3-16

 「シルビアちゃん……」


 綺麗な顔で微笑む彼女の姿は、隣国で私と一緒に過ごしたあの日のままだ。

 違うのは、血に塗れたドレスと。 ……私を、殺そうとしている事だけ。


「まあ……? マリアさん、貴女も来ていたの? 悪いのだけれど、貴女はいらないわ? だって、私に命をくれないんですもの」

「……スカーレットさん、こんな事、止めなくてはいけないわ! 貴女、自分がなにをしているか分かっているの?」

「……五月蝿い。  ……私はね? ティアちゃんに用があるの。 貴女は少し、黙っていて頂戴?」


 マリアは咎めるような視線を、シルビアちゃんは、興味を失った玩具を見るかのような視線を向けながら、二人は対峙している。


 他のしもべの姿は何処にも見えない。クロードと、マックスが倒した者達で全てだったようだ。


 ——残ったのは、私を突き落とし、ここへ閉じ込めたシルビアちゃんだけ。


 もう彼女に味方は残っていない。

 それなのに、彼女は一人、扉の前で佇んでいる。

 現状、とても不利な筈だ。 こんな状況なのに、どうしてそんなに落ち着いた表情をしているのだろう。 それに、彼女が匿っていた筈の、魔女の母親はどこに行ったのだろうか。

 ……少し、妙な気がする。


 警戒を露わにしたクロードとマックスは、私達を守るように前に出て剣を構える。 シルビアちゃんは、首をゆっくりと巡らせながらそれらを一瞥し、彼等の後ろにいる私に視線を定めて、優しい笑顔でふわりと笑う。


 一歩、また一歩と私に向かいながら歩みを進め、彼女は少しずつ、その距離を縮めていく。一緒に過ごした隣国での日々から、随分と遠くなってしまった穏やかな声音が、私に訴える。


「……ティアちゃん。 私ね、苦しいの。 お願いよ……ティアちゃんの命を、私に頂戴?」


「な……! アイツ、何言ってんだよ?!」

「……勝手な事を」


 マックスとクロードは、静かに怒りを湛えている。剣を握りしめる力が強くなり、切っ先が、シルビアちゃんに向けられる。


「私とずっと、共に生きましょう?  大丈夫。怖くはないのよ? ……儀式により命は交わり、ティアちゃんの魂は私の糧となるの。そうして、二人で永遠を生きるのよ? ……ね? とっても素敵でしょう?」


「ルルティアさん、彼女の話を聞いてはダメよ……! 儀式をしても永遠なんて存在しない。それどころか貴女は死に、生きるのは、スカーレットさんただ一人だけだわ」


 マリアは私へ警告を促す。取り込まれた者と同じ末路を、私が歩んでいかないように。


「……ティアちゃん。 私を信じて?  だって、私達、お友達でしょう?」


 寂しそうな瞳で私を見つめながら、彼女は更に歩みを進める。その度に、コツリ、コツリと足音が反響する。

 緊張の糸が張り詰める。身体が強張り身動きがとれない。

 ……けれど、不思議と彼女の穏やかな声音は、水のように私の中に染み込んでいく。


「私ね。ずっと、ずっと苦しかったの。 前の人生ではね? 全てを奪われたのよ。この世界で生まれ変わって、やっと、自由に動ける身体を手に入れたの……私、今度こそ長く生きてみたい。 本の中だけでなく、本物の世界をこの目で見てみたいの……! もうまもなく、私は死ぬわ。 ……でも、死ぬのはもう嫌! ……ねえティアちゃん……お願いよ……」

「シルビアちゃん……」


 紡いでいく言葉の端々に、彼女の悲痛な叫びが滲んで聞こえる。

 とても苦しそうに私に訴えかけるその姿は、酷く、泣いているようにも見えた。


 生きたい、という心からの願いを私に請う彼女は、不安に押し潰されそうな迷子の子供のようだ。

 ……出来る事ならば、彼女の願いを叶えてあげたかった。


 ……でも、彼女が望む、この願いだけは。


「……ごめんね、シルビアちゃん。 私の命は、あげられないよ…… こんな私でもね、待っててくれる人達が、いるんだ。 ……シルビアちゃんが、儀式をしなくても生きていけるように、一緒に方法を考えよう? ……きっと、何か良い方法がある筈だよ……だから……!」


「……それではダメなの。私の心臓は欠陥品なのよ? ……もう、何をしても手遅れなの。 ティアちゃん。 ……ティアちゃんも、私に、命をくれないのね」

「うん……他の物なら、なんだってあげる。でも、この命だけは、これだけはダメなの……」


「そう……」


 シルビアちゃんの表情が翳り、瞳から光が消える。

 私の答えを受け入れるように、彼女はゆっくりと、静かに俯いた。


「……残念だわ」


 彼女がそう言った瞬間、私達の背後の物陰から人影が飛び出してきた。暗くてその姿を捉える事が出来ないけれど、手には銀色に輝く何かを握っている。


 銀色は私目掛けて走ってくる。

 突然の事に咄嗟に反応出来ない。


 クロードとマックスは驚いたように振り返る。

 マリアは悲鳴をあげている。


 銀色は目の前に迫る。ナイフを握っているのは老婆だった。

 死の危険が迫っているのに、不思議と私の心は凪いでいた。


 ——ああ、私、また、死んじゃうのかな……?


 痛いのは、嫌だなぁ。

 きっと、折れた腕の比じゃないくらい、痛い筈だもの。


 ……でも。

 ……最期に、家族と……


 ……ウェル様に、会いたかったなぁ……


 死の間際、全てはゆっくりと見えるらしい。

 ナイフが私目掛けて距離を縮めるのを、まるで他人事のように眺めていた。きっと今度は助からないだろう。切っ先がワンピースの生地を掠め、刃が肌に突き刺さる、瞬間。


 ——キィン、と金属同士がぶつかる甲高い音が聞こえ、次いで何処からか放たれた長い剣が床に突き刺さる。


「——っ!」


 ナイフは老婆の手から弾かれ、銀色の軌跡が床の上を滑っていく。


「え……?」


 気がつくと、目の前には、私を庇うように立つ壮年の騎士と、豪奢な衣装を身に纏った二人の男性が立っていた。

 一人目は、昔会った事のある、護衛騎士の無愛想な人。

 そして、もう一人は……


「ティア様ー! 王子サマの事、確かに連れてきたからねっ!」


 ふいに聞こえた声の方を振り向く。

 緩やかに見えた視界が動き出し、耳には止まっていた喧騒が飛び込んでくる。


 視線の先には、騎士を引き連れて、出口の外側から大きく手を振り叫ぶメル君の姿が見えた。老婆とシルビアちゃんは既に大勢の騎士に取り囲まれ、床に押さえつけられている。


 ……王子様……?


 すぐ側にいる人物の後ろ姿を、仰ぎ見る。

 白い豪奢な服に身を包んだその人は、昔、別れたあの時よりも、随分逞しく成長したようだ。


 背は高くなり、見上げなくてはきっと、顔が見えないだろう。

 天使のようだった麗しい金色が振り返る。

 五歳のあの日に見た面影を残す紺碧色の瞳には、ほっとした私の顔が映っていた。


「ルル! 大丈夫か!!」

「ウェル、様……?」


 ——幼い頃の私の友人。


 そして今の私の婚約者、オリウェリウス・フォン・ダグラス様の姿が、確かにそこにあったのだ。


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