3-6
日は傾き、オレンジ色の太陽は地平線に向かいながら、その姿をゆっくりと隠そうとしているかのように見えた。もうまもなく夜を迎えるだろう。
辺りを漂う潮の香りに包まれて、さざ波の音が耳に心地よく届く。
港に到着した客船からは、観光目的で来た人々だろうか? 皆大きな荷物を持ち、期待に胸を膨らませながら次々と下船しているようだった。
彼等に続くように、私とメル君も階段を下りて、しばらくぶりだった陸地へと足を踏み出した。
数週間の船旅を終えて、ついに戻って来たのだ。
——物語の舞台である、王都ダグラスに。
人の波に飲まれながら港を出て、初めて目にした街の景観に驚いた。
そこには目の覚めるような深い蒼色の薔薇が、街の至る所で美しく咲き乱れており、ひとつひとつが良く手入れをされているようだ。ふわりと漂う甘い香りと瑞々しい花弁が、見る者を楽しませてくれる。
等間隔に設置された街灯がじわりとやって来た夜の闇を照らしている。隣国とは違う色の明かりを放つそれは、どうやら光源の元となる物が、硝子部分に嵌め込まれているようだった。
蒼色鉱石と呼ばれるそれには、陽光を溜め込む性質があるそうだ。日中にたっぷりと光を取り込んだのだろう。今は仄かな蒼い明かりを発光させながら、淡く、辺りを照らしている。
目の前に広がる蒼一色に染まる幻想的な光景に、私はまるでお伽話の中に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えて、おもわず魅入ってしまう。
今なら妖精が出てきても、きっと驚かないに違いない。
「綺麗……」
無意識に唇から言葉が零れる。
……でも何故だろう……
この景色に、違和感を感じるのは。
「すごいでしょ? ダグラスは観光に力を入れているから、景観にすごくこだわってるんだ。実はここ、昔はもっと無骨な作りだったんだよ?」
惚けたように見つめる私の隣で、メル君はどこか得意げな様子で教えてくれる。
その言葉で気がついたのだ。
……違和感の、正体に。
……そうだ……街の作りが違うんだ。
ふいに、今の今まで思い出せなかった、本来の街の姿が鮮明に脳裏に浮かびあがる。
記憶の奥底にある画面越しに見たダグラスは、もっと無骨な感じの景観だったのだ。 ……うん、そうだ。こんなに美しい街並みじゃなかった。
本来のこの場所は、灰色の石畳を敷き詰めた殺風景な作りで、薔薇だなんて植えられていなかった筈だ。
街灯も、カンテラに小さな火を灯したものが設置されているだけで、なにより外部からの防衛に特化するよう設計されたのか、石材を見上げる程高く積み上げた外壁が街全体をぐるりと囲んでおり、実用一辺倒の要塞都市のような外観の筈だった。
……不思議……
どうしてお話と違うんだろう……?
今の景観からは、かつてこの場所で惨殺事件があっただなんて、にわかには信じられないだろう。
それほどまでに事件の爪痕を微塵も感じさせない上、治安もどうやら良いようで、比較的平和なのか、行き交う人々は微笑みながら街を歩いているのだ。
楽しそうなその姿を見ているだけで、この景観を作った人物が、いかにこの国の人々の幸せを願いながら取り組んできたのかが良くわかる気がした。
少し先の辺りへ視線を向けると、前に隣国でメル君が言っていたように、通りに面した場所には、小洒落たカフェやアクセサリーショップ、お土産に最適であろう可愛い小物屋さんが並んでいて興味を唆られる。それと、驚いた事に、クレープの屋台が本当に存在していた。
「すごい……」
「ね? 言ったとおりだったでしょ?」
引き込まれるように街の光景に魅入っている私の顔を覗き込みながら、メル君はにっと笑った。
「うん……びっくりしたよ。本当に、お洒落な街だねえ」
「まあ、この街も随分と変わったんだよね。 なんでも、王子サマの手で国を豊かにする事が、今のご婚約者サマと一緒になる条件の一つなんだってさ」
「そ、うなんだ……」
ズキリ、と胸の奥が痛む。
……その婚約者は幸せに違いない。こんなにも、彼に愛されているのだから。
……それに、街中に溢れかえるあの蒼い薔薇の花。
昔、まだ私が幼かった頃。
ウェル様から贈られた、あの花とまったく同じ物だという事に気づいてしまったのだ。
私の視線の先を目で追っていき、薔薇を見ているのに気づいたのだろう。メル君が「ああ」と言いながら言葉を続ける。
「そうそう! あの蒼い薔薇。実はね、王子サマの御婚約者サマの名前が付いているんだよ?」
「名前……」
……聞きたくない。
でも、その気持ちに反発するように、聞きたいという思いがじわりと滲む。
「ねえ、ティア様……知りたい?」
メル君は、私の目の奥を見つめながら、なおも問いかける。
押し黙り何も答えない私に、彼はまるで、私の反応を試すかのように花の名前を告げた。
「名前はね……ルルティアっていうんだよ」
「え……?」
……私の名前だ。 ……どうして……?
驚いてメル君を見つめ返すと、目の前の彼はなにかを納得した様子で「やっぱりね」と小さく呟いてから、妙に明るい声で続ける。
「ね? 驚いた? この街の景観もなにもかも、王子サマが考えてやったんだよ? ……愛しの御婚約者サマの為に」
その言葉を聞いた途端、胸の痛みがいつのまにか消えていたのに気がついた。
……ウェル様は、今でも私の事を婚約者だと思ってくれているのだろうか?
なら、前にシルビアちゃんが言っていた婚約者の話は、私が勝手に思い込み勘違いしていただけだったという事になる。
……メル君が言っている事が真実なら、ウェル様は、あの日私が侯爵家から脱出した後、居場所を作ってずっと待っていてくれたのだ。
……私がいつでも、戻れるように。
「本当に……?」
「もちろん嘘なもんか! ほんっと、こっちが呆れるぐらいだよ? 今は御婚約者サマのご令嬢は病弱って事になってるけど、本当は行方不明になってるんだ。 ……王子サマだけじゃないよ。 ご令嬢のご家族や警備隊だって、皆必死で行方を探している。 ……ねぇ。ティア様は、この話を聞いてどう思う?」
「…………」
探るようなエメラルド色の瞳が、まるで、私がそのご令嬢本人だと知っているかのように見えた。
「わ、たし、は……」
『号外〜! 号外〜!』
その時、広場で新聞の号外を配る記者の声と、それを囲む人々の大きな歓声に呑まれて私の思考は遮られた。
「わ、私! ……そうだ! 号外受け取ってくるねっ!」
「あ、ちょっと! ティア様!」
慌てるメル君を尻目に、急いで広場へ向かって駆けていきながら、私は、先程メル君に問いかけられた事を考える。
……どう思うかだなんて、私にだってよくわからない。
……でも。
彼が……ウェル様が、私を探し続けていてくれた事実を知って、胸の奥がポカポカと暖かくなるのを感じるのだ。
それに、両親や兄も私を探してくれているだなんて。もう、私の事なんて諦めていると思っていたのに。
罪悪感と共に、心の奥底から湧き上がる、感情を感じる。
……きっと。これは『嬉しい』という気持ちだ。
目尻に浮かんだ涙を腕で擦り、それを誤魔化すように集団の中に飛び込むと、腕を懸命に伸ばしてどうにか例の新聞を手に入れる事が出来た。
集団から抜け出しヨレヨレになったワンピースを整えながら、広場の隅に移動して新聞に目を落とす。
記事には、失踪したスカーレット家の令嬢について、続報が載っていた。
「これ……」
新聞を食い入るように見ていると、慌ててこちらに向かって掛けてくる足音が聞こえてきた。
「ちょっとティア様! 急に走っていかないでよ! 側を離れられたら護衛の意味ないじゃんっ!」
メル君は息を切らせながら隣に来ると、新聞を凝視して固まる私を見て、眉間に皺を寄せながら、手元を覗き込んでくる。
「なに? どうしたの? 固まって」
記事の内容は不安を煽るようなものだった。
『王立学園内で失踪した、スカーレット家の令嬢の物と思われる切りとられた髪の束が町外れで落ちているのを発見。側には大量の血痕があり、令嬢本人は依然、行方不明のまま。令嬢は生贄にされたのだろうか? ——魔女の再来か?』
「……何この記事。確実な証拠もないのに妙に断定的に書いてあるし、悪質だよ」
メル君は不快そうに吐き捨てる。
「そ、そうだよね……! こんな記事の内容、本当の訳ないよね……?」
私の問いかけに、メル君は少し考えるそぶりをしてから、ある提案してくれた。
「……ティア様……あのさ、王立学園に、ボクの知り合いがいるんだ。 何かわかるかもしれないし、一緒に行ってみない? 多分、学園内の事なら、誰よりも詳しいだろうから、さ」
まさか学園内にも知り合いがいるなんて。どうやらメル君は、交友関係が広いようだ。
学園に在籍している以上、その人物は貴族という事で間違いないのだから。
「……ありがとう。そうさせて貰ってもいい?」
「もちろん。 ……まあ本当は、一番会わせたかった人がいるんだけど、ね……」
「……え?」
「ううん! 何でもない。今日はもう遅いから、宿をとってくるよ。 学園へは明日に出発しよう? じゃあ、ちょっと行ってくるから、ティア様はそこのカフェで待っててよ?」
「わかった。そうだ! ……メル君」
「? 何」
いぶかしげに振り返る彼に、私はこの旅の間中、ずっと感じていた思いを伝えた。
「あのね……今更だけど、一緒に来てくれてありがとう。私ひとりだったら、きっとうまくやれなかっただろうから」
「……別に。好きでやってる事だから、気にしなくていいよっ!」
そう言ってプイっと横を向かれてしまったけれど、メル君の耳が熱を持ったように赤くなっているのに気づく。どうやら照れているらしい。
「じゃあ行ってくるから!」と言って駆けていくメル君の背中を見つめ、私は彼の言う通り、待ち合わせ場所のカフェに入る事にしたのだ。
※
翌朝になり、通りを走る馬車を捕まえ、行き先である王立学園の名前を御者に告げて運んでもらった私達は、ようやく目的の場所へと辿り着く。
昨晩宿をとった市街地からこの王立学園までは、馬車で三十分程の距離がある。
郊外にあるその場所はやはり、遠い昔に画面で見た通りだった。
校舎は外壁が白く、深い緑に塗られた屋根が、建物全体を落ち着いた雰囲気にしている為か、どこか重厚感のようなものがあるように思う。校舎の中央にあたる部分は、そこだけ塔のように高く作られており、大きな鐘が取り付けられている事から、おそらくこれで授業の始まりと終わりの合図を鳴らしているのだろう。
鉄柵で出来た門扉越しに見える校舎はガランとしており、今は授業中なのか、生徒の姿が一人も見えない。
門は固く閉ざされており、中へ入るには守衛に取り次いでもらわなくてはならなそうだ。
「ティア様はちょっと待ってて!」
「わかった」
そう言ってメル君は馬車から降り立ち、守衛のいるところまで駆けて行った。
馬車の中から窓越しに様子を見ていると、メル君は受付に身を乗り出し、守衛のおじさんとなにやら話し込んでいるようだけど……
どうも様子がおかしい。
あまり話が良い方向に進んでいないのか、だんだん苛立っているように見える。
どうしたんだろう? なにか揉めているようだ。
あ、こちらに戻って来るようだ。
どすどすと音がなりそうな程に地面を踏みしめながら、メル君は怒った様子で馬車まで戻り、私の向かい側にドカッと座ると、苛立ただしげに髪を掻き上げた。
「もー! 信じらんないよ! 失踪事件があったせいで、外部との接触はいかなる理由だろうと禁じてるんだってさ! しばらくしたら禁止令が解けるからその時にまた来いだって! こっちが何言っても帰れの一点張りだよ! あーもうムカつくっ!」
「そんな! ……いつになるかわからないのに。 ……その間にも、シルビアちゃんは……」
私の反応に怒りが霧散したのか、メル君は眉尻を下げ、呼吸を整えるようにふぅ、と細く息を吐き出すと、気遣わしげに声をかけてくれた。
「ティア様……あと少しの辛抱だからさ。お友達もきっと大丈夫だよ。ティア様が信じないでどうするの? ……とりあえず、さ。ボクらはボクらで出来る事をしよう?」
「……うん」
そうだ。メル君の言うとおり落ち込んでいる場合じゃない。
学園がダメなら次に向かって行動しなくっちゃ。
守衛が言っていたという話を詳しく聞くと、立ち入り禁止令については、いかに家族や知り合いが学園に通っていようとも、取り次ぐ事は絶対にしないそうだ。
警備の厳重な学園内で起きた失踪事件であり、外部の者が敷地内に立ち入った可能性もある為、生徒の混乱を避ける意味合いでもあるとの事だった。
「あー! それにしてもさ! 折角ここまで来たってのに! これじゃあ連絡の取りようがないよ」
腕を組みながら、先程の守衛とのやり取りを思い出したのだろう。メル君はプリプリと怒っているようだ。
「……すごい厳重だね」
「……まあ、学園の判断としては間違ってないよ。守衛の言い分はもっともだし、他にも理由はあるんだよね。 ……見てよ、あの茂みの奥。何かいるでしょ?」
瞳をチラリと動かし、視線で場所を示してくれているようだけれど、それが何処だかわからなくて、私は辺りをキョロキョロと見回してしまった。
全く気づけない私によくわかるようにと、メル君は私の隣に腰掛けて、「そこ」と言いながら窓越しに見える該当の場所を、人差し指でちょいちょいと示してくれた。
「あ、ほんとだ!」
指の示す先を視線で追っていくと、なにやら茂みの隙間から服のようなものが見えた。
どうやら誰かが隠れているらしい。
その正体をつかむべく目を細めてじっと凝視すると、次第に細部がよく見えてきたのだ。
おじさんだ。
頭に草臥れた帽子を被り、更にその上から大量の葉っぱを乗せている、怪しいおじさんがいたのだ。
辺りに溶け込もうとしているのだろうか? どう贔屓目に見ても不審者にしか見えないその人物は、ごそごそと妙な動きをして何かを磨いている。手入れをしているようだ。
あんなとこで何やってんだろ?
見た感じ、ちょうど働き盛りの脂の乗った年代の人だ。
この前パール商会にきた記者の人と年齢は同じくらいかな?
あの様子からすると、おそらく。
「一人で遊んでるとか……?」
「……ティア様、わざと言ってんだよね?」
メル君は呆れた顔をして私の顔を見返してきた。
「あれ、新聞社の人間だよ。大方出てきた内部生を捕まえて、事件について取材しようとしてるんだろうね。 ……ほら、向こうにも似たようなのがいるでしょ? 立ち入り禁止の理由は、アイツらがいるせいでもあるんだろうね。まあ今は粘っているけど、じきにいなくなると思うよ」
「じゃあ、その間……」
「うん。ボクらは別の手がかりを追うしかないね」
「なら……私、行ってみたい所があるの。 ……シルビアちゃんの本当のお家、スカーレット家に」
それを聞いたメル君は、なにやら考えているようだ。しばらくして「うん」と一つうなづくと、私の意見に同意してくれる。
「そうだね。ちょうどいいかもしれない。スカーレット家は、ここから馬車で二週間かかるから、行って戻って来る頃には立入禁止令が解けてるかもね。何もしないよりは良いと思うよ」
「……メル君……ありがとう。 ……行こう、スカーレット家に……!」
お互いの顔を見合わせて、私達は力強く頷いた。
「ところで、シルビアちゃん家の場所、よく知ってたね?」
「……あ。 ……あははー! そうそう! 昔、近くを通った事があるんだよねー! ま、まあいいじゃない細かい事はっ!」
疑問に思った事を伝えると、急にメル君は挙動不審になったけれど……え、なんで……?
「と、とにかく! 一度宿に戻ろっか。長旅になるから支度をきっちり整えて行こう」
「? わかった」
相変わらず変なメル君だ。
それから私達はシルビアちゃんの新たな手掛かりを探すべく、スカーレット家へ出立する為、一度宿へと戻る事にしたのだ。
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