3-9

「ところでレディ? どうして、メルクの事を知っていたんだい? ……ああそうだ。まだ名前を聞いていなかったね?」


 クロード・ホーエンは、突っかかってきたメル君を押し退けながらこちらに向き直り、先程、彼等からしたら奇妙としか思えない発言をした私に問いかけてきたのだ。


「あ……! そうですよね。ええっと、私はルル……じゃなくって! ティア、と言います」

「ティア嬢。よろしく。 ……さて、さっきはああ言ったが、メルクはこれでも優秀な人材でね? コイツは自分の事を誰かに話すような真似は絶対にしない。早々に正体がバレるだなんてことは今まで無かったんだ。 ……見たところ本人も覚えがないようだしね」

「そ、そうだよっ! ボク、ティア様に教えてないよねぇ!? ……ねえ、いつから知ってたの……?」


 う……どうしようこれ。


 口元に穏やかな笑みを浮かべたクロード・ホーエンからは、決して逃すまいとした眼差しを。

 メル君からは、本来知らない筈の、彼の本当の名前を知っていた事による不信感を滲ませた視線を受け、背中には冷や汗がダラダラと流れ落ちた。


 まるで蛇に睨まれたかえるのような気分だ。


 何の気なしにうっかり喋ってしまったけれど、こんな事なら言うんじゃなかった……!

 自分から物語の主要人物に絡みに行くだなんて、どう考えても悪手だというのに。


 本来の筋書き通りなら、悪役令嬢は断罪のその時まで、侯爵嫡男と王子以外の攻略対象との関わりは無い。

 彼等は処刑されるその様を、氷のように冷めきった瞳で見ているだけだ。


 その頃には、悪役令嬢の方も祖父に唆され、自らも聖灰を摂取してしまった事で正気を保っていられず狂ってしまっている為、他人の判別すら出来なくなっている。


 そうして処刑は行われ、悪役令嬢は絶命するのだ。


 悪役令嬢の心情を知る機会は無い。が、死ぬ間際の感覚すら無かった筈なので、それだけが救いであろうか。


 現状、そのような事にはなっていないけれど、それでも万が一がある。


 出会ってしまったが最後、何がきっかけで物事が暗転するかわからない。できれば関わりたくなかったのが本音だ。


 けれど、シルビアちゃんの行方を追っていた成り行き上、こうなってしまったので、今思えばどうあがいても避けるのは無理だったのかもしれないとも思う。


 ……まあ、せめてポロっと言ってしまわなければ、まだなんとかなったような気はしている。


 あれ……? それにしても。

 メル君、ダグラスで密偵をしていた筈なのに、なんで隣国にいたのだろうか……?

 物語上、彼らが王都を離れる事は無い筈だ。 ……おそらく、マリアとのイベントを進める為に。


 やっぱり、ここもお話と違うのだ。

 もしかして、強制力だなんてものは、最初から存在していなかったんじゃないだろうか……?


「ティア様!」


 メル君に呼びかけられて、思考の淵に沈んでいた意識が戻ってくる。

 目の前の二人からは更に圧力を感じる。微笑んでいたクロード・ホーエンの笑みもだんだんと消えてきた。 ……ちょっと怖い。


 とにかく今は、うまく彼らを言いくるめなくては。

 なにか納得せざるを得ないような理由があれば良いんだけれど。


 考えろ考えろ! 窮地の時こそ、何かいいアイデアが浮かぶはずだもの!


「…………」


 …………どうしよう。全っ然思いつかない……!


 黙りこくった私に痺れをきらしたのか、メル君は更に、私に問いかけてきた。


「ティア様、魔女の事も詳しく知ってたよね? しかも、一般人が知り得ない本当の異能者の事を。良い機会だから、この事もどうしてなのか教えてもらうから!」

「……それは本当かい? なら話は変わってくるなあ。事情によってはティア嬢、貴女をこのまま帰す訳にはいかないようだ」


 悠然と構えたままこちらを観察していたクロード・ホーエンの表情が、真面目なものに変わる。


「ティア様!」

「ティア嬢?」


 う……うう……これではまるで、警備隊に捕まり尋問を受けている犯人の気分だ。


 どどどどうしようどうしよう。


 この生徒会長を務める彼の爵位は、確か設定上、伯爵家の嫡男という事になっていた筈だ。


 今の私は、ちょっと裕福な庶民という事になっているし、貴族ですらない者の人権なんて、紙のように吹けば飛んでしまう程に軽いものだ。

 返答次第で、もし彼に疑惑を与えてしまったら、どこかに連れていかれてしまうのではないだろうか。


 それにメル君だって。

 攻略対象とはいえ、私の大事な友人だ。

 たった今、彼が密偵だという事を思い出しただけなのだけれど、メル君の方からしたら、私が彼の正体を分かった上でずっと側に居たと言う事になる。


 誰にも教えていない筈の自分の秘密を、一方的に他人に知られているだなんて不気味以外の何物でもないだろう。

 下手な事を言ったら最後、この友人の信頼を失ってしまうだろう。


 だけど、この世界の住人である彼らに正直に話したところで信じてもらえるのだろうか。


 実は、私には前世の記憶があり、貴方達はゲームのキャラクターなんです! だなんて言って誰が信じるだろうか。


 自分達が知る由もない物語に勝手に描かれている上に、貴方達の結末を知っているだなんて言われたら気味が悪いに違いないのだ。


 今初めて出会ったクロード・ホーエンはともかく、性格的にやや捻くれたところのあるメル君なんかは絶対に納得してくれないだろう。


 やはり夢で見た、と伝えるべきだろうか。

 同じように随分昔にこの話をした時、ナナは信じてくれたのだから。


 それを思い出したのをきっかけに、彼等にも言ってみようと思ったのだ。 ……半ば賭けのようなものだけど。


「えっとぉ……そ、そう! 夢! 夢で見たのっ!」


 二人を見据えながら、意を決して話したところで、もう一つの事を思い出した。


 ……あ。

 そういえばこの言い分、ロブには信じて貰えなかったんだった。


「夢……」

「はあ? そんなんで誤魔化されるとでも思ってんのっ?」


 脳裏を掠めた不安が見事的中し、速攻で否定をされてしまった。


 やはりダメだったか……

 けれど、納得しかねるといった感じで噛み付くメル君とは違い、クロード・ホーエンは神妙な顔をしながら腕を組み、なにかを考えているようだった。


「……いや。あり得るかもしれない……ひょっとしてティア嬢、貴女は異能者なのではないですか?」


 まさか出会ったばかりの彼に助け船を出してもらえるとは思わなかった私は、その話に全力で乗っかる事にした。


「そ、そう! それっ! 私、夢で未来が見れるのっ!」

「何それ。本当にぃ? 異能者って数が少なすぎて貴重な存在なんだよ? それをティア様が〜? ……なぁんか嘘臭いんだよねぇ」


 ……ぐっ!

 さ、流石メル君。

 私とそれなりに付き合いがあるからこそ、すぐには信じてくれないようだ。


 まあ、今までそんな素ぶり微塵もみせなかった訳だし。

 そもそも疑ぐり深い彼の事だ。

 仮に出会った頃から伝えていたとしても信じてくれなそうではある。


 けれどこれ以上良い理由が思い浮かばない以上、この設定で押し通すしかないのだ。


「ほ、本当だよ? ただ、限定的な事しかわからないけれど。 ……そうだ! た、例えばぁ、メル君は密偵として、普段はダグラスの街中で情報を集めていて、それを王家に報告しているよね?  クロード……さんは、生徒会長として潜入しているけど、本当はメル君と同じ密偵なんだ、よね……?」


「え……」

「……驚いたなぁ。俺の事までわかるのか」


 メル君は信じられないものを見るような目をして絶句しており、クロード・ホーエンは「なるほど」と呟いて、一応納得してくれたようだった。


 彼らニ人の密偵にはそれぞれ役割がある。

 メルクリウス・バトラーは庶民に紛れて下町に潜入し、外国から来た商人や観光客、それに、下町に住む人々から様々な情報を集め、他国からの不穏な気配は無いか、国民の暴動の種となるような懸念事項はないかを探り、摘み取って行く。


 対してクロード・ホーエンは、社交界の縮図と例えられる学園内で、自ら生徒会長という学園のトップに君臨し、貴族の子息や淑女たちのその行いを見定めながら、各々の家の方針や交友関係、彼等が興味を抱いているものや、将来の火種となり得るような事を把握し未然に防ぐ役割がある。


 本来は、この二人は表裏一体なのだ。

 どちらか一人欠けては成り立たない上に、この国の安寧を信条として、王家に忠誠を誓っている身だ。

 そして、彼等の集めた情報を元に王家が指示を出し、国政に反映させている。

 けれど現状、メル君は私と一緒に行動しているので、彼の抜けた穴は、他の密偵が埋めているのではないかと思う。


 ……あ、れ? そういえば、この二人の雇い主って現王のシャルル様なのだろうか?

 ……それとも、ウェル様の方……?


「なら、こちらも隠さなくて良いな。いかにも、俺は密偵をしております。ティア嬢。貴女は此度の令嬢失踪の件で、何かご存知ではないですか?」

「……ううん、わからないの。私もシルビアちゃんを探しているけれど、手掛かりになりそうなものは、この鍵ぐらい……」


 私は、ワンピースのポケットに手を入れ、例のアンティーク調の鍵を取り出してみせた。


「これは……?」

「……その失踪した令嬢の屋敷を調べていた時に、茂みの中に落ちてたのをティア様が見つけたんだよ」


 メル君はぶすっとしながら補足してくれる。

 やっぱり、彼の預かり知らぬところで正体を暴いてしまった私に不信感を抱いているようだ。


「そうか……実は、令嬢の父親も行方が知れなくてね。この鍵なんだが、もしかしたら使えるかもしれない。今アタリをつけている場所があるんだ。ティア嬢、鍵をお借りしても?」

「うん。なにかのお役に立てるなら」


 私はクロード・ホーエンにアンティーク調の鍵を差し出すと、彼は受け取ったそれをハンカチに包み、慎重にベストの内側にしまいこんだ。


 お父さんの方も行方不明だなんて……

 シルビアちゃん達家族に、一体何があったのだろう。

 わからない事だらけだけれど、なんにせよ、目の前の彼は、事件の深い所まで掴みかけているようだ。


 それにメル君の同僚なのだから、攻略対象とはいえ信頼に値する人物とみていいだろう。

 それから、クロード・ホーエンは、まだ私達に話していないことがあったらしい。「実は」と言いながら切り出した。


「失踪した令嬢の行方だが、現在、我々生徒会で秘密裏に捜索しているんだ。なにしろ彼女は、我が生徒会メンバーのダリス君と仲が良かったものでね。 教師陣の方は生徒の保護者に説明するので精一杯であったし、ダリス君はそんな状況を知っていたからか、令嬢が失踪してから単身一人で行方を探そうとしていてね。それを知った俺達も、手分けして探す事にしたのさ」

「ダリス……」


 ……その名前に該当する人物は、一人しかいない。


 まさか……


「あのう、間違っていたらごめんなさい。その生徒会の方の名前って……もしかして、マリア・ダリスさんという方ですか……?」

「ああ、そうだよ。よく知っているね? ダリス君は、入学してからすぐに、その令嬢と親しくなり、良く一緒にいたそうだ。例の事件を知ってから随分と気に病んでいてね。君はダリス君とも面識があるのかい?」

「あ……いいえ。そういう訳では」


 シルビアちゃん……マリアと、面識があったんだ。

 しかも、入学してすぐに……

 手紙にはそんな人物はいなかったって書いてあったのに……


「……それってさ、ティア様が探していた人物だよね? あの手紙には、該当の人物はいなかったって書いてあったのに?  ……彼女、嘘ついてたって事……?」


 一緒に手紙を読んでいたメル君は内容を覚えていたらしい。

 私と同じ疑問を感じたようだった。


「うん……そうみたい。シルビアちゃん……どうして嘘なんか」


 わからない。わからない事だらけだ。

 彼女は嘘をついていて……それから、失踪してしまった。

 本当に、何かに巻き込まれただけなんだろうか?

 他になんらかの目的があって、シルビアちゃんは、自らいなくなったんじゃ……?


 ……これ以上は、本人を見つけて聞いてみなければわからないだろう。もっと彼女の行方がわかる手掛かりが見つかれば良かったのに。


 彼女は、ゲームに出てこなかった人物だ。

 イレギュラーな存在だからこそ、これから起こる事が知覚出来ない。彼女が、せめて少しでも物語に出てきていたのならば、その知識をもとに、行方を追うことが出来たかもしれないのに。


 ふいに、ガランゴロンとベルの音が鳴り響いた。

 学園に設置されているあの大きなベルだろう。


「——っと。そろそろ時間だな。

 とにかく、この件は主に報告させて貰うよ? ウチのピリカに文を持たせるから、君たちは一度宿に戻って待機していてくれないか?」

「! ……それならボクのぴーちゃんにお願いするからいいよ!」

「いや、お前のぴー号じゃ遅いだろう? ウチのピリカの方が早いからさ?」


「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜??? うちのぴーちゃんの方が早いんですけどーーーーーーーーーーーー??  そっちは海を越えられないだろ! ……だいたいお前、ボクの後輩なんだからぴーちゃんさんって呼べよな!」


 なんの事だかさっぱりだが、どうやら彼等なりの連絡手段があるらしい。

 言い方からするに、おそらく動物を使って文のやり取りをしているようで、どちらが行うかで揉めているようだ。


 この二人には年齢差があり、生徒会長である彼の方は確か十八歳なので、十四歳であるメル君の方が年下になるのだけど、密偵歴はどうやらメル君の方が、クロード・ホーエンよりも長いらしい。


 だがこの状況から察するに、おそらくメル君、先輩と思われていないようだ。うん……なんか、頑張れ。


 人事のように心の中で応援しながら二人の様子を眺めていると、クロード・ホーエンは、制服のベストに取り付けてあるチェーンを流れるように掴み、その先についていた金色の笛を手繰り寄せると、唇に軽く当て息を吹き込んだ。


 ピィー! という甲高い音が辺りに響くと、門の近くに生えている木から、一羽のハイタカが姿を現す。


「ああーーーー! ちょ、ちょっと! なに勝手に呼んでるのさっ!? ボクが呼ぼうとしてたのに……! それと! せめて誰もいないところでやれよな!」

「まあいいじゃないか。生徒はもうクラスに戻っているんだし、ティア嬢にはこちらの正体はバレている。 それに、メルクの連れなら問題ないだろう?」

「いや大アリなんだけど……!」


 二人はまたもや新たな話題で揉めていた……っと言うより、悠然と構えるクロード・ホーエンに向かって、メル君が一方的に絡んでいるだけなのだけれど、その様子を見ながら、なるほどあの笛は鳥を呼ぶためのものだったのかと私は一人納得した。


 と言う事は、宿で見たあの海鳥っぽい鳥は、野生のものではなくメル君の鳥なんだろう。


 呼ばれたハイタカはクロードの腕に止まろうと下降していたけれど、自分の飼い主に詰め寄るメル君の存在が気になるようで、直前で旋回して羽ばたいていき、上空をグルグルと回っていた。

 降りていいものか迷っているようにも見えるので、早くあの鳥ちゃんの為に止めてあげてほしんだけど。


 ……呼び出しておいてあんまりでは?

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