幕間 密偵メルクリウス 改め メル君
人生、何が起こるかわからないと言うけれど、この状況は本当によくわからない。
まさか亡くなったとされる御婚約者サマとおぼしき人物を隣国の地で発見してしまい、確認のとれる人材を待つ為に対象に取り入り、友人として潜り込む事に成功……したまでは良かった。
後は本人確認待ちだったってのに!
なぜか、なりゆきで御婚約者サマの失踪した友人の行方を、一緒に追う事になるだなんて……!
いやまあ着いて行くって言ったのはボクなんだけどさぁー!
正直言ってめんどくさい。
というか、学園内で失踪だなんて、そんな事あるだろうか。
一応王立学園には、ボクの同僚であるアイツが潜入している筈なんだけど。
本来、不祥事が発覚する前に主に報告し、騒ぎを他の生徒に気づかれない様、未然に防ぐのが優秀な密偵と言えるんじゃないの?
それを易々と見逃すだなんて密偵失格としか言えないね。
やっぱりアイツ、ポンコツだな。
まったく、なんの為に潜入しているんだか。
それに、失踪した生徒についても引っかかる部分がある。
御婚約者サマ……ううん、ティア様の友人だと言うこの彼女、聞くところによるとかなり頭の良い人物のようだ。
それなのに、いくら自身の為とはいえ、単身、魔女について調べ回るような真似をするだろうか?
貴族の令嬢ならば、人を使う事に長けている。いや、むしろ自身で動き回るより、人を雇って調べさせた方が何倍も効率がいいのに。身体が弱いなら尚更だ。
ティア様は、何か事件に巻き込まれたに違いないと言っていたけれど、おそらく自分の意思で失踪したんじゃないだろうか。
とはいえ理由はわからないから、それも懸念事項ではある。
魔女に関わった人物については、我がダグラスでは、リヴィドー家の前当主を投獄したのを皮切りに、当主と実は繋がっていた貴族達を秘密裏に調べあげ、そのほとんどを捕らえ済みであるし、減りつつあった人口も、他国からの誘致や税の引き下げを行い、少しでも庶民が暮らしやすい様、王子サマを筆頭に国政を行なってきたお陰で、やっと全盛期の近くまで増えてきたところなのに。
そんな事情があるから、今更、魔女なんかに関わりたくない。
けれど、五歳で行方不明になった筈のティア様もなぜか魔女の事を知っているようだし、しかも一般には秘匿されていた本当の異能者の存在も知っているようだ。
どうして知っているのか理由を聞いても絶対に教えてくれないし。
そんな不安要素しかない中、国に戻っても大丈夫かな……?
……いや、無理してでも戻らなくちゃダメだな。
王国内で、いもしない御婚約者サマが姿を見せない事に、いよいよ綻びが見え始めているんだよねぇ。
王子サマが学園入学の際、婚約の発表をされてから今まで、御婚約者サマは体調不良を理由に全ての式典を欠席。王子サマのみで執り行ってきたけれど、流石に勘の良い者なら気づいているだろう。
庶民の間でさえ、本当に王子サマの婚約者は存在しているのかと不信に思う輩が増えてきている。
当たり前だよね。
今の今まで、公の場にいっさい姿を見せない令嬢だなんてありえないもの。もう病弱というだけでは通用しないだろうし。
事が露見すれば、すぐに婚約の話は破棄される筈だ。
王族だから、世継ぎを残す義務が王子サマにはあるから、そうと知られたら最後、自分の意思なんか無いものとして扱われ、無理矢理にでも新しい婚約者を据えられるだろう。
そう思うと、将来のお嫁さんすら自由に選べない王子サマが、少しだけかわいそうでもある。
それとは別に、少し心配な事がある。
前回報告書を送った際に、この御婚約者サマの確認が出来る者を要請しているので、そろそろこちらに向かって来ている頃合いなんだけど、ボク達も船に乗ってしまっているので、行き違いになってしまうかもしれない事だ。
まあ確認しなくとも、十中八九、本人で間違いないと思うけど。ここは念の為。
特徴は、間違いなく指示書にあった人相書きどおりだったし、試しに幼少時の愛称である『ルル様』と呼ぶと、ふつうに返事を返してきて慌てて否定するわ、なんの事情があって隠しているかわからないけれど、それにしても、密偵のボクからしたらヤル気あんのか? と言いたいところだ。
それに、パール商会夫婦について、その後詳しく調べたところ、どうやらあの二人、元々は我がダグラスの国民のようだった。
代表……ロブさんの方は、昔は冴えない青年だったようで、長年別の商会で下っ端をしていたようだし、奥さんであるナナさんの方は、当時侯爵家で勤めていた上に、御婚約者サマ付きの侍女だったらしい。
この二人は協力者で間違いないだろう。と、いうところまで調べてからふいに気づく。
……まさか、誘拐って狂言だったんじゃ……?
でも、それだと動機がわからない。
御婚約者サマの誘拐騒ぎのお陰で、リヴィドー家前当主の犯罪行為が露見したから、それを狙ってた? とか?
……いや、当時あの子は5歳だ。
幼児が一人で考えて実行できるとは思えないし、接点が無かったらしいからその線はないか。
もちろん、協力者の二人はもっと知らないだろう。
と、なると……
……まさか王子サマとの結婚が嫌だったから、とかじゃないよ、ね?
……まあ、ちょっと引くほど執着しているし、一応アレでも、たった数年で国の経済を戻したんだから、能力は優れてる訳だし、身分も最上級のお方だ。
後は……良いところっていったら顔? ぐらいかな……?
あ〜でも、仕事で無茶な事要求してくるからなあ〜
幼いなりに、そういうブラック思考寄りなのが透けて見えたのかな? ……なんてね。
さあ、報告書を書き上げなくっちゃ。
後少し書けば完成だ。
とりあえず、書き途中だった箇所に追記を施す。
『失踪した友人を追う為、御婚約者サマと思われる人物と共に、これからダグラスに向かう。港に迎えの人物を求む』
「よし、これで……」
ピタっとペン先が止まる。
しばらく頭の中で逡巡した後、再びペンを紙の上へ走らせた。
『——追記事項——
御婚約者サマの友人である、スカーレット家の令嬢が消息を絶っている。彼女は御婚約者サマの現在を支えた重要な人物である為、早急に保護が必要。
学園内部の人間と、警備隊をもってしても発見出来ていない為、王宮の人材の派遣を希望。捜査を求む』
……まあ、これぐらいはしてあげてもいいかな。
ティア様、ちょっと距離感おかしくて変な子だし、最初はちょっと嫌だったけど……一応、お世話になったし。
……それに、ボクのこと“友達”だなんていってくる変な子だ。
友達、ね。
ボク、そんなもんいらないタイプの人間なんだけど。
仕事以外で誰かとつるむだなんて、めんどう以外の何ものでもないし、そんなもんいたら弱みになっちゃうじゃん。邪魔なだけだよ。
……でも。
ティア様に友達だって言われるの……悪い気は、しないかな。
いつのまにか口角が上がっていたのに気づき、慌てて指で口元をムニムニと揉み解す。
気を取り直してから、相棒を呼ぶ為に首から下げたチェーンを掴み、普段は服の中に隠している銀色の小さな笛を手繰り寄せ、唇に軽く乗せる。
空気を吸い、肺に溜めたそれを外に押し出すようにおもいっきり吹く。
ピィー! という甲高い音が虚空に向かって鳴り響くのを聴きながら遠くの空を睨むと、小さな黒点がこちらに向かって近づいてくるのが見えた。
それが徐々に大きくなり鳥の姿を捉えると、利き手を水平に横へ伸ばして相棒が留まれるスペースを作った。
「ぴーちゃん、おいで?」
相棒はパタパタとホバリングするように数回腕の手前で止まり、ゆっくりとボクの腕に着地した。
「よしよし、ご苦労様。 さあ、王子サマからの返事は来てるかな?」
相棒の頭を指先で撫でながら、いつものように鞄から餌を取り出して与えると、ぴーちゃんは待ってましたと言わんばかりに食らいつき、丸呑みにかかった
その隙に足元の筒を取り外し、中身を確認する為に蓋に手をかけたその時。
「おーい! メル君、どこにいるの〜」
ハッ! と息が止まった。
まずい。ティア様がボクを探している。こんな所見られたらめんどくさい事になるのが目に見えている。
ティア様の事だ。絶対、ぴーちゃんに絡みにいくに決まってるよ!
鳥にストレスは大敵なんだから、あの距離感ド下手くそなティア様だ。
きっと、ベッタベッタぴーちゃんを触って、羽毛を手脂まみれにするに違いない!
……しょうがない、後で見るか。
いつもは文を確認してから返すところを鞄にしまい込み、急いで先ほどの報告書を新たな筒に入れて相棒に括りつける。
今回は、御婚約者サマを伴っての帰国と、失踪した友人の事もあるので筒の色を緊急の意味で“赤”にしておいた。
相棒の様子を見る。うん。大丈夫そうだ。これならいつでもいけるな。
「じゃあ頼んだよ、ぴーちゃん!」
腕を勢いよく弾ませて、相棒を上空に向かって放つ。
バサバサと翼を広げながら、ぴーちゃんは大空に向かって羽ばたいていった。
入れ違いになるように、背後からこちらに向かって近づいてくる足音が聞こえてきた。間一髪、見られなくて済んだようだ。
……危なかった。なんとか間に合ったか。
「あ、メル君こんなとこにいた〜! 探したよ〜、ちょっと来て来て〜! 向こうにでっかい船が来てるんだよ〜?」
どうやら珍しい船を見つけたからか、少し気持ちが持ち直したらしい。
ここ最近の塞ぎ込んでる姿は見ていられなかったから、無意識のうちにほっとしてしまう自分に気がつく。
まあきっかけは何であれ、少しでも元気になったのならよかった。
それにしても船かあ。
……別にどうでもいいな。
「あ、あー! そうなんだー? でも、正直そんなに興味ないっていうか……」
「見た事ないくらいすっごい船なんだってば。一緒に見よう〜?」
そう言って、ボクの腕をガシッと掴み引き摺っていく。
相変わらずどこにそんな力があるのか、抵抗するボクをものともせずに、ズルズルと反対側の甲板へ向かって連れて行かれる。
「ちょ、ちょっと! いいってば……!」
「まあまあ」
「興味ないんだって!」
「まあまあまあ」
いやほんと話聞かないなこの子!
※
甲板に無理矢理連れて行かれ、例の船を指差して「アレだよ?」と言って楽しげに振り返るティア様を見てげんなりする。
よその船なんて見て、何がそんなに楽しいんだか。
「ねえねえ、メル君! 見てあの船! ずいぶん豪華な船だよねえ〜? どんな人が乗ってるのかな〜! 多分、すんごいお金持ちだよ〜!」
「へえ〜どれどれ……?」
たしかに、前方には珍しい船が見えた。
船体には異国風の金の装飾がふんだんに施されており、どことなくダグラスの、それも上位の位の人物が乗る船に似ているような気が……
……って。
うげえ! あれ、ウチの王族の船じゃん!
しかも目を凝らして見ると、客室と思われる窓が開いているらしく、室内から形の良いスラリとした手が見えた。
その長い指に嵌めているもの、おそらく指輪だろうか。室内の明かりに反射してキラリと光り、その手には毛並みのツヤツヤした一羽の海鳥が留まっているのが見えた……って!
いやあれ、ぴーちゃんじゃんっ!?
じゃ、じゃあ……アレ、王子サマか。
……多分光ったのは、王家に代々伝わるとされる薔薇の紋が彫られた指輪だ。
これを贈られたと言う事は、まもなく次期王として指名されるという事だろう。
「は、はは……」
渇いた笑いが出た。
王子サマ、来ちゃったよ……
隣ですごーいとか、きれーいだとか、乗ってるのは誰なんだろー? だなんて言いながら通り過ぎた豪華な船を見てキャーキャーしてる連れの女の子に、いや乗ってんのはアンタの婚約者だよだとか、王族なんだから国で大人しくしてろよだとか、いろんな言葉が次々と喉元まで出かかったけど、全て気合いで飲み込んだ。
まさか、婚約者の確認の為に、王子サマ本人が乗り出すとは思わないじゃん。
おそらく、隣国で近々行われる建国祭にかこつけて出向いて来たクチだろうけど、いやアンタ、いつもは書簡でお祝いしてるだけじゃんか。隣国の方も急にダグラスの王族が来ると知ってアタフタしているだろうし。
でもまあ、これだけは言わせてほしい。
……これ、ボク悪くないよね……?
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