3-3

 一ヶ月が経った。

 

 本日は、学園の長期休暇が始まってから、こちらに帰郷する為に船へ乗った多くの学生達が港に到着する日だ。もちろん、シルビアちゃんが帰ってくる日でもある。


「じゃあ、いってきまーす!」

「気をつけて行ってらっしゃい」


 玄関で元気よく挨拶をする私に、ナナが見送りながら声をかけてくれた。

 彼女の足元には、ロブとの間に生まれた男の子、ロイが、母親のドレスの裾をぎゅっと掴んでいる。口元に手を当てながら、じいっとこちらを見上げていた。


 対外的には、この子は私の“弟”という事になっている。


 あまり喋らない子だけれど、クリッとした大きな瞳で、いろんな物を興味深そうに見つめるクセがあるので、なんとなくだけど、この子も商人に向いているんじゃないかな、と思うのだ。


 いってきますの意味をこめて、ロイに向かって、手をひらひらと小さく振ってみたけれど、こてんと首を傾げられてしまった。

 まだ良くわかんないらしい。


「気をつけて行ってくるんですよ? メルク君、頼みますね?」

「もちろん! ちゃんとティア様を見張っておくから、ナナさんは安心しててよっ!」

「まあ! 心強いですわ。メルク君がいれば安心ですわね」


 ナナは信頼しきった眼差しでメル君に微笑んでいる。私には向けられた事のない、絶大な安心感を滲ませた空気を感じる。 ……ような、気がする。


 ……なんだか? 私よりも、メル君の方が頼りにされているような気が……? な、なぜ……? 私の方が、彼女と付き合いが長いというのに。 ……まあ、いっか。気のせいという事にしておこう。


 気をとりなおしてから、玄関に置かれている大時計を見ると、後十五分程で、本日の第一便が到着する時刻になりそうだった。

 こうしてはいられない。そろそろ港に行かなくっちゃ。


「メル君、早く早く!」

「ちょ! ちょっと待ってよティア様!」


 半ば置き去りにしながら駆けていく私を追い、メル君は慌てて後ろからついてきてくれた。


 シルビアちゃん、どの便で乗ってくるんだろ?



 ※



 港に辿りついた私たちは、ちょうど到着したばかりの、本日一番の船の前で立っていた。

 大きくて頑丈そうな客船を見上げながら、私は期待に胸を膨らませ、彼女が降りてくるのを待った。


 この地にも学園があるにはあるけれど、ダグラスと違い、入学が強制されていない。貴族のご令嬢だったり、今の私のようなちょっと裕福な商家のお嬢さんなんかは、家で付けてもらう家庭教師で十分だったりするのだ。


 これには正直助かった。たとえ舞台になる国が違くとも、”学園”という名のついた場所に通ったが最後、強制的にお話の筋書きが始まってしまう可能性があったからだ。そうなる事を恐れた私はあえて学園に通っていない。家庭教師を付けてもらうという選択をしているのだ。


 その他には、見聞を広げるという名目で、他国の学園に留学するという選択肢もある。


 今、船から降りたっている身なりの良い子息や令嬢達は、そういった考えのお家の子だろう。煌びやかな格好をした彼等がいるせいか、船着場のあちこちが、いつもよりぐっと華やいで見えた。


 下船していく人々を眺めながら、シルビアちゃんが降りてくるのを待っていたけれど、彼女の姿は見えない。その間にも降りてくる人の列は、徐々に途切れていった。


 とうとう彼女は降りてこなかった。どうやらこの便には乗っていないようだ。


「どう、いた?」


 隣で同じく客船を眺めていたメル君が、私に問いかけてきた。彼はシルビアちゃんを見た事がないから、完全に私の視力頼りなのだ。


「うーん、いないみたい。次の便かな?」

「そっか。 ……ねえ? お腹空かない? ボク、ちょっとそこの屋台でなにか摘めるもの買ってくるからさ。待っててくれる?」

「わかった。よろしくね?」


 次の便は、今から二時間後に到着予定だ。それまでだいぶ時間はあるけれど、気ままに待ってみようかな。


 しばらくして、屋台で購入したサンドイッチを両手に持ちながら、メル君が戻ってきた。その内の一つを私に渡してくれて、お礼を言いながら二人でベンチに移動する。サンドイッチにかぶりつき、のんびりと、次の便を待った。


 サンドイッチには、スモークされたベーコンと、シャキシャキとした新鮮なレタスが挟まれているもので、パンに塗られた粒マスタードがいいアクセントになっていた。うん、とってもおいしい。


「それにしてもさーっ! どの便に乗ってくるかわかんないなんて不便だよね〜!」


 メル君は不満そうに言いながら、パクリとサンドイッチを口に含む。


「まあしょうがないよ。逆に、向こうの港だって、帰宅の便で混雑してるだろうし」


 メル君を宥めながら、私ももう一口、サンドイッチを囓る。

 シルビアちゃん、早く帰ってこないかな? 久しぶりに会うのだ。彼女に話したい事は山ほどある。特に、最近出来たこの友人を、是非彼女に紹介したい。


 更に二時間が経った頃、汽笛の音が辺りに響いた。次の便が船着場へ到着しようだ。


 ベンチから降りて駆け寄っていき、そちらを見上げてみるけれど、どうやらこの船にも彼女は乗っていないようだった。どうしたんだろう? 出発したのが遅かったのかな?


 今日は後三便ある。まだまだ気長に待ってみよう。



 ※



 オレンジ色をした夕日が地平線の向こうに半分隠れてしまい、反射した鮮やかな光が、海原を夕焼け色に染めていく。


 その色が、シルビアちゃんの瞳の色に少し似ているなー、だなんて思いながら、私とメル君はベンチに座ったまま、ずっと、彼女の帰りを待っていた。


 海の潮を含む湿った風が、髪を揺らしていく。やがて日はすっかり落ちて、辺りは薄暗くなった。

 今日の便は、先程来た分で終わりだ。 ……これにも彼女は乗っていなかった。


「……ねぇ、今日はもう、帰ろう……?」

「うん……」


 メル君に促され、私達はその場を後にした。 ……きっとシルビアちゃんは、偶々今日の便に乗れなかっただけだろう。気をとりなおして、また明日にでも見に行ってみようかな。


 少し落ち込みながら家に辿り着くと、出迎えてくれたナナが声をかけてくれた。


「お帰りなさい。シルビア様はいらっしゃいましたか?」

「ううん。いなかったの。シルビアちゃん、もしかしたら、今日の便に乗れなかったのかも」

「まあ。そうですの……明日は、帰って来られるといいですね」

「うん。また行ってみる。メル君、付き合ってくれる……?」

「うーん……まあ、いいけどね。しょうがないからティア様に付き合ってあげるよ」


 メル君は、渋々といった感じで了承してくれた。


「うん。ありがとう!」


 その日は夕飯と湯浴みを済ませ、早々に自室のベッドに潜り込みながら、私は彼女との再会を夢見て、静かに眠りについたのだ。

 けれどその希望は虚しく、翌日になっても、彼女は帰ってこなかった。


 ——それから、私は船着場に通い続け、シルビアちゃんが来るのを待った。


 ……手紙は彼女が送ってから、だいぶ日にちの経ったものだった。ひょっとしたら、彼女はもう、帰って来ないのかもしれない。そんな暗い考えが一瞬頭を過ぎる。それでも私は待ち続けた。


 ……けれど、彼女は帰ってこない。


 次第に口数も少なくなり、黙って待ち続ける私に、メル君は何かを話しかけようと口を開いては、思い留まりやめる、を繰り返していた。


 彼も私と同じ事を考えているのかもしれない。 ……シルビアちゃんが、ここへはもう、帰ってこないんじゃないかという事に。


 メル君は私に話す事を決めたらしい。彼は私の顔を覗き込みながら、意を決して口を開いた。


「……ねぇ。こんな事、言いたかないんだけどさ。 ……あの手紙、結構前に書かれたものだったでしょ?  その間に彼女、学園で仲良いコが出来たんじゃない? もともとこっちには療養で来てたんでしょ? だからもう、ティア様の事なんてどうでもよくなって……」

「そんな事ないッ!!」


 突然叫んだ私の声に、メル君はビクッと身体を震わせて、口を噤んだ。


「……そんな事、ないもん……」


 ……違う。彼女はそんな子じゃない。なにか事情があって、船に乗れなかったに違いない。


 うん。きっとそうだ。 ……だから、待っていなくっちゃ。


「……ごめん、ティア様。流石に言いすぎたよ。 ……忘れて」

「ううん。私も、急に怒鳴ってごめんね……」

「……もう少しだけ、待ってみようよ? 今日の便は、後一回残ってるもの」

「……うん」


 そうだよね。今日の便は終わってないのだから、諦めるのはまだ早い。


 それからメル君は、何も言わずに私と一緒に待っていてくれた。

 しばらくして日が沈み、本日最後の便が到着したけれど、薄々感じていたとおり、その日も彼女が船に乗ってくる事はなかった。


 それでも、私は彼女を待ち続けるのをやめなかった。もし彼女が帰ってきた時に、船着場で私が待っていなかったら、きっと悲しい思いをさせてしまうかもしれないもの。


 大丈夫。待つのは慣れているから。


 まだ長期休暇は終わらないのだ。その内、シルビアちゃんは帰ってくる筈だ。遅くなってごめんね? だなんて言いながら、申し訳なさそうな顔で、ひょっこりと船から顔を出すに違いないのだ。


 だから、今感じているこの不安な気持ちはきっと気のせいだ。


 うん、絶対にそうだ……うん。



 ――

 ―――※



 一時帰宅をしていた生徒達が、家族とのひと時の別れを惜しみながら、名残惜そうに旅立ちの挨拶を交わしている姿があちこちで見えた。


 長期休暇の期間は終わってしまったのだ。 ……彼女は、いよいよ帰ってこなかった。


 私は静かに目を閉じて、その事実を受け入れた。


 メル君の言っていた通り、彼女はもともとダグラスの国民だ。

 向こうで自分の居場所を見つけたのなら、もう、この地に帰ってくる理由はないのだ。


 そう悟った時、新聞を買いに行っていたメル君が、慌ててこちらに駆け寄ってきた。


「ティア様、見てよこれ……!」


 メル君は、握り締めてクシャクシャになった新聞を私に押し付け、読むように促した。反射的に受け取った私は、新聞を広げながら、記事に目を通していく。すると……


「え……?」


 新聞に記された、ある箇所。


 そこには、外国で起こったニュースが載っており、最近起きた事件について記されていた。


 記事は、ダグラスの王立学園に通っている一人の少女が、ある日突然、学園内で姿を消したという内容だった。


 その子の特徴は、鮮やかな金の髪に、ルビーのような赤い瞳の伯爵家のご令嬢。


「……う、そ……」


 私が待ち続けていた女の子。


 ——令嬢シルビア・スカーレットが、失踪したという記事だったのだ。

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