3-5
馬車に揺られながら、私とメル君は、窓から流れる風景をぼんやりと眺めていた。
レイモンドが呼びに行った際、メル君はちょうどどこかに出かけようとしていたらしく、一緒に来てくれるように頼み込むと「ええ〜!」と言いながら抵抗をみせたけれど、最後は渋々同行してくれたのだ。
しばらくして、目的地に着いたらしい。御者に促されながら、私達は馬車から降り立ったのだ。
彼女がかつて住んでいたお屋敷は、少し古びた洋館といった感じの落ち着いた作りをしており、レンガで出来た外壁は、蔦状の植物が這うように伸びながら、建物全体を覆っている。
ふと門の前を見ると、誰かが立っているようだった。おそらく管理人だろう。人の良さそうなおじいさんがいた。彼の方も私たちに気づいたようで、軽く手をあげながらこちらに近づき、温かく出迎えてくれたのだ。
おじいさんは一人でこのお屋敷を守っているそうで、他の使用人達は、シルビアちゃんが学園入学の為に出立したあの日、全員暇を告げられたらしく、散り散りになって出て行ったのだそうだ。
おじいさんはここにいても大丈夫なのか聞くと、「働こうにも、もうこの年だから何処へ行ってもお役に立てないさ。だからこそ居座って、勝手にここで管理人をやっているのさ」とニヤリとしながら言ってのけた。
そして「給金が無くとも、今まで貰った額で十分暮らしていけるからな」と、カラカラと明るく笑っていた。
……凄いなこの人。いろんな意味で。それに、このおじいさんが、実は正式な管理人じゃなかった事の方にも驚いた。
これは……不法滞在にならないのかな?
私は変なところでおじいさんの心配をしてしまった。
「ところでお嬢さん方、シルビアお嬢様のお部屋を見にいきなさるか?」
「え、いいんですか?」
「ああ、構わないだろうさ。あの人嫌いなお嬢様が、あんたには唯一、心を開いたって言う話じゃないか。部屋に入ったのがバレても、あんたなら許してくれるだろうさ」
「あ、ありがとうございます!」
思いがけず舞い込んできた話に、私は即座に飛びついた。
おじいさんは、「ついておいで」と言いながら、屋敷の鍵を開けて招き入れてくれたのだ。
ゆっくりと歩くおじいさんを先導に進みながら、私とメル君はその後に続く。
屋敷は、このおじいさん一人ではやはり手が回りきらないようで、床にはうっすらと埃が積もっており、私とメル君は視線をなるべく下に向けないようにしながら完全に見なかった事にして、おじいさんの歩調に合わせて進む。
長い廊下を歩いた先に、それらしき部屋の扉が見える。どうやら、ここがシルビアちゃんの部屋らしい。
扉の前まで着くと、おじいさんは「ここがシルビア様の部屋だから、後は勝手に見て行ってくだされ」と言い残して持ち場に帰ろうとしていた。けれど、何か言い忘れていた事があったようで、急にこちらを振り返る。
「ああ、そうそう。帰るときにもう一度声をかけてな?」と言った後、スッキリしたのか、おじいさんは今度こそまっすぐ帰って行った。
「……なんか、変なじいさんだったね」
「うん……ある意味自由な人だよね。あのおじいさん、長生きしそう」
「確かに」
廊下の向こうに消えていくおじいさんの背中を見つめながら、二人して妙に関心してしまった。
ああいうタイプは初めて会った。あんな風に自由に生きられたら、きっとストレスもないだろうなあ。
よし、と気をとりなおして、扉の前に向き直る。
彼女の部屋に入るのは初めてだ。前にお邪魔した時は客間だったから、変に緊張してしまう。
小さく息を吐き、ドアノブに手をかけて扉を開ける。ギイ、と軋む音が響く中、一歩足を踏み入れてみた。
室内はとても殺風景だった。
作業用の机一式に、ベッドが部屋の隅に、ひっそりと佇んでいるだけ。どうやら必要最低限の物しか置いていないようだった。
壁紙に至っては、何の飾り気もない真っ白な色だ。
彼女の部屋だからと、もっと女の子らしい部屋を想像していたから少し意外に思った。けれど、その代わりに目立つものがあった。
壁一面をくり抜いたかのように作られた大きな本棚が存在感を放っており、床から天井までびっしりと並べられた大量の本に目を奪われて、おもわず感嘆の息が漏れた。
「すごい……個人で、こんなにたくさんの本を所有しているだなんて……!」
少し前まで識字率が高くなかったこの地では、書物が流通しだしたのはほんの最近の事だ。
他国の商人によって、手軽な価格で持ち込まれるようになったお陰か、下町でもポツリ、ポツリと読み始める人が増えてきている。
が、それでもここまでの数を集めるには、さぞ骨が折れたに違いない。
彼女はよく読書をしていたから、本は何冊か持っているんだろうとは思っていたけれど、流石にここまであるとは思わず驚いてしまう。船便や陸路を経由して、他国から取り寄せていたのだろうか?
シルビアちゃん、どんなのを読んでたんだろう?
正直気にはなっていたのだ。
彼女の側には、いつだって必ず本の姿があったから。
前に一度だけ、何を読んでいるのか訊いてみたことがあったけれど、彼女は少し恥ずかしそうに微笑み「秘密よ?」っと言って教えてもらえなかったのだ。
試しに本棚から一冊取ってみる。
中を開いてみると、どうやら経済学の本のようだ。小難しい言い回しの文面が書かれたページを捲っていくと、稀に挿絵のように数字の羅列が挟まれている。
うん、なるほどね。 ……読むのやめよう。これ、あれだ。頭痛くなるやつだ。
私は即座に本を閉じた。
「どう? ティア様?」
机周りを調べているメル君が、引き出しを開けながら私に話しかけてきた。
視線は下に固定されており、ゴソゴソと中を漁っているようだけれど、今のところ、彼の方でもめぼしい物はなさそうだ。
「うん……とりあえず、シルビアちゃんはやっぱり頭が良いんだな、って感心してるとこ」
「はあ? 何言ってんの?」
メル君は、呆れたように返しながらこちらに近づいてくる。どうやら机の方は探し終えたようだ。
私の隣に来て本棚をチラリと見ると、ふいに眉根を寄せる。なにかに気づいたらしく、メル君は口を開いた。
「……ねえ、この本棚。なんかおかしくない? 背板がズレてるし、周りと色が違う気がする」
「え? ……あ、本当だ」
丁度、私が引き抜いた経済学の本の奥を見てみると、メル君の言う通り、確かにここだけ本棚の木目がズレている。
それに、材質も違うようなので妙な違和感を感じた。
「多分、これ、二重底みたいになってるよ。この奥になにかあるかもね。 ……ティア様ちょっと手伝って」
「わかった」
二人がかりで目の前の本を抜き取っていきながら、床に積み上げていく。丁度棚一列分の本を抜き終わると、メル君は慣れた手つきで本棚の背板部分を探る。
しばらくして、背板の繋ぎ目部分に指で引っ掛けられそうなくぼみを見つけ、指先を滑り込ませながら「よっ」という掛け声をあげて力を入れると、ガコン、という音と共に、アッサリと背板は外れた。
メル君は慎重に背板を取り外していき、床に立てかける。それから、再び二人で本棚を伺うと、奥にはまるで隠されるように、真っ黒な背表紙の本達が、綺麗に陳列されているのが目に入った。
しばらく開けられてなかったのだろうか? カビ臭い匂いと共に、古い本特有の、あの独特な匂いが鼻についた。
「また本だ……」
メル君は訝しげな顔で、真っ黒な表紙の本を一冊、手に取る。
私もそれに倣って、目についた本を引き抜き、試しにページを捲ってみた。最初のページには、『儀式について』と書かれている。これが、どうやらこの本のタイトルのようだ。
更に次のページを捲っていく。
『己が願いを叶えたければ、満月の晩に———を捧げよ、さすれば願いは叶えられ———は———となるだろう』
ページはところどころ破れており、肝心の部分が読み取れない。
次のページを開いてみると、なにかを零した後だろうか……? 赤黒いシミがページ全体にベッタリとこびりついており、それ以降はページどうしがくっついてしまっていて読めそうになかった。
「何、これ……?」
「……まさか! ……ティア様! ちょっと貸して!」
メル君は私から本を奪い取り、ページを食い入るように凝視しながら、シミになっている部分を指でそっと擦ったり、張り付いたページ同士が破れないよう、慎重に剥がしにかかる。
パリパリ、と乾いた音がした。
「間違いない……これ、血の跡だよ」
「ひっ」
得体の知れなさに指先が震える。
——血。
……誰の……?
まさか、シルビアちゃんの……じゃないよ、ね……?
メル君は、本棚から更に別の本を取りページを捲った。最初のページには、三日月に蛇の絡まる特徴的な紋様が描かれている。
こちらは血の跡はないようだけど、やはり、所々破かれた形跡があるため、内容がうまく読み取れない。
「やっぱり……! 間違いない。これ、魔女崇拝者が書いた本だよ」
「そんな……! ど、どうしてそんなもの、シルビアちゃんが……」
「わからないけど……ねぇ、他のも調べてみようよ? 多分、この真っ黒い表紙の本、全部が魔女に関する本だろうから」
私たちは顔を見合わせて頷くと、手分けして目の前に並んだ真っ黒な表紙の本達を手に取り、読みこんでいった。
本に記されていたのは、かつてダグラスで起こった惨殺事件から始まり、突然姿を消した市民と、下級貴族の子息や令嬢達の”使用方法”について。
そして、儀式を執り行い願いを叶えるには、月夜の晩に行わなければならず、満月の時がもっとも効果を発揮する事。
黒の神に声を届ける事が出来る人物を神の遣いとして崇め、丁重に扱った後、その人物に願いを聞き届けてもらう事。
触りの部分はなんとか読めたけれど、もっとも重要な情報が載っていたであろう箇所は、血痕で汚れているか、虫食いにあったかのように破られていた。
けれど、この数々の本に記されていた内容は、まるで真相ルートで語られた、魔女の行いそのものを書いているようだった。
一列部分を読み終わると、すぐに二列目の本も全てどかし、同じようにメル君が背板を探る。
こちらも木目が違い、一列目と同じ手順で取り外すと、奥にはやはり、真っ黒な表紙の本が出て来た。
「これ、一体何冊あるんだろ……?」
「あくまでも予想だけど……この本棚全体が同じ作りだから、全ての棚が二重底になっていて、こんな風に黒い本が入ってると思うよ」
「え、この本棚全部っ!?」
「間違いないと思う。この際だから、全部外して行こうか」
「う、うん……」
そうして、本棚に収められていた本を床に積み上げていき、全ての背板を外すと、メル君の予想通り、床から天井まで、ビッチリと陳列された黒い本が姿を現したのだ。
私とメル君は絶句しながら、この夥しい数の本達を見上げていた。
念の為、これらの本全てを読んでみたけれど、書いている人物がそれぞれ違うようで、内容が重複しているか、本の状態が酷いかのどちらかだった。最初に読んだ一列目同様、さわりの部分しかわからないようになっていた。
「ねえ……この子、調べれば調べる程、ティア様が言っていたような子に思えないんだけど……こんなに大量の禁書を集めて、ダグラスだったら処罰ものだよ?! ……どうみても、異常としか思えないよ」
「そ、んな事……」
否定、出来なかった。
これではまるで……彼女自身が、魔女にのめり込んでいるようにしか見えなかったのだ。
でも……どうして彼女は、今さら魔女の事だなんて調べたのだろう。
魔女が亡くなっているのは有名な話だ。隣国であるこの地でも、知らない人間はいないくらいだもの。
それに、集められた大量の本。
この内容だけでは知識としては不完全だ。
願いの代償として“生贄を捧げなくてはならない”という、もっとも重要な事が書かれていなかったのだから。
……シルビアちゃんは、なにか叶えたい願いがあったのだろうか?
——貴族の令嬢として生まれた、なんでも持っているお嬢様。
私から見たシルビアちゃんは、女の子の理想を全て詰め込んだ完璧な存在に思える。知性も、美貌も。お金だって、彼女は最初から持っている。
そんな彼女がなにかを願うとすれば、どんなに手を尽くしても、絶対に手に入れる事が出来ないモノしかないだろう。
彼女が持っていないもの。
……たとえば、健康な肉体と——
———心臓。
「……もしかして、シルビアちゃん……心臓を治してもらいたかったのかも。 だから、少しでもその可能性に賭けて、魔女について調べてたんじゃないかな」
彼女の心臓の欠陥は生まれつきのものだ。現在のこの国の……ううん、どこの国の医者だって治す事はできないのだと、彼女は言っていた。
幼い頃から調べ尽くして、その結果、治療法はないのだとわかると、ほんの僅かでも長く生きられるようにと、空気の良い隣国で療養をすることになったらしいのだ。
その話をした時、彼女は「私、きっと長く生きられないわね」と小さく呟いていた。
そのひどく寂しそうな横顔が、私は忘れられなかったのだ。
「はあ?! 本気で言ってんのっ? だいたい魔女だなんて、僕らが生まれるとっくの昔に亡くなってるんだよっ!? そんなの無理に決まって……」
「……でも、本当の異能者は、魔女の母親だよね? その人の方は、まだ生きている筈だよ」
メル君から、はっと息を飲む音がした。
「……どうして、その事を知ってるの? さっき読んだ、あの黒い本の中には書かれていなかったのに。 ダグラスでだって、知ってる人は限られているんだよ? それを、他国で育った筈のティア様が、どうして……?」
メル君の問いには答える事ができず、私は下を向いて押し黙った。
……魔女について探し続けていれば、いずれこの真実に辿り着く。
頭のいい彼女の事だ。
おそらくシルビアちゃんも、そこまで突き止めたんじゃないだろうか?
そして探しているうちに、何かに巻き込まれて行方知れずになったのかも……
それに、魔女崇拝者の貴族に捕らえられた可能性だってある。
「メル君。 ……私、ダグラスに行こうと思う」
「え……ティア様?」
「そこでシルビアちゃんを見つけるの。ダグラスの人達が見つけ出す事が出来ないのなら、私が……!」
「素人が行ったところで何ができるっていうのさっ! 警備隊の人間が探し出せてないんだよ? ティア様が探しに行ったところで見つかりっこないよ!」
メル君の言ってる事はわかっている。私が行ったところで何も変わらないかもしれない。
——でも。
それでも……私は、彼女を探したい……
思い詰めた顔をしているだろう私を見て、メル君は渋い顔をしながらウンウンと唸っていたけれど、やがて吹っ切れたようで、盛大な溜息をつきながら、最後は折れてくれたのだ。
「……あーもうっ! わかったよ! そのかわりボクも一緒に行くからねっ! もともとダグラスへは誘ってたんだし、止めても無駄だからっ!」
「メル君……ありがとう」
嫌そうにしながらも、なんだかんだ言っては助けてくれるこの優しい友人に、私は心の底から感謝したのだ。
それに、シルビアちゃんにも。
彼女に見つけてもらって、なんの見返りもなく助けてもらった私は……ううん。私達は、ここまで来れたのだ。
——だから、今度は私の番。
……シルビアちゃん。次は私が、あなたを見つけてみせるからね。
※
屋敷に帰ってから、私はメル君と一緒にダグラスに帰る事を家族に伝えた。
保護者の二人からはもちろん猛反対をされ、特にナナには泣かれてしまったけれど、私の意思が固いと知ると、最後は渋々承諾してくれたのだ。
ダグラスに着いてからもなんとかやっていけるようにと、皮袋一杯の金貨と、「お腹が空いた時に食べて下さいね?」とナナが作ってくれたチェリーパイの包みを携えて、船着場で私とメル君は、見送りに来てくれたこの家族に、暫しの別れを告げる。
「じゃあ、行ってくるね!」
「ティア……いいえ、お嬢様。必ず、ご無事で帰って来て下さいね? 貴女の帰るこの場所を、私達は守り、お待ちしておりますから」
「ナナ……ありがとう。 ……お腹の子が産まれるまでに、私、必ず帰ってくるね」
「お嬢様! 絶対にご無事でいてくださいよ! ……それから、シルビア様と二人で帰って来たら、みんなでお祝いをしましょう。パール商会は、貴女方、二人あっての店ですから」
「ロブ……うん。必ず、シルビアちゃんを見つけて帰ってくるよ!」
両手をめいっぱい広げて、ぎゅっと二人に抱きつくと、二人も私と同じ様に、優しく抱きしめ返してくれる。
ふいにじっと見つめる視線を感じて、目線を下に向けると、ロイが抱きしめ合っている私達を見て、不思議そうな顔をしていた。
抱擁する腕が離れた後、私はこの可愛い義弟の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ロイ、お父さんとお母さんの言うことを聞いて、良い子にしてるんだよ?」
ロイは擽ったそうに目を細めて、ふふ、と小さく笑う。
船の汽笛が聞こえる。まもなく出航の時刻だ。
もう一度ロブとナナに抱きついてから、滲んだ涙が見えないように、急いで階段を駆け上がる。
メル君も「じゃあ行ってきます」と挨拶をしながらぺこりと頭と下げ、私の後に続く。
甲板の手摺に身を乗り出し、船着場に向かって手を振ると、二人は手を振り返してくれた。
それを見た小さなロイは、両親の真似をしているのだろう、ふっくらとした手をぎこちなく動かしながら、ひらひらと手を振ってくれた。
私は微笑んで、更に手を振り返す。
もう一度汽笛が鳴り響く。出航の合図だ。客船は徐々に船着場を離れ、かつてシルビアちゃんの向かった道をなぞりながら、大海原へと進んでいく。
——本当は、ダグラスに帰るのが怖い。
あの地に足を踏み入れてしまったが最後、止まったまま、埃を被っていたお話が動き出してしまうかもしれないと思うと、怖くて怖くて仕方がない。
——けれど。
彼女が誰かに殺害されたり、このまま死んでしまうかもしれない未来を生きていくのはもっと嫌!
——シルビアちゃん。
あなたが向かった所へ行くから。
……どうか、必ず無事でいて。
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