。

 きっと、そうでなくても、いずれこうなる事は決まっていたのでしょう。


 でも……心は凪いでいて、とても穏やかだわ。

 不思議……この世界に生まれ変わってから、初めてこんな気持ちでいられた気がする。


 もう、身体を動かす事もできないの。

 ……後は、死ぬのを、待つだけ。


 死んだら、この後どうなるのかしら……?

 また、生まれ変われる……?


 ……いいえ。

 きっと、私は奈落へと堕とされるのでしょうね。たくさんの命を奪ってしまったのだもの。

 結局、人を殺して命を繋いでいても、虚しいだけだったわ。


 抗おうとする私を嘲笑うように、常に纏わり付いてくる死の匂い。

 そして、決して心休まる事の無い、終わりの見えない日々。


 せっかく綺麗なお人形達と、愛らしくて、可哀想な家畜を手に入れたのに。全部、無くなってしまったわ。

 後は、処刑を待つだけ…………


 ああ。これで——


 楽になれる……





 ——キィ





 階段の上の方から、鉄で出来た、重たい扉が開く音が聞こえるの。


「だあれ?」


 牢番かしら? でも、まだ、食事の時間ではないはず。 ……食べる気は、しないのだけれど。

 次いでドサっという、何か重いものが倒れた音と、妙に甘ったるい花のような、嗅ぎ慣れた香りが辺りに漂うの。


 この香の匂い……私の……


 お家で愛用していた香と一緒。

 香に練りこんだ麻薬に火をつけて、身体の異常を誤魔化すの。

 少量なら、苦しみから解放されるけれど、多量を一度に用いると、人体に悪影響をもたらすモノ。

 もちろん、慣れていない人が吸い込んだら、少量でも毒なのだけれど。


 黴臭い廊下に靴音が響く。

 それに合わせて香の匂いも強くなっていくようだったわ。


 コツ、コツ、とこちらに近づいてくる足音が聞えてくるの。

 その音は、すぐ近くで止まったようだわ。

 ……私の、入れられた牢屋の前で。


 ゆっくりと、目を開ける。


 明かり取りの窓から差す日の光が顔にあたり、一瞬、目を細めた。

 次第に慣れてきた視界の中には、鉄格子の向こう側に、男が立っているようだったわ。


 私の、よく見知っている男。

 ……私を愛さず、異国の地に遠ざけた、この世界での私の父親。


「……今更何の用?  ずっと、私の事を放っておいた癖に。 視界にすら入れたくないのでしょう?  貴方の最愛の女の命を奪ったのだから。 ……私が、産まれたせいで」


 男……父親は、はっと空気を飲み込んだ後、震える声音で話したの。


「いいんだ。彼女も……レベッカも、お前の事を恨んではいないさ。 ……勿論、私自身も」

「随分と都合のいい事ね。 ……私、謝らないわよ? たくさん、たくさん人を殺してきたわ。 ……それに、私のせいで貴方まで指名手配されているのですって。 ……いい気味だわ」


「……そうだな」


 言葉を切り、静かな声音で父親は続ける。


「シルビア……ここから逃げよう。二人なら、きっと、なんとかなるさ」


 この男、馬鹿なのかしら……?


「……何を言っているの?  ……私、行かないわよ。 ……どうせ、すぐに死んでしまうのだから。 行きたければ、一人で行けばいいじゃない。そして、惨めで酷たらしく死ねばいいわ」


「いや……お前と、一緒がいいんだ 。 …………茉莉」

「……名前…… どうして……?」


 一つ、思い当たる事があった。

 まさか……そんな……?  この男も、生まれ変わっていたというの……?


「………お兄、ちゃん……?」

「ああ。そうだ。俺だよ……。 茉莉、今までごめんな……」


「……」


 ああ、可っ笑しい。

 こんなに近くにいたのに、今まで気づかなかっただなんて。

 ……私、案外見る目がないのね。


 思わず自嘲の笑みが零れる。


「……はッ! 馬鹿みたいだわ。殺してやろうと思った人間が、こんなに近くにいただなんて。貴方、良かったわね。命拾いしたわよ? もう、私には、貴方を殺す力も残っていないのだもの」


「……茉莉……。 一緒に、ここを出よう」

「馬鹿な人ね。聞こえていなかったの? ……私は、もうまもなく死ぬわ。身体もうまく動かせないのだから。 後は処刑されてお終い。 ……逃げたって無駄よ」

「それでも……寿命で死ぬのなら、よっぽどいい」


 意味が分からず、男に問いかける。


「……どういう意味?」


 怪訝に思い見つめ返すと、男……いえ、兄は黙ってしまう。顔は苦悶の表情を浮かべ、まるで、辛い記憶を思い出すかのよう。


「……機械を止めた時。 ……あの顔が、今でも忘れられないんだ。苦しそうに、顔を歪めて……。 それから、最後に……目が開いたんだ」


「……」


「憎しみの篭った目で、俺を睨んだんだ。それが、どうしても忘れられなかった……。 今でも、ずっと……」


 この男は……この男自身も、苦しんでいたのね。娘として生まれた私に気づいた癖に、どうして良いかわからなくて、遠ざけたの。

 まるで、子供みたいだわ。


 可っ笑しい。

 ……もう、いいおじさんなのにね?


「そう……」


 しょうがないから、赦してあげる。


「……貴族も、意外と窮屈だったわ」

「……そうか」


「……クレープ」

「え……?」


「ここから出たら、私、クレープが食べたいの。前の生では食べられなかったから。この街にも、あるのですって。 ……それから、カフェにも行ってみたい」

「……ああ。全て行こう。茉莉が望むところ、全部」


 そう言って、男……お兄ちゃんは、牢番から奪った鍵を使い、私が閉じ込められた牢屋の扉を開くと、私の身体を抱きかかえ、一段、一段ゆっくりと、牢屋の階段を登る。


「お兄ちゃん……」

「……なんだい?」


「後ね……アクセサリーが売ってる、お店にも行ってみたい……」

「……ああ、行こう」


「……それから……庶民が着るような……お洒落な……お洋服屋さんにも……行ってみたいの……それから……………………それから…………………」

「茉莉?」


「………………」


 暖かな腕に抱かれて、ゆらゆらと、揺かごの中で眠るような心地良さを感じながら、目蓋がゆっくりと降りてくる。


 頬の皮膚が、少しずつ剥がれ落ちていく。


 身体から力が抜けていくの。

 ……ああ……もう、眠くて……たまらない……


「おやすみ茉莉……良い夢を……」


 光が完全に見えなくなった後、涙に潤んだ、優しい声が聞こえた気がしたの。

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