幕間 魔女

 祈りましょう

 捧げましょう

 あなたの幸せを願いましょう


 ——これはね? いつも母が聞かせてくれた、正しい心を導く言葉よ?




 母は私が幼い頃から、神に祈りを捧げれば、必ず幸福になれると考えているような人だったわ。

 とても純粋だったのね。私の父にあたる人に手酷く裏切られたのに、最後には必ず戻ってきてくれるって、ずっと信じていたみたい。


 自分にとって都合の良い事のみを、盲目的に信じるような人だったけれど、優しい母が、私は大好きだったの。


 皆の幸せを祈りましょう。

 善行を積み、他者への優しさを失わなければ、その行いは実を結び、いつの日か自らの元に幸福が返ってくるでしょう。


 幸いが訪れるその日まで、決して人を憎まず、恨まず、穏やかな心で過ごしましょう? って、いつも私に言い聞かせていたわ。


 幼かった私はすぐに信じて、母と一緒にお祈りをしたの。

 そうすれば、未来は希望に溢れ、素敵なものになるでしょうからって。


 母は、若い頃はとてもモテたのですって。庶民には珍しい、綺麗な金の髪に、澄んだ湖面のような瞳をしていたから。

 けれど、母が庶民だとわかると、恋人だった人達は皆、母の元から去っていったの。そうして最後に私を身篭ったのよ?


 生まれてきた子は、この世に存在する筈の無い色を持った、異質な容姿の赤ちゃんだった。


 真っ白な髪に、柘榴色をした真っ赤な瞳。 ……それが、私。

 

 母はすぐに私を隠したの。

 決して誰にも見られないように、虐げられる事のないように、家の中にずっと。


 でもね? 生活は貧しくて、私達はいつもお腹が空いていたわ。

 いつしか、少なかった食料がとうとう底を尽きてしまって、母は私の手を引きながら、川へ向かって行ったの。


 今思えば、私を道連れにして殺そうとしていたのね。その道の途中で、偶々出会った村の人に声をかけられたの。私の珍しい容姿を見た村の人に、神の御使だと言われて親切にされてから、母は変わってしまったわ。


 母はなんでも出来る力を持っていたの。この世界を狂わせる、とても強大な力を。

 私の父だった人に捨てられて、悲しみに暮れているうちに、男性とも女性ともとれる不思議な声が、いつしか母の頭の中に響いたのですって。


『嘆きの声をあげ、失意にくれる人の子よ、敬虔深いあなたの願いを叶えてあげましょう。 代償を捧げれば、全てはあなたの思う通りとなりましょう。 ——幸せにおなりなさい』って。


 けれどその力は、自分自身の為には使えなかったみたい。あくまでも、他者の為に使う願いでなければ叶わないの。


 だからね。最初は小さな虫の命を捧げて、未来を見てみたの。

 私を神の使いだと言った、あの人が暮らす村の未来を。

 近々あの村で、酷い土砂崩れが起こるのですって。

「あなたが村の人に教えてあげてね?」そう母に言われたから、村の人達の前で、私は母が言った内容を諳んじてみせたわ。


 村の人達は半信半疑だったみたいだけれど、言う事を聞いても損はないからと言って避難したのよ。


 ……そして、土砂崩れは本当に起こったの。

 村の人達はとても喜んでくれたのよ?

 食べきれないくらいの食べ物を貰って、母はとても嬉しそうにしていたわ。私も、久しぶりに見た母の幸せそうに笑う顔が嬉しくて、もっと手伝おうと思ったのよ?


 ——だから、気付かなかったの。


 とっくに、母が狂ってしまっていた事に。


 その事をきっかけに、村の人達は、「娘さんのお告げを聞かせて下さい、未来に訪れる災いを退けて下さい」ってお願いしに来るようになったわ。それから、母に沢山の貢ぎ物をくれるようになったの。


 そうして、母がお告げを聞いては、私が彼らに伝えるのを繰り返しているうちに、その規模はどんどん大きくなっていき、いつのまにかそれは、“サバト”と呼ばれるようになっていたの。


 それから月日は流れて行って、いつしか、私が年頃の娘になった頃、一人の騎士と出会ったのよ?

 彼はね、偶々ある任務でこの地を訪れたのですって。


 人とは違う私の真っ白な髪を、彼はとても綺麗だと言ってくれたわ?

 真っ赤な血のようにも見える柘榴色の瞳も、宝石のようだと褒めてくれたの。


 嬉しかった……そんな風に褒めてくれたのは、彼が初めてだったから。母ですら、初めは私の事を隠そうとしたのに。


 でもね、彼は貴族の生まれだったから、身分違いの私とは、決して結ばれる事はないのだってわかっていたの。それでも私は、彼と一緒に過ごせるだけで、この上なく幸せだったのよ?


 彼は、私に一緒になろうと言ってくれたわ。今の任務が終われば、私との結婚を認めてもらえるからって。約束だと言って指輪をくれたの。

 そのお返しにね、私は御守りを縫ったのよ?


 真っ白な色の生地に、星の形の刺繍を入れた、小さな小さなアミュレット。

 願いを込めてひと針ひと針縫ったの。


 ——彼が護られますように。

 ——彼に幸運が訪れますようにって。


 昼は彼との逢瀬を重ねて、夜は闇に紛れて囁くの。

 村の人々に、母から聞いた未来を諳んじて、希望と真実の祈りを謳うのよ。


 母が伝えるのは、黒い神の秘密の教え。

 いつも言っていたわ。

 お告げで聞いたものは全て、この世界の真実なのですって。


 国が囲うのは白の神。

 静謐で光を纏うけれど、その本質は無邪気で残酷。


 我らが崇めるは黒の神。

 慈愛に溢れ、奇跡を起こし、正しい道を指し示すけれど、その対価に血肉を求める。


 代価の命は失われてしまうけれど、その代わり、苦しみもがく人々を救ってあげられる。

 善行を積む行為だって、教わったわ。


 ——恋人を亡くし、失意にくれる者には、醒めることの無い優しい夢を。


 ——事故で身体を壊し、満足に仕事ができない農夫には、自由に動ける新たな手足を。


 儀式の為に新鮮な生贄を献上し、我らが神に祈りを捧げましょう。

 さすれば、貴方達はこの世のありとあらゆるものから解放され、天上へと導かれるでしょう。


 私は祈りの乙女だと、みんなが言っていたわ。


 ——どうか私達をお導き下さい。

 ——神の言葉を授けて下さい、って。


 祈りを捧げる愛しい仔羊達に、私はいつも頼られていたの。

 ここは私の大事な居場所だったのよ。


 沢山の人々の、現世での苦しみを断ち切ってあげましょうと、母は私に囁くの。


 私はその言葉を信じて、ずっと、ずっと仔羊達に伝えてきたわ。


 けれど、その愛しい日々に、ついに終わりを迎える日がきたの。


 王妃様の魂を、この世に留める儀式をしていた時だったわ。


 沢山の騎士に囲まれて、次々と仔羊達が倒れていったの。辺りは血で真っ赤に染まる中、気づいたら私の目の前に、ある騎士が立っていたわ。


 ……私の大好きな彼だった。


 フードを目深に被っていたから、きっと、私に気づかなかったのね。彼は、私の胸に深く剣を突き立てたの。

 うまく呼吸が出来なくて、ゆっくりと身体が傾いでいったわ。フードが外れて私の顔が見えた時、彼は酷く狼狽えていたわ。

 嗚咽を漏らしながら、「どうして」と泣いていたの。


 私の亡骸を、ずっと抱えたまま。


 その時に、彼に渡そうと思っていたアミュレットを落としてしまったの。

 雪のように真っ白だった生地は、私の血を吸い上げて、みるみる真っ赤に染まってしまったわ。


 彼……ううん。テオには酷い事をしてしまったわ。

 自分の恋人を手にかけさせるだなんて、そんな事をしたから、きっとバチが当たったのね。


 私は天上へは行く事ができず、魂は現世に留まる事になってしまったの。

 でもね、私が事切れる間際に不思議な声が聞こえたの。

 本当は、母にしか聞こえない筈の、神様の声が。

 私にしか聞こえていないみたいだったわ。


 これはね……私の血を捧げて聞いた、私だけが知る最後のお告げ。


『まもなく異界の地より、愛し子の魂が攫われてくるでしょう。その者は、怨嗟に塗れた穢れた魂の持ち主。やがてその者はこの世界を破滅に導き、世界は終焉を迎えるでしょう』


 ——そんな事、させないわ。


 私を慕う仔羊達や、大好きな母。 ……それに、愛しい彼の生きるこの世界を、私が守るの。


 愛し子は、ある男爵の庶子として生まれるの。

 特徴は、水色の髪に、ピンクの瞳をもつ、とある貴族の血筋。

 幽体となった身体で家を探して回り、ついにみつけたの。


 宿ったばかりの胎児に乗り移り、その身体を手に入れる事に成功したわ。

 それから僅差でやってきた、本当の愛し子の魂は身体から弾かれて、何処かへと消えてしまったの。


 ……けれど、これで終わりではない筈。

 おそらく、私と同い年で生まれる、いずれかの胎児の中に入ったでしょう。


 成長したら、その子を探し出して、必ず止めさせなければいけないわ。

 私の愛するこの世界を、壊させはしないの。


 ……それが、魔女と呼ばれた私の、最初で最期の罪滅ぼしなのよ?

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