幕間 転生者 シルビア
真っ白な壁に、清潔な白いカーテン。
目を覚ますと真っ先に見える、わたしの過ごすお部屋の光景。
身体は透明な管で繋がれていて、動かす事は出来ないの。
六歳の時に、わたしとお兄ちゃんと、お母さんの三人で横断歩道を渡っていたら、信号無視をした車に轢かれて、それからわたしの身体は動かなくなったの。
お母さんは、咄嗟にお兄ちゃんを守って車を避けたから、二人は無事。
わたしはお母さんに選ばれなかったけれど、でもしょうがないと思っていたの。
突然の事だった筈だもの。
きっと、どちらかしか助けられなかったんだと思うから。
その時の事はあんまり覚えていないけれど、でも、さみしくはないの。
だってわたしには、いつも家族がお見舞いに来てくれるから。
「
「茉莉ちゃん、今日はとっても良いお天気だよ」
お母さんは頭を優しく撫でてくれて、お父さんはその隣で微笑んでいる。
「後でお兄ちゃんもお見舞いに来てくれるよ」
それを聞いて、嬉しくなる。
わかったの意味を込めて、瞬きを一度、パチリとする。
おしゃべりする事も出来ないけれど、意思の疎通は出来るの。
瞬きを一回が、『はい』
瞬きを二回が、『いいえ』
「茉莉はお兄ちゃんが大好きだねぇ」
もちろん! 瞬きを一回、パチリ。
それを見てお父さんが嬉しそうに笑う。
お父さんとお兄ちゃんの二人とは、血の繋がりはないの。わたしが五歳の時におかあさんが再婚して出来た、新しい家族。
でも二人とも、わたしにとっても優しいから、わたしもお父さんとお兄ちゃんが大好き。
「茉莉〜! ただいま〜!!」
ドアが勢いよく開く音が聞こえた。お兄ちゃんだ! お帰り。待ってたよ。
「こらこら、祐介。ドアは静かに開けなさい」
お父さんはしょうがないなあ、という顔をしていて、お母さんは楽しそうにしている。
開けた窓から、ふわりと優しい風が病室に流れてくる。
ずっとこんな日が続くといいなあ。
ーー
ーーー
いつの日か、お父さんとお母さんが病室に来なくなった。
どうしてなのかわからなくて、すごく悲しかったけれど、ある日、お兄ちゃんが教えてくれたの。
わたしに妹が出来たんだって。
しばらく忙しくなるから、二人は来れなくなるけど、でも落ち着いたら来てくれるって聞いてほっとしたの。
少し寂しかったけれど、でも、大丈夫。
だって、わたしにはお兄ちゃんがいるから。
お兄ちゃんだけは、変わらず毎日来てくれるの。だから平気だよ?
わたしはお兄ちゃんを安心させるように瞬きをしたの。一回、パチリ。
それを見て、お兄ちゃんはホッとした顔をしていた。
早く、新しい妹が見たいなあ。
ーー
ーーー
それから、季節が何度も変わったけれど、お父さんもお母さんも、わたしに会いに来てくれる事はなかったの。
でも、変わらずお兄ちゃんは毎日わたしに会いに来てくれて、いつもたのしいお話を聞かせてくれる。
それは学校で起こったお話しだったり、最近流行っているアニメのお話だったり。面白おかしく話してくれるから、わたしはそれを聞くのが毎日の楽しみ。
最近気づいた事があるの。
わたしのお世話をしてくれている看護師さんは、わたしが眠っているように見えると、噂話を喋ってくれるって。
看護師さんは、いつも二人で来て、ここなら誰にも聞かれないからって、いろんなお話をしてくれるの。
同じ病院で入院してる患者さんの事だったり、看護師さんの恋人のお話だったりして、聞いてるだけのわたしもハラハラしたり、ドキドキしながら聞いていたの。
その中には、良くない意味の言葉も含まれていて、少し、嫌な気分になったけれど、それも何度か続くと気にならなくなっていったの。
今日も寝たふりをして噂話を聞いているよ。
看護師さんは、わたしが本当に寝ていると思ったみたいで、沢山の噂話をしてくれたの。
わたしはいたずらが成功したような気分になって、小さくクスクスと笑ったの。
本当に笑う事は出来ないから、心の中でだけれど。
ふいに、お兄ちゃんが楽しそうに聞かせてくれたお話を思い出したの。
綺麗な言葉をかけ続けた植物は、普通に育てたものよりも早く成長を遂げて、美しい花を咲かせるんだって。
それなら、醜くて汚いことばを浴びせ続けたら、その植物はどうなるのかな……?
ーー
ーーー
「はあー、最悪! 今日失敗しちゃってさあー? 内科の先生におこられたのよ〜」
——まあ、可哀想に。
だけど、気づいていないのでしょう? 誰も貴女を本当に心配などしていないわ。息遣いで分かるもの。内心、みぃんな貴女を見下しているわよ?
「まぁまぁ。気にすることないわよ? あの人誰にでもそうだから。 それにさ、この子よりはマシじゃない? 私達、寝たきりじゃないんだし」
「確かにそうね〜。 私だったら無理。死んだ方がマシだわ」
——お生憎様。私は貴女達とは違うの。たった一人の兄だけど、私の事を大事に思ってくれている人がいるから、私は幸せよ?
看護師達は、今日も言葉を垂れ流していく。私が眠っていると思い込んで。
彼女達は満たされていないようで、私を引き合いに出しては、自分の方がマシだからと、現状を見ないフリをしているの。とっても滑稽で、そして愚かだわ?
ある看護師は、恋人と破局。
またある看護師は、患者に辛くあたられる。
誰にも愛されない彼女達は、不満をこの病室で吐き出しながら、自分達はまだマシだと傷の舐め合いをしているの。
でも、愚かで憐れな彼女達の事は、嫌いではないわ。彼女達には、沢山の事を教えて貰ったのだもの。
しばらく不満を吐き出していた看護師達は、私に取り付けられた器具のチェックが終わったからか出て行った。それから間をおかずに、お兄ちゃんが来てくれたわ。
「茉莉。ただいま」
お兄ちゃん! おかえりなさい?
瞬きを一回、パチリ。
「今日は紹介したい人がいるんだ。 ……おいで?」
「失礼しま〜す。あ、私、お兄さんとお付き合いさせてもらってます。 茉莉さん、ですよね? よろしくお願いします」
……だあれ?
お兄ちゃんに、瞬きを二回、パチリとする。すると、お兄ちゃんは苦笑して説明してくれたわ。
「この人は俺の彼女なんだ。会社の後輩でね。茉莉に紹介したくて来てもらったんだ」
……彼女。
私とお兄ちゃんだけの世界に異物が紛れ込んでしまった。 ……ううん。そんな事思っては駄目ね? お兄ちゃんが選んだ人だもの。きっと、良い人に決まっているわ?
それから、病室に生けられたお花のお水を替える為に、お兄ちゃんは廊下へ出て行ったの。私と二人だけになると、彼女さんは、私に話しかけてくれたわ。
「茉莉さんって、なんだか他人に思えないなあ〜! 実はアタシ、姉がいたんです。生きてたら茉莉さんと同い年になるのかな? ……変わった人だったな〜、そりが合わなくてさあ。あの人、家を出て行っちゃって。やっと聞いた知らせが、人を助けて死んだだもん。吃驚しちゃったよ〜!」
胸が締め付けられるような悲しいお話だわ。でも、どうして彼女さんは、なんでもない事みたいに、明るく話しているのかしら。
「しかもさあ、死んだ理由が、お年寄りを助けようとして下敷きになっただよ? 意味がわかんないよね? 別に助けた所ですぐに寿命がくるのに。あの後、そのお爺さんが家にお線香上げに来てさあ。自分を助けたばっかりにって、泣きながら謝るんだもん。すごく困ったよ〜!」
彼女さんはすごく迷惑そうな顔をしていて、そのあんまりな言い方に引っかかりを覚えたけれど、でも、お兄ちゃんが選んだ人だもの。きっと、偶々変な言い方をしただけで、悪い人ではない筈と、必死で考えるようにしたわ。けれど、その時に湧き出た不安は、ずっと心に引っかかったままだったの。
それから、まもなくお兄ちゃんと彼女さんは結婚をしたわ。
二人は毎日私のお見舞いに来てくれて、そうして、いつしか二人の間に子供が産まれて、病室に訪れる人数は三人になったの。相変わらず、私の両親はあの日から一度も来る事はなかったけれど、代わりにお兄ちゃんの家族が来てくれるから淋しくはないわ。 ……その、筈だったのに。
いつのまにか、彼女さんから奥さんになったあの人は来なくなってしまった。その子供もまた、同じく。 初めはあんなに仲が良かったのに。どうしてかわからなくて、お兄ちゃんに瞬きを二回、パチリとしたけれど、お兄ちゃんは寂しそうに、ただ、笑うだけだった。
お喋りな看護師達が囀るの。どうやら、お兄ちゃんは離婚をしたらしい。私のお見舞いに毎日行く事で、奥さんと喧嘩になったから。
身内にこんな子がいればねえ?と、看護師達はヒソヒソと囁く。
私のせい……? 私が、動けないから……?
でも、こんな身体になったのは、私のせいじゃないのに。
お母さんが、お兄ちゃんを庇ったから。私を助けてくれていたら、私は今でも動けていたのに。
そうやって、身体の中に溜め込み続けた真っ黒で汚れた感情を、誰かに伝えたかったのに、その頃にはもう、瞬きをする事も出来なくなっていたの。身体は静かに衰弱していき、自分で呼吸する事すらも、機械がなくてはままならなかったわ。
「妹さんは、もう意識もほとんどないでしょう。身体も衰弱してきており、機械を繋いで生きているのがやっとです。 ……どうされますか?」
「先生……どうか。妹を楽にさせてやって下さい」
お兄ちゃんと、主治医の先生がお話をしているのが聞こえたわ。
……私を殺す話を。
やめて、やめて! ……私はまだ生きているよ? ……私、まだ生きていたい。
「では。機械を止めます」
「茉莉。 ……ごめんな……」
やめて! ……やめて……!
…………………ヤメロ。
機械が止まり、息が苦しくなった瞬間、全てを思い出したの。
六歳のあの日。
私だけが大怪我をしたあの時。
車は私には当たらない筈だった。
……私が突き飛ばされなければ。
そうだ……私。“お兄ちゃんに突き飛ばされた”んだ。
歪んだ笑顔で私の背中を押す兄の姿が、鮮明に、脳裏に浮かぶ。
当時、両親が再婚したばかりで、兄はおそらく、私に父が盗られると思ったのでしょう。軽い気持ちだったのかもしれない。こんな風になるだなんて、思わなかったのでしょうね? ……でも。私は、そのせいで全てを奪われた。私が過ごす筈だった、学校や、会社に、友人だって!
兄が私に毎日会いに来ていたのは、罪悪感からだったのでしょう。
兄は、私を心配していたからでは無かった。ただ、そうする事で、楽になりたいだけだったのね……
装置を切った時、兄の、ほっとした息遣いが聞こえるのがわかった。
……許せない。
私から全てを奪ったこの男が憎い。そして、私を見捨てた両親も赦さないわ。
空気のように笑い、私を見ない父も。
私を庇わず、新しい家庭に執着する母も。
そして、私から自由を取り上げた兄も。
……覚えていろ。次に生まれ変わったら、お前ら必ず——
——
怨嗟の思念に呑まれて、私の意識はプツリ、と途絶えた。
ーー
ーーー※
次に目覚めた時、私は新しい身体を手に入れていたわ? 産まれたての、小さな赤ん坊の手。成長さえすれば、自由に動かせる身体。
どうやら、次に産まれた世界は、義姉だった女が話してくれた、乙女ゲームというものの世界らしいの。
成長するにつれ、復讐を誓ったかつての家族の姿を探したけれど、どうやらアイツらは生まれ変わってはいないようだったわ。
この世界で、なんでも願いが叶う方法は知っているの。 ……魔女の母親。あの女さえいれば、邪神に願いを聞き届けて貰い、どんな願いでも叶えられるわ? ……まずは、この新しい身体をなんとかしなくては。 汚らしい藁の様な髪に、赤茶の薄ぼけたぱっとしない瞳。そばかすの薄っすらと浮かぶ醜い肌。
人は美しいものに強く惹かれるの。だから……
——男を惑わし、堕落させる身体が欲しい。
——皆が羨望の眼差しで見つめ、跪く美貌が欲しい。
願いを叶えて貰うのには代償がいる事も勿論知っているけれど、人が死ぬぐらいなんだっていうの? 私は前の人生で全てを奪われたのだから。 ……なら、新しい人生で、全てを手に入れても良い筈だわ。
……ああ。早く、あの女を迎えに行かなくては。
可愛い可愛い私の家畜。
死ぬまでずうっと可愛がってあげるわ?
だからその見返りに、私に全てを捧げてね?
その身体が朽ちて灰になる日まで、私に尽くして死になさい。
ーーー※
「……胸糞悪い夢……」
いつのまにか眠っていたみたいだわ。前世の事を夢に見るだなんて。
……きっと、ティアちゃんに会ったせいね。
視線を下に向けると、頭の悪そうな薄桃色の髪の女が倒れている。
片腕はおかしな方向に曲がっているから、きっと、階段から突き落とした時に折れてしまったのね……?
この子は大事な贄なのだから、なるべく傷つけたくはなかったのだけれど。
かつて、魔女のサバトが行われていた場所。ここで、儀式を執り行い、贄を捧げれば、今度こそ私の心臓は治るわ?
普通の人間ではダメだった。子供から年寄りに至るまで、動物もいくつか試したけれど、他の部分は変えられるのに、心臓だけは、どうしても完全に治せなかった。
……下等な血肉じゃだめね。やはり血統の良い、上等な血肉が必要なのだわ。
この世界には、重要な人物が二人いるの。主人公のマリアと、その対である、悪役令嬢ルルティア。
どちらかの命を捧げれば、きっと、この欠陥品の心臓も治るでしょう。 ……けれどどういう訳か、悪役令嬢の姿は見当たらない。幼い頃に居なくなってしまったのですって。なら、主人公の方を捧げましょう。 ……もう、私には、時間が残されていないのだから。
心臓は日に日に鼓動を弱めていき、自身の寿命を悟ったわ。もうまもなく私は死ぬ。 ……そんなの嫌。私はもっと生きるの。前の人生のように、惨めでみっともなく死ぬのはもうたくさんだわ。
学園に入学してからマリアに近づいたのに、この女には隙がなかった。気がつけばいつも、男をはべらしているのですもの。 ……いえ、男の方が、勝手についてきているのかしら?特に騎士見習いの男と、生徒会長の男。あの二人が邪魔ね。なんとか引き剥がそうとしたのに、どうしても上手くいかない。
もう時間がない。
弱っていく心臓を繋ぐ為に学園を去り、小さな命を刈り取っていったわ? 無いよりはマシだったけれど、それを嘲笑うように、寿命は少しずつ迫って来たの。
だから。
……ティアちゃんが悪いのよ? 見逃してあげようとしていたのに、私の目の前に現れるから。
この女に出会ったのは偶然だった。まさか、悪役令嬢が逃げた先が隣国だなんて、誰が分かるというのかしら?
それに、この女も前世の記憶があるようで、話し方や雰囲気で前世での義姉に近い存在だという事はすぐにわかったわ。
……でもこの女は、あの義姉のように、不快な言葉は吐かないようだったけれど。
それどころか変わった人間のようで、私に会う前に商売を始めていた話を面白可笑しく話してくれたわ。
電気屋さんがやるような作戦をやっていただなんて話を聞いて、あまりの馬鹿馬鹿しさに思わず笑ってしまったの。
前世の知識がなくては分かりっこない話をこの女はベラベラと喋るようだった。
随分と抜けた性格をしているらしかったわ。
この女の家の後ろ盾になったのは、ほんの気まぐれ。 ……決して、絆された訳ではないもの。悪役だって気づいてからも見逃していたのは、命を刈り取るのが、少し、惜しくなっただけよ。
でも、それももうお終い。
「ティアちゃん。すぐに楽にしてあげるから。待っていてね……?」
それから、小部屋になっている此処を出て、鍵を掛けるの。
この女が、逃げられないように。
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