3-10
クロード・ホーエンと別れた私達は、とにかく一度、宿へ戻ろうという事になった。
どちらの鳥で報告するか揉めていた彼等は、結果、授業が始まるからと戻っていったクロード・ホーエンに押し切られた形で決着がつき、彼のハイタカで報告する手筈になったようだ。
「何か進展があれば追って連絡する」と言って、生徒会長である彼は、爽やかな笑顔を残しながら去っていった。
その右肩には、ようやく落ち着けたハイタカを乗せて。
馬車に乗りながら、私とメル君は始終無言で椅子に座っていた。
頬杖をついて不満そうな顔をしていたメル君だったけれど、瞳をチラリとこちらに向けて、口を開いてはやめるを繰り返している。
それから、しばらくしてようやく話す気になったようで、彼は、先程打ち切られていた会話を持ち出してきたのだ。
「ねぇティア様。 ……さっきの事だけど、ボク納得してないからね。そりゃあ、こっちだって正体隠して近寄ったとこあるけど、知っていて黙っていられるだなんて良い気はしないよ」
「う、うん……ごめんね……?」
厳密には、つい先程思い出したので知っていた訳ではないのだけれど、それを言ったら夢で見た発言に矛盾がでる上に、余計にややこしくなりそうなので言うのを止めた。
メル君は頭をガシガシと掻きながら盛大な溜息をつき、細めていた目尻を和らげた。
「はー! ……まあ、いいや。ボクだって人の事言えないんだし。その代わり! 宿に着いたら、ティア様が隣国に来てから今までの事全部、洗いざらい話してもらうから! いいね?」
「う……! わ、わかった」
「ん。 ……ついたみたいだね。じゃあ、降りようか」
話がひと段落した所で、馬車はちょうど繁華街へと到着し、私達は一ヶ月ぶりにダグラスの街へと降り立った。
長らく共に行動した御者とも、ここでお別れだ。
お世話になったお礼を伝えると、御者の彼は「また使う事があれば是非とも自分を呼んで欲しい」と、私……ではなく、私の隣にいたメル君に熱心に売り込みを掛けており、若干……いや、だいぶ顔を引きつらせたメル君との距離を、じわじわと詰めているようだった。
御者は、意を決してメル君の手を握ろうとしていたが、それを感じ取ったらしいメル君は素早く躱しながら私の背後に隠れ、まるで借りてきた猫のように、露骨に警戒しながら、私の肩から顔を半分覗かせ始終無言を貫いていた。
その様子を残念そうに目で追っていた御者が、私に向き直った。表情を真近で見た所で、なるほど、と妙に納得したのだ。
メル君が言っていたのはこれだったのか。
彼を見つめる御者の表情は、どこか恍惚とした怪しい感じに見える。確かにこれなら身の危険を感じるのかもしれないな……って。
あれ? 私いま、盾にされてない?
とりあえず、御者の差し出された手がずっと虚空を掴んだままになっていてなんか可哀想だなと思い、代わりに私が握手をしておいた。
私と目が合うと、それまで異常者のように熱を帯びていた御者の目には知性の光が戻り「くれぐれも後ろの彼によろしく」と言いながら、御者はいい笑顔を残して馬車と共に去っていったのだった。
「……やっと行ったか。アイツ、しつこかったな……」
メル君は、私の肩から顔を出したまま様子を窺っており、視界から完全に馬車が見えなくなったところで、やっと私の背後から抜け出てきた。
「……メル君さぁ。さっき私の事、盾にしたよね?」
言われてぎくりと肩を震わせている。それなりの付き合いだからこそ、彼の言動がある程度分かってきた。
……その反応は自覚があると言う事だ!
「えぇーー! や、やだなぁ〜ティア様? ボクがそんな事する訳ないじゃんっ! ……そ、そうだ! ちょっと宿が空いてるか見てくるから。そこのカフェで待っててよっ!」
「まあいいけど……じゃあ、お願いね?」
メル君は、誤魔化す様に宿に向かって駆けて行く。その姿を見送りながら、私は直ぐ側のカフェに入る事にした。
扉を引くと、来客を告げる小さなベルがカランカランと心地よい音を鳴らす。
店員に窓際の席へと案内されて椅子に腰掛け、ようやく落ち着く事ができた。
ここなら外がよく見えるので、メル君も私がどこにいるかすぐにわかるだろう。
注文を取りに来た店員に紅茶を頼み、彼を待ちながら、ふと目を閉じて物思いに耽る。
今思えば、メル君はダグラスに降り立ってからすぐ、王子様の“いない筈の婚約者”の話をしていた。
彼は、本当の私を知っていたんじゃないだろうか……?
私が、侯爵令嬢ルルティア・リヴィドーだという事を。
彼が隣国にいたという事は、私を探しに来てくれたという事なのだろうか?
現状は、お話の筋書き通りにはなっていない 。
私は学園に通っていないし、見た目だって茶髪のカツラを被り、大きな眼鏡を掛けて顔の印象を誤魔化している。
……それでも、国に帰るのは怖かった。強制力があるかもしれないから。
そのまま侯爵家に居続ける事はどうしても出来なかった。祖父による、聖灰という名の麻薬の散布が始まるから。
でもその懸念が無いのなら。
居場所が変わらずそこにあるのなら、私はまだ、戻れるのかもしれない。
絶望の未来を回避する為に、真っ先に貴族としての自分自身を捨てた上に、死ぬまでダグラスに戻らないつもりでいたのに、今更なんて都合のいい話だろう。
自分の意思とは関係なく、お話をなぞりながら悪役として振舞ってしまう事も。
生まれ変わったこの世界で、家族やウェル様に憎み蔑まれ、不要な人間として見られる事もない。
どう考えても、筋書きが破綻しているとしか思えない。
もしその通りならば、私の事を探してくれた、優しい彼等にもう一度会いたい。
怒られてもいい。罵られたって構わないから、許してくれるまで謝り尽くすの。
でなければ、きっと、一生後悔するに違いない。
寿命が尽きたその後も、ずっと。
——不思議と妙な確信があった。
随分昔に、夢を見た気がするのだ。
ちょうど前世の記憶を思い出したあたりだろうか?
薄ぼんやりとした靄がかかったような景色の中、こことは違う場所……おそらく前世での光景だと思う。
ひとりの女性を見た気がする。誰かを助けようとして、結局うまくいかなかった女性の姿を。
もしかしたら、その人物は、前世での私なのかもしない。
その女性は、駅の階段で下敷きになり動かなくなってしまった。私はその光景をふわふわと浮かびながら、じっと見下ろしている。
彼女の上に倒れ込んだお年寄りは、なにがおこったかのかわからなかったようで、只々呆然としていた。
その後の顛末は最後まで思い出せなかったけれど、視界が白くなり、夢が終わりを告げる瞬間、ああ、彼女は死んでしまうのだと悟った時、一気に彼女の感情が私の中に流れてきて、それから酷く後悔をしたような気がする。
——疎遠になってしまった家族と、もっと話していれば良かったのに、って。
だから、今世では後悔しないように生きなくっちゃ。優しい彼等に報いるように。その気持ちを踏みにじらないように。
まだ、間に合うかな……?
ううん、生きてさえいれば、きっと、何度だって挽回出来る筈だ。
強制力がないのなら、ゲームの筋書きに怯える必要も無い。
ならばもう一度、あの人達に会いたい。
私を受け入れ、優しくしてくれたあの人達に。
それに。 ……もしかしたら、未来で家族になれるかもしれないあの人にも。
シルビアちゃんを見つけたら会いに行こう……必ず。
……そうだ! シルビアちゃんを家族に紹介するのはどうだろう。きっと彼女なら、すぐに打ち解けられるに違いない。その時はメル君も連れてって、私の友達だって紹介するんだ。
シルビアちゃんは美人さんだから、お兄様なんか、彼女に惚れてしまうんじゃないだろうか?
逆にメル君は気の置けない弟的な感じになるかも?
それから……隣国で暮らす、もう一つの家族も紹介しよう。
今話題のパール商会だって知ったら、きっとみんな驚くだろうなぁ。
……うん。なんだかとても素敵な事になりそうな気がする。
まだ見ぬ未来を想像してぽかぽかと心が温かくなる。
そろそろメル君も来るんじゃないだろうか? 顔を上げたその時だった。
ふと、硝子越しに広がる視界の端で、鮮やかな金糸が舞うのが見えた。
アレは……
「シルビアちゃん……?」
金色は路地裏へと消えていった。
私はおもわず立ち上がり、反動で椅子がガタっと音を立てながら、僅かに後ろへ下がった。
彼女を追かけるべきか、逡巡する。メル君は待っててと言っていたけれど、この機会を逃したら、もう二度、彼女に会えないだろう。不思議と、そんな予感がした。
迷っている暇はない。すぐに追いかけなくては彼女を見失ってしまう。
紅茶を持ってきてくれた店員にすぐに戻るからと伝えて、私は急いで出口へ向かった。
カフェの客を避けながら勢いよく扉を開けると、ベルの音がカランカランとけたたましく鳴り響く。
彼女が消えた路地裏は、目と鼻の先だ。
行き交う人々を避けて行き、カフェの向かい側にある建物の隙間を抜け、路地裏の奥へ繋がる通路を走り抜ける。
すると、目の前に鮮やかな金色が揺れているのが見えた。
私が彼女の色を見間違えるはずはないもの。
あの金色の持ち主は——
「シルビアちゃん!!」
目の前の人物は驚いたようにハッ! と振り返り、そのルビーのような美しい瞳を見開きながら、マジマジと私の顔を見つめたのだ。
「……ティアちゃん? どうして……」
「良かった! 無事だったんだね! 随分探したんだよ? 身体は大丈夫? どこも悪くない?」
走っていた勢いのまま彼女の両肩に触れ、異常がないか確かめる。
外傷はなさそうだ。良かった。
ホッとした後、視線を下に向けていくと……
「……ひっ!」
彼女のドレスには、血痕がついていた。それも、大量の血を浴びた様な跡が。
「それ……血ッ……!? シルビアちゃん! どこか怪我しているの!?」
「ううん、大丈夫よ? ……私の血じゃないから」
シルビアちゃんは、たいした事ではないかのように言いながらドレスを一瞥すると、ゆっくりと目を伏せる。
長い睫毛に隠れた瞳は、なにかを思案しているかのようだった。
やがて、彼女の目蓋は開かれた。思い悩んでいる事でもあるのだろうか? 瞳が、僅かに揺れている。
「……ティアちゃん。急いでここから逃げましょう? 私、追われているの。早く逃げなくては、アイツらに捕まってしまうわ……」
やはり……彼女の身に何かあったのだ。
「シルビアちゃん……! 今まで攫われてたんだね!?」
「……そう。 ……私、学園の中で攫われたの。隙を見てここまで逃げてきたのよ? ……でも、このままでは、ティアちゃんまで巻き込んでしまうわ」
彼女に手首を掴まれる。落ち着いた声音のまま、けれど、強く。
「……こっちよ? 早く逃げましょう? ……ついてきて?」
「う、うん!」
シルビアちゃんに腕を引かれながら、私は彼女の言う通りに走った。
路地裏をドンドン走り抜ける。次第に、辺りは薄暗く入り組んだ道になっていき、街灯がほとんど届かなくなっていく。
「ね、ねえ? シルビアちゃん。本当に、こっちで合っているの? ここは危ないよ。暗いし、なんか、怖い……」
ぎゅっと、手首を引く力が強くなる。
「大丈夫よ。合っているわ……」
「それに、こんなに走って心臓は? 身体は平気なの?」
「ええ。なんともないわ? ……もう、まもなく治るから……」
「……え?」
ふいに、シルビアちゃんの足がとまった。目の前は傾斜の急な下り階段だ。その先は長く、下まで照明が届かないようで、終わりは見えない。段の幅が狭い為、逃げるのには不向きだろう。
万が一、踏み外したら怪我では済まなそうだ。
シルビアちゃんは俯いたままで、その表情を、よく見る事ができない。
「シルビアちゃん……?」
「ねえ、ティアちゃん。私達、お友達よね……?」
「う、うん……! 当たり前じゃない! シルビアちゃん、早く逃げようよ? 追っ手が来ちゃうよ! ……そうだ! カフェに行こう? 私の友達が戻ってきてるはずなんだ。彼なら助けてくれるから!」
「…………」
「シルビアちゃん……?」
黙ったままの彼女の正面に回り込み、顔を覗き込もうとする。けれどその前に、違和感に気づく。
失踪してから随分経つ筈だ。
それなのに、どうして彼女の姿は綺麗なままなのだろう。
髪は走って乱れてしまっているけれど艶を保っているし、頬は薔薇色のまま血色も良い。身に纏うドレスも新しい物のようだ。
そして、ドレスにこびりついた血の痕もまた、まだ乾ききってはいない、鮮やかな色をしていた。
まるで付着してから、それほど時間が経っていないかのような……
「……ねぇ、ティアちゃん。お願いがあるの。とっても大事なお願い。」
「な、なあに? 私に出来る事なら!」
「嬉しい。それじゃあ……」
トン、と両手で肩を押された。
「私の為に、死んで頂戴?」
「……え?」
身体が宙に浮き、階段の上にゆっくりと落ちていく。
スローモーションのように見える景色の中、意識を手放す前に私が捉えたものは——
——グシャっという肉の潰れた音と。
まるで血の様に濁った、真っ赤な色をした瞳だった。
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