幕間 王城にて

 王城の自室にて、窓辺に背を預けながら、ふと、空を見上げる。

 小さな黒点がこちらに向かって飛んでくるのを確認し、窓を開け受け入れた。


 隣国に忍ばせていた、密偵からの連絡を運んできた海鳥だ。窓辺にゆっくりと降り立った海鳥は、こちらを見つめ、口を大きく開きながら褒美を待っており、労いに餌を与えてから筒を外し、中身を取り出す。


 細く丸めて入れられていた報告書を広げ、記された文字を目で追っていく。視線がある箇所でとまり、思わぬ知らせに胸が震えるのを感じた。


『例のご令嬢と思われる人物を、隣国の地で発見。 至急、確認がとれる者の派遣を求む』


 良かった……! 生きていた! 生き延びていてくれた! 私の愛するあの女の子が。


 視界がじわりと滲んでいく。

 ……不覚にも泣いてしまったようだ。

 だがこの部屋なら人目は限られているのだ。今日ぐらいは許してほしい。


「ルルティア嬢が見つかったのですか? 良かったですね」


 護衛騎士であるテオドールが、私の様子を見て察したのか、淡々としたように告げた。


 相変わらず彼は、この世の全てに興味がないのではないかというぐらい素っ気ない物の言い方をする。


 彼とは、もう随分長い付き合いだ。側から見たら無愛想な人間に見えるが、よく見るとほんの少しだけ目元が和らいでいる。

 この顔は、本当に良かったと思ってくれている顔だ。


「ああ。“婚約者らしき”と書かれてはいるが、間違いなくルルの事と思って良いだろう。 あの薄桃色の髪はそういないからな」


 彼女の髪の色は、母上であるカミラ殿の家系特有の色だ。

 この色を持つ他の人間は既に亡くなっている為、現在、ルルとカミラ殿の二人しかこの色を持っている人間は存在しない。


「そうですか。長年探されてた甲斐がありましたね」

「……ああ。ありがとう」


 まさか彼から温かい言葉をかけて貰えるとは思わず、それにまた、涙が滲みそうになってしまった。

 今日は随分と涙腺が緩んでいるらしい。


 ふと、目の前のこの男について気になった。

 護衛騎士として私についてもらってから今まで、浮いた話ひとつ聞かないのだが、彼にもかつて、恋人の一人や二人、いたのだろうか?


「テオ、貴方にも最愛の女性がいるのか?」


 自身のことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。

 彼は、少し驚いたように目を見開いていたが、やがて、静かな声音で話してくれたのだ。


「……ええ、いましたよ。ずいぶん昔の話ですが。 ……彼女はとても優しくて……そして、世間知らずな子でした」


 当時を思い出しているのだろうか。

 その表情は、最愛の人との思い出を懐かしんでいるかのようで、口の端が少しだけ上がっていた。


「そうか! 深窓のご令嬢だったのだな」

「…………そうですね。もう彼女は儚くなってしまいましたが。 ですが、彼女が残してくれた御守りが、今の私を守ってくれているのです」


 そう言ってテオは、首から下げていた御守りを取り出して見せてくれた。

 普段はちょうど鎧の内側にくるように仕舞われたそれは、決して誰にも触れさせないよう、懐に大事に忍ばせているようだった。


 ずいぶん古い物のようだ。

 元は白かったであろうそれは、何かを零した後だろうか? 全体に赤黒いシミの様なものが薄っすらと付いており、ところどころ掠れてはいるが、細部に星の形の刺繍が縫われている。


 どこか既視感があるそれをみて、ふと思い出す。

 ルルが、最後に私にくれた刺繍と同じ柄だったのだ。あの刺繍はモチーフにしているものがあった筈だ。


 ……そうだ。

 私がまだ幼かった頃に読んだ、あの絵本にでてくる御守りに似ているのだ。


「これは、星のアミュレットを模しているのだな。 そのご令嬢は、よっぽどあの絵本が好きだったのだな」

「……そうかもしれません」


 テオは、小さく息を吐き、寂しそうに笑った。

 彼の今は亡き恋人の姿を思いだしているのだろう。


「王子、貴方の想い人は生きている。 ならば生きているうちに、想いは伝えないといけません。 ……そうでなければ、私のように後悔することになるでしょうから」


 ……彼は想いを伝えられなかったのだろうか。真剣な彼の瞳を見て、私は一つ頷いた。


「……テオ……わかった。ルルと再会したら、必ず彼女に伝えると約束しよう」

「ええ。それが宜しいかと」


 テオは、私の答えに満足したのか柔らかく笑った。


 今日のテオは表情豊かだ。

 彼のこんなに優しい顔は初めて見た。

 私以外の誰とも親交を深めず、何に対しても興味を示さずに、全てがどうでもいいと言った顔で生きているような男だ。


 心臓はたしかに鼓動を刻んでいる筈なのに、彼の生き様は、まるで亡くなっている者のそれだったのだ。


「……隣国へ向かうのですか?」

「ああ。彼女の事は私が一番わかっているのだ。彼女の両親は今は領地を回っている頃であるし、確認には私が出向くのが一番確実だろう」

「良いのですか? アルベルト様にお伝えしなくても」


 ……痛いところをついて来た。

 確かに、彼とはルルの件で協力関係にあるのだ。


「う……! あいつには、後で文を送る。今、アルは遠方の任務についているのだ。 待っていたら、随分と時間が経ってしまうではないか」


 アルベルト・リヴィドー。

 ルルの兄上である彼とは、ルルが居なくなってしまった十年前のあの日から、二人で協力し合って来たのだ。


 彼女は必ず生きている、私達があきらめてしまっては、誰が彼女を救えるというのだと互いに励まし合いながら持てる力をふるい、共に探す日々を送るうちに、随分と仲良くなった。


 テオ以外で仲が良いのは彼ぐらいだろうか。


 ……ああ、そういえば、父王の護衛騎士の息子もいるにはいるが、奴とはあまり交流がないな。

 年も離れているし、今は学園に入っているのだからどのみち会えないのだが。


 私の答えに納得したようだ。

 扉にもたれ掛かりながら、テオは淡々と答えた。


「まあそうなのですが。 ですが良いのですか? 後回しにすると彼の方、相当怒られますが。 手が付けられなくなるのではないですか」


 まあ自分は関係ないが。

 言外にそう言っているのが透けて見える言い草に、相変わらずこの男はどうでも良さげにするなと思うと同時に、先ほどまで見せてくれていた、心の柔らかい部分はなりを潜めてしまったようだ。


 それを少し残念に思いながらも、テオの疑問に答えることにする。


「アルが知る頃には、私は隣国に行っているから問題は無い。間も無くあちらでは建国祭があるだろう? そちらに参加する態で出向くつもりだ」

「はあ。いつもは書簡で適当に祝辞を送っているだけですが。 あちらの王族も急に来られて慌てふためくでしょうね。 ……それと、年頃の王女がいるようですから、狙われないよう気をつけられる事です」

「……ああ、そうだったな。まあしょうがないだろう。 婚約者を伴わず、単身で赴くのだからな。何かあった時には頼むぞ? テオ」

「……王子の御心のままに」


 胸に手を当て大仰に忠誠を誓うその動作を見て、擦って赤くなっていた目元を緩めた。


「では、向こうへ先触れを送る。

 忙しくなるぞ」


 ルル、必ず迎えに行く。

 ……どうか、待っていてくれ。



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