2-9
「シルビアちゃーん! お待たせー!」
「まあティアちゃん! いらっしゃい。待っていたわ? 今日もお話しましょう?」
お気に入りの小高い丘の上で、レースの日傘をさしながら本を読み、私の仕事が終わるまで待ってくれていた友人の元へ駆けていった。
ここは彼女——シルビアちゃんと会う時の、暗黙の了解となっている場所だ。私達は、いつもここで待ち合わせをしている。
彼女と一緒に食べようと、ナナに持たせてもらったクッキーと、紅茶の入った水筒を携えて近づくと、シルビアちゃんは微笑みながら日傘を閉じる。彼女の膝の上には、最近読み始めたのだという、何やら小難しそうな本が広げられており、どうやら、つい先程まで読んでいたようだった。
「じゃーん! 見てみて! ナナにクッキー作ってもらったの! 一緒にたべよー?」
「まあ! 私、ナナさんのクッキー大好きよ? いつかお会いして、お礼を言いたいくらい」
そう言って、シルビアちゃんは儚げにふわりと笑う。
彼女は心臓に疾患があるらしく、ここには療養の為に来ているそうだ。
なんでも、元々はダグラスに住んでいたそうで、生まれつき身体の弱かった彼女は、幼い頃からこの地で暮らしているらしい。けれど、十五歳の誕生日を迎えたら学園に入学する為に、一度国に帰る事が決まっているのだそうだ。
あまり出歩く事が出来なかった彼女と、同年代の女の子の友人がいなかった私は、出会ってすぐに打ち解けて友達になったのだ。
彼女は、とても賢い子だった。
本人は本ばかり読んでいるからと謙遜しているけれど、積み重ねてきた読書量は並々ならぬものがあるようで、私の知らない数々の知識を彼女から教えて貰ったのだ。
それは、この世界での一般常識や、人々が信仰する二柱いるという神様の存在に始まり、彼女が経験した貴族間でのお茶会や、家庭教師をつけた勉強の日々。
そして、心臓に負担をかけないよう披露した、簡単な社交の場でのダンスの話。
彼女の紡ぐ言葉は優しくて、心地の良い音楽のようだ。
穏やかな声色で語られるそれらには、思わずこちらが引き込まれてしまう何かがあるように思う。
……ただ、彼女の取り巻く環境を聞けば聞くほど、貴族めんどくさっ! と失礼な感想しか出てこない私だけれど、シルビアちゃんの方も、「少し、気が重たいのだけれど」と言っていたので、彼女もきっと面倒だと感じているに違いない。
私は私で、お店を立ち上げる際に実際行った、『紙芝居子供フィッシング作戦』や、一円安いだけでお得な気がする『家電量販店的作戦』等をシルビアちゃんに話したところ、彼女はお腹をかかえて呼吸困難になる程笑い出した。
あんまり笑わせ過ぎたら命に関わりそうだなと本気で感じたので、今後は気をつけようと思う。
……にしても笑うような話じゃないと思うんだけどな。シルビアちゃんのツボがわからない。
彼女はいつも楽しそうに私の話を聞いてくれるから、私は、それがとても嬉しくてしょうがないのだ。
私の紡ぐしょうもない話が、身体があまり丈夫ではない、彼女の慰めになればいい。
少しでもシルビアちゃんが元気になってくれたらいいなと思う。
お互い育った環境が違うけれど、彼女とは、妙に気が合うのだ。
……そして、今日は彼女に聞きたかった事を……でも、怖くてどうしても聞けなかった話を聞いてみようと思っていた。
……この世界の重要人物である“あの子”の存在について。
「ね、ねえ……シルビアちゃん……?」
「なあに?どうしたの、ティアちゃん」
緊張からドクンドクンと鼓動が早まる。喉がカラカラになりそうだ。
私はどうしても確かめたかった。 ……主人公、マリアの存在を。
「あ、あのね……! シルビアちゃんって、ダグラスから来たでしょ? それでね……マリアさん、って知ってる……? マリア・ダリスさんっていう、男爵家のご令嬢なんだけど……」
シルビアちゃんは小首を傾げて、頬に手を当てながら考えているようだったけれど、しばらくして、目を伏せて、ゆっくりと首を振った。
「……ごめんなさい。存じない方だわ」
「そ、そっか……」
……少し、ほっとしてしまった。お話の登場人物を確認するのが怖かったのだ。
私は、未だに性懲りも無く、ここがゲームの世界じゃないという可能性にかけてみたかったから。
「でも貴族の方なら、きっと学園に入ったらお会いする筈ね。お知り合いの方なの?」
「う、ううん……! 私が、一方的に知っているだけで、向こうは知らないの!」
「そうなの……? でも、見かけたら、ティアちゃんに教えるわね」
シルビアちゃんは不思議そうな顔で私を見ていた。
……当たり前だよね。
異国にいる、しかも、一方的に知ってる相手を探るだなんて、普通はしないもの。
「ありがとう……ごめんね、変な事聞いて」
「ううん、気にしないで。私の方こそ知らなくてごめんなさい。身体が丈夫でなくて、あまり他家の方と交流出来ていなかったから」
シルビアちゃんは、気を落とした私を気遣うように、「そうだわ」と言って話題を変えてくれた。
「そういえば、王子様の噂なら、良く聞いたのよ?」
「…………え」
王子様……ウェル様の事、だよね。
思いもよらなかった人物の名前に、心臓がドクン、と跳ねる。
まさか、シルビアちゃんの口から、その話題が出るとは考えもしなかったのだ。
「なんでも王子様は、ご婚約者のご令嬢と、大変仲睦まじくていられるそうなの。お二人はとてもお似合いなのですって。 ……ただ、そのご令嬢の方が病弱らしくって、姿はお見かけした事がないのだけれど」
「そ、うなんだ……」
ズキリ、と胸が痛む。
まるで、鋭いナイフで心臓をひと突きされたかのようだった。
……そっか。ウェル様、別のお相手の方が見つかったんだ……
……ううん! 何をショックを受けているんだ。こうなる事は覚悟してた事じゃない……! だって、侯爵家からいなくなるって決めたのは、私自身が選んだ事なんだから……!
……でも。もしあのまま残っていたら、ウェル様の隣に、私は今でも一緒にいられたのかな……?
今更考えたってしょうがない事なのに、私はつい未練がましく考えてしまう。
「ティアちゃん? ……どうしたの? 顔色が悪いわ?」
「あ……」
彼女に心配をかけてしまった。
誤魔化すように頭を振りながら、気をとりなおして、シルビアちゃんに向き直る。
「……ううん、なんでもない! 気にしないで!」
「そう……? それなら良いのだけれど……ああ、そうだわ! この前ティアちゃんから頂いた石鹸、とても使い心地が良かったわ。特にバラの香りのが、私好きよ」
彼女は両手をポンっと合わせ、この前渡した石鹸の事を話してくれた。きっと気を遣ってくれている。この友人には心配をかけてばかりだ。
心の中でごめんね、と謝り、私は急遽変わったこの話題に感情を振り切るようしてに乗っかった。
「早速使ってくれたのー? ありがとう!」
「もちろん。それでね、私、思ったのだけれど……これを貴族向けにも販売するのはどうかしら?」
「うーん……そうしたいのは山々なんだけど、こういった庶民のは貴族は買わないんだって、ロブが言ってたからな〜!」
「まあ。 ……結局あの人達は、自分よりも地位が下の人間だと思っているのね。だから認めたくないのだわ」
シルビアちゃんは、なにかを考えるようにじっと視線を落とした。しばらくして、彼女はいい事を思いついたと言わんばかりに顔を上げ、ルビーのような瞳をキラリと輝かせる。
「……そうだわ! 私が後ろ盾になってあげる」
「え……?」
「お父様に頼んで我が家の力を使うわ? そして、ティアちゃん家のお店をバックアップするの。そうすれば、貴族向けにも販売が出来る筈だわ」
「で、でも……! シルビアちゃんに悪いし……私、なんのお返しもできないよ……?」
「まあ。ティアちゃんったら、変な事を言うのね? だって私達、お友達でしょう? 気にしなくっていいの。ティアちゃんだって、いつも言ってるじゃない」
「シルビアちゃん……」
彼女は私の両手をそっと握り、真剣な眼差しで私の顔を覗き込みながら、話を続ける。
「それにね。これは、この国のあり方を変えるキッカケになるかもしれないわ。 ……この国があまり裕福じゃないのは、何故か知っていて?」
「……ううん。どうして?」
「それはね、この国の貴族達が財産を溜め込んでしまうから。上に立つ彼らがお金を使わなかったら、下にいる者達にお金が回る事はないのだわ。だからね? 私達二人で、貴族達から一緒にお金を吐き出させてしまいしょう? きっと、とっても面白いわ?」
「シルビアちゃん……」
僅かな時間でそこまで考えの回る彼女に、私は驚いたと同時に、彼女の優しさにも気がついた。
もしかして、普段から考えていてくれたのかな……?
「その代わり、新しい石鹸が出来たら、また使わせてね?」
茶目っ気たっぷりにウインクするシルビアちゃんに、私はつられて笑ってしまった。
「もちろん! シルビアちゃんになら石鹸百個でもあげちゃう!」
「まあ! ……流石にそんなにはいらないかしら」
クスクスと二人で笑いながら、手に取ったクッキーを口に含む。
サクリ、と小気味よい音を立てながら、舌の上に甘やかな味が広がっていった。
緩やかな午後の空気の中、紅茶とクッキーをお供にして、どうやって貴族達からお金を巻き上げるか? 彼ら向けの商品のラッピングはどうするか? を、私達は熱心に話し合った。
異国の地で出来た友人は、頭が良くって、儚げで、それでいて茶目っ気のある、とびっきり可愛い女の子だ。
彼女が王都へ帰ってしまうその日まで、のんびりとこうやって、二人で一緒に過ごせたらいいな。
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