3-17

「ルル……! やっと会えた……! ずっと探していたんだ。 ……怪我をしているのか……? 可哀想に、痛かっただろう……?」


 目の前の彼は、まるで壊れ物を扱うように、そっと私の頬に触れる。

 見つめる瞳には、労りと。

 愛しい者を見るかのように、目を細めて。


「ウェル……様? ……本当に……?」

「ああ、勿論だ。  ……よかった。 生きていてくれて……本当に」


 心底嬉しそうに顔をほころばせ、彼の潤んだ目尻から、一筋の涙が零れおちていった。


 私は人を泣かせてばかりだ。

 ウェル様の事も、泣かせてしまったらしい。

 自分の為に、こんなにも心配をしてくれるだなんて、思わなかったのだ。

 彼は、本当に私の事を探していてくれた。

 居なくなった十年もの間、ずっと。


「ごめん、ね? ……ウェル様」

「なにを謝る事がある、ルルはなにも悪くはない!  ……とにかく、ルルに危害を加えた、この者達を捕らえなければな」


 険しい顔をしながらウェル様が二人の方を見た。それにつられるように、私もそちらを見る。


 老婆とシルビアちゃんは騎士に取り押さえられ、床に跪かされている。

 無理な体勢の為か、シルビアちゃんは眉間にシワをよせ苦悶の表情を浮かべており、その隣では老婆が苦しそうに呻いていた。


「……お母さん」


 マリアの小さな唇が、言葉を紡ぐ。

 目を見開き、呆然と立ち尽くしながら、彼女の視線は老婆に向けられていた。


 ……この人が。


 魔女の、母親……


 マリアは、老婆の顔をじっと眺めていた。潤んだ瞳を細めながら、懐かしい人の面影を探すように。


 彼女を……ううん、魔女リリスを、その命が終わるまで騙し続けたかつての母親は、その姿に老いを滲ませていた。

 髪は真っ白に染まり、かつては美しかったであろう顔には深い皺が刻まれている。


 老婆は、騎士に取り押さえられ、床に跪かされているのに、その表情はまだ諦めていないようにも見えた。

 目はギラギラと不気味に輝き、歪んだ口元には笑みを浮かべている。

 隣に同じ様に跪かされている自らの主に、老婆は小さく、小さく囁いていた。


「シルビア様……大丈夫、大丈夫ですよ……わたしが、なんとかして差し上げますからね……?」


 言われて一瞬疑わしげに眉をひそめた彼女は、なにかに思い当たったのか、目を見開く。


「……貴女、私を生贄にする気? ……いいわ。もう、どうにもならないのだし」


 彼女は、全てを諦めたように呟く。

 あんなにも生きたいと願った自分の命すら、もうどうでも良いと言うかのように。


 老婆の視線の先には、先程滑っていった銀のナイフがあった。

 彼女達からは距離がある。

 そこまで届かない筈だ。


 でも。どうしてだろう。

 ……すごく、嫌な予感がするのは。


 次いで、老婆は首からかけているネックレスを見ているようだ。先端にはガラスで出来た小さな小瓶が付いていた。

 中には……何かの粉末が入っている。


 ……なにかをするつもりなのかもしれない。


 止めなくちゃ!


 ——ウェル様に伝えようと、口を開いた時だった。


「お母さん……もうやめましょう?」


 凛とした、鈴を転がすような声が響いた。


 水色の髪を揺らしながら、老婆の前に立つマリアは、かつての母親に話しかける。

 自らに言われたのに気づいた老婆は、怪訝そうな顔で、声の主をゆっくりと見上げた。


「……貴女、誰……?」

「私よ。リリス。 ……昔、貴女の娘だった」


 老婆に訴えかけるように、マリアは話を続けた。


「……リリス……」

「そう、私。 ……私ね、生まれ変わって、貴女に会いに来たの。 ……お母さんに、酷い事をして欲しくないの。 ……だから、もうこんな事やめましょう?」


 目線を合わせるようにその場でしゃがみ、マリアは微笑みながら、老婆に向けて手を伸ばす。

 指先が触れるか触れないかまで近づいた瞬間、老婆の顔から、表情が抜け落ちた。


「……いやよ……来ないで……」

「お母さん……?」


 ピタリ、とマリアの手が止まる。


「貴女は死んだ筈なのに……わたしを恨んでいるんでしょう?  ……そうだわ……わたしを、殺しにきたのね……」

「違うわ! 私はただ……」

「来ないで! 来ないでよぉ!!」


 老婆は半狂乱になり必死に暴れた。騎士は老婆を取り押さえる手に、更に力を込める。


「お母さん……」


 彼女の事を認めようとしない母親は、押さえつけていた騎士に無理矢理立たされ、出口の方へ連れて行かれる。

 その光景を、マリアはただ、寂しそうに見つめていた。


「リリ、ス……?」


 躊躇いがちに、恐る恐る。

 護衛騎士のその人は、彼女の後ろ姿に問いかける。


「テオ……」


 ゆっくりと振り返りながら、マリアは瞬きをした。目尻から一筋、涙が伝う。


「本当に、リリスなの、か……?  そんな……まさか……また、君に会えるなんて……!」


 護衛騎士……ううん。 テオさんは戸惑いながら、けれど、それを隠しきれないぐらいの、歓喜の混ざった顔をしていた。


 マリアは一瞬、とても嬉しそうな顔をしたけれど、すぐに自身が生前、彼に何をしたのか思い出したようで、表情は昏くなり、今にも消え入りそうな声で彼に応えた。


「テオ……ごめんなさい。私、貴方に酷い事をしたわ。 ……ずっと、心残りだったの。貴方が幸せに過ごせているのか」


「ダリス君……?」

「マリア……どうしちゃったんだよ……魔女の娘だなんて……嘘だよな……?」


 様子を見守っていたクロードとマックスは戸惑っている。彼らは、彼女の前世を知らなかったようだ。


「そんな事……! 私の方が、君を苦しめてしまった。 君の最期の顔が、今でも脳裏に焼き付いて離れないんだ。 君を幸せにしたかったのに。どうか、私に償いをさせて欲しい……リリス……お願いだ……」


 縋るように彼女を見るテオさんに、マリアはゆるゆると首を振った。


「……テオ。 そんな事、しなくていいの。 ……貴方に、ひとめだけでも会えて良かった……だからね? ……私の事なんて、忘れて?」

「リリス……私は……!」


「……そして、どうか、幸せになってね?」


 ふわりと笑った後、マリアは一度、目を閉じる。それから、外へと続く道へ視線を向けた。


「……私もあの人と一緒に行きます。テオ……さようなら」


 かつての母親に付き添う為、マリアは拘束されていった老婆の後を、追いかけていった。

 テオさんはすぐに追いかけようとしたけれど、その場に踏み止まる。

 マリアを追いかけるのを躊躇っているようだ。自らの主を置いては行けないからだろう。

 それを察したウェル様は、テオさんに指示をだす。


「テオ。行ってやれ」

「王子……感謝致します……」


 テオさんはすぐさま駆けていきながら、その場を後にした。

 ……マリアの後を追う為に。


「オレも……!」

「ガイナ君……いや、やめておこう。 ……どうやら、あの二人には何かあるようだ」

「会長……」


 マックスがその後を追おうとするのを、クロードが止めていた。

 二人共、少し、複雑そうな顔をしている。

 もしかしたら彼らも、マリアに好意を寄せていたのかもしれない。


 そして……

 続くように、無理矢理立たされたシルビアちゃんも、騎士の手により連れて行かれる。


「待って!」


 私は咄嗟に声を掛けた。

 彼女に、どうしても伝えたい事があったから。


「シルビアちゃん! ……私ね、今でも貴女の事、大事な友達だって思っているよ? 優しい貴女が、私、大好きだったの。だから!  ……また、昔みたいに笑える日を、ずっと、待っているから……!」


「……」


 返事はなかった。

 彼女は、私の方を一度も振り返らず、後ろ手に拘束されたまま、騎士達に連れて行かれた。


「ウェル様……シルビアちゃんは、どうなるの……? 殺したりしないよ、ね……? 大丈夫だよね……?」

「ルル……残念だが、あの者は人を殺しすぎたのだ。これから隣国に引き渡すことになるが、おそらく処刑は免れないだろう」


 ——処刑。


 ……彼女が、死んでしまう。


「だめだよ……殺しちゃ……お願い、殺さないで……」

「ルル……そうか、君は、あの者と仲が良かったのだな……」


 子供のように泣きじゃくる私に、ウェル様は折れた右腕に触れないよう、優しく引き寄せてくれて私の背中を撫でてくれた。

 酷く懐かしい温もりを頬に感じながら、私は彼女を思い、泣き続けた。


「……っ」

「ルル……?」


 全てが終わり、緊張の糸が解けたからか、折れた箇所に引き裂くような激痛が走る。

 額に脂汗が滲み、身体から急速に力が抜けていく。


「ルル!!」


 そして、私の意識は、底のない真っ暗な闇の中へと、飲まれていったのだ。

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