2-4
私達の生活にナナが加わった翌日、この先どうやって生活していくかを話し合う前に、まずは朝食を食べてからにしようと言う事になり、今は三人で食卓を囲んでいる最中だ。
朝しっかり食べるのとそうでないのとでは、頭の回転が違うというし、きっと良いアイデアだって、食べる事により生まれると思うのだ。朝ごはんは偉大だからね!
「さあ、ごはんですよー!」
ロブ青年は、買い置きしてくれていた紙袋の中から、人数分の食品を取り出してくれた。
古びたテーブルの上に、真っ赤なリンゴがコトリ、と置かれる。
素材だ。
料理とかではない、素材そのものが、相も変わらず我が家の食卓に並ぶ。
「わーいっ! リンゴだー!」
私はすかさずリンゴを手に取ると、表面を袖で軽く拭ってから歯を立てる。シャリ、と良い音が口元から響くのを聞きながら、もそもそと咀嚼して味を確かめる。
うん! 今日のリンゴも蜜が詰まっていてとっても美味しい!
ロブ青年、なかなか見る目があるな。
ロブ青年も自分の分を手にとり、親指で表面を軽く拭ってから咀嚼し始める。二人でニコニコしながらリンゴを食べていたけれど、ナナだけがまったく動く様子がない。
ちらりとナナを見てみると、彼女は無表情のまま微動だにせず、静かに私達の様子を見つめているようだった。
どうしたんだろう……? 心なしかナナの表情に、不穏な気配を感じる気がする……
「……朝食って、まさかリンゴのみですか?」
「はい、そうですよー! ナナさんも、是非食べてみて下さい! ここのリンゴは蜜が詰まってて、とっても美味いんです!」
「…………ちなみに他には?」
「うーん……後は胡桃とかですかねぇ」
それを聞いたナナは、口の端をゆっくりと笑みの形に釣り上げていきながらニコっと微笑むと、ロブ青年の二の腕に、自身の細い両手をそっと添えた。
「うぇっ!? な、ナナさんっ!?」
まさかの異性からの急な接触に、ロブ青年の顔が仄かに赤らむ。
そして私は突然始まったこの光景に恋愛的雰囲気を感じ取り目の前の二人の行方を見届けるべく瞳孔をグワっと見開きついでにテーブルからも身を乗り出して見守る体勢に入った。
ナナは柔らかく微笑んだまま、じっと、ロブ青年を見つめる。彼女の小さな唇が開いていき、穏やかな声音で言葉が紡がれた。
「ロブ……右腕が360度曲がるのと、左腕が360度曲がるの、どちらがよろしいですか?」
「え……? どういう意味で……って! あだだだだだだ! な、ナナさんっ!?」
ナナは、ロブ青年の二の腕に両手を喰い込ませ、まるで雑巾を絞り上げるかのように、力いっぱい捻り上げていた。
「こんな料理とも言えない食事でお嬢様の栄養が偏ったらどうするんですのっ!!!!」
どうやらナナは、我々の食事内容のあまりの酷さにキレているだけだったようだ。久しぶりに彼女の大声を聞いたせいで、一瞬意識が飛びかけリンゴを落としそうになったけれど、それにしても。
……なあんだ、そっちだったか紛らわしい。
私は脱力して椅子に座り直し、再びリンゴの咀嚼に専念する。
それにしても、女性に免疫のない相手に気軽にボディータッチをするとは……ナナたそ、なんて事をするんだ。
あんなんされたら惚れるに決まっている。私がロブ青年だったら即座に結婚まで考えたに違いない。なんなら子供と白くて大きな犬の姿も見えた。
ナナ……やはり、魔性の女……
っと、感慨深く思いながら咀嚼を続けていると、ロブ青年が助けを求めるようにこちらを見ているのに気づいてしまった。
「ち、違うんです! お嬢様が、リンゴが好きだっていうから……!」
貴様ぁ! なんてことを言うんだ! 私まで怒られるじゃないか!
ナナがゆっくりとこちらを振り返る。両手はまだロブ青年の腕を捻り上げたままだ。
「…………お嬢様、本当ですの……?」
氷のように冷たい彼女の声に、本能的な恐怖でビクっと身体が跳ねる。
まずい……ここで正直に答えたら、私まで巻き添いを食らってしまうに違いない。
私はリンゴを持つ手を下ろし、目を伏せながら、出来るだけ辛そうな雰囲気の声をだした。
「ううん。私ね、ほんとうはリンゴ、いやだったの。でもロブに匿ってもらってるから、強く言えなくて……」
「お、お嬢様っ!? この前リンゴ好きだって言ってたじゃないですかっ!? それに、さっきもわーい! って言ってて……あだだだだだ!! す、すいませんすいません!! 俺が悪いんですっ!!」
すまんなロブ青年。私は怒られたくないのだ。
腕の関節をギチギチと反対方向に締められ続けるロブ青年の、恨みがましそうな視線と目が合わないように、私は明後日の方向を見ながらリンゴを食べ続けた。
※
「では、当面はお嬢様の安全の為に、共にこの地で過ごしていく、という事で良いですわね?」
「は〜い!」
「わかりました!」
ナナがまとめてくれた今後の方針を聞き、私達は、揃って同意の返事を返した。
私の話した予知夢……もとい、乙女ゲームの筋書きをなぞって私が死んでしまわないようにする為に、徹底的にお話を無視し続けていきながら、この家で穏やかに過ごすという、当初とあまり変わらない方針でいく事となったのだ。
この地で長年住む事になるのだから、まずは家を整え、近隣住民と良好な関係を築き、生活基盤を安定させようというのが目下の目標である。
下手に人目を忍んで引きこもっているよりも、むしろ堂々としていた方が却って目立たないと言うナナに、なるほど確かに……! と目から鱗の心境だ。
そういえば、以前近所の住民達に挨拶をした所、妙に遠い距離から会釈をされたり、まるで不審者を見るように嫌な顔をされては露骨に無視されたりしたので、今思えばこれ、避けられていたに違いない。
廃墟に出入りする若い青年と、偶にちらつく幼児の姿……確かに怪しさしか感じないだろう。
でも今はこちらにナナがいるし、丁度三人共、庶民によくある茶髪(内、一名カツラ着用)だ。
私がかけてるこのだてメガネは意外と顔の印象を誤魔化してくれているので、私もちょこちょこ外に出るのもありかもしれない。
これからはご近所付き合いを大事にしていこう。
目標は、挨拶したら笑顔で返してもらうんだ。
ナナについてだけれど、ここに来るまで、女性一人で危なくはなかったか? お金は大丈夫だったのかと聞いてみると、彼女はニコリと微笑んで、ポケットから皮袋をとりだしてみせた。持たせてもらったその袋はずっしりと重い。ナナは意外とお金を持っていたのだ。
魔女の異能という力があるように、なんでもこの世界、血筋による加護のようなものがあるらしい。ナナは父親側の血筋を色濃く受け継いでおり、常人よりも強い力が発揮できる、という加護を持っているのだそうだ。
彼女は幼少の頃から、父親による指導を受けていたそうで、『相手を仕留めるのには自信があるのです』と豪語していた。
というか、これこそチートといえるんじゃないの……?
おかしい……私に加護とかないんだけど……?
……ま、まあとにかく! ナナは旅行客の格好をしながら一人で町や村を訪れては、目についた廃墟へ片っ端から訪問していたそうだ。もしかしたらそこに私がいるのではないか? と思ってくれていたらしい。廃墟といっても意外と人が住んでいるらしく、住人と対面した時は、一応訪問の態をとっていたそうだ。
相手が普通の住人だったのなら、世間話をしながら立ち去るけれど、あきらかに犯罪者だった場合は即座に襲撃、警備隊に突き出し路銀に変える、を繰り返していたらしい。
ちなみに廃墟訪問が五十軒めを超えたあたりで我が家に辿り着いたというところまで聞いて、私の中のナナに対する印象がガラリと変わった。
……わ、わ、私の癒しの大天使であるナナたそが、強盗のような真似を!
美人で優しく気が強くて、怒らせるとちょっぴり怖い彼女のイメージに、モヒカンヘアーで釘バットを振り回す、世紀末の蛮族の姿が、私の中で新たに追加されたのだ。
今まで全く気してなかったけれど、彼女を本気で怒らせた場合、命の危険がでてきそうだ。
ま、まあ、私は大丈夫でしょう! 幼児だし、それにナナの事は大好きだ。
……危ないのは、主にロブ青年かな。
「では、早速食材を買ってきますわね? ロブはお嬢様とお留守番をお願いします」
「はい、わかりましたっ! ……ところで、ナナさんも俺の事呼び捨てなんですね……」
「…………なにか?」
「ヒィッ! な、なんでもないですッ」
この二人、もう上下関係ができている気がする。まあ無理もないか。ロブ青年、地味に酷い目にあっているから。 なんか……ほんと、ごめん。
※
両手いっぱいに紙袋を抱えて買い出しから戻ったナナは、そのまま年季の入った台所へと移動する。買ってきたばかりの食品を収納した後、彼女は鍋を火に掛けて食事を作り始めた。しばらくすると、グツグツと鍋の煮える音と、食欲を唆る匂いが居間に漂ってくる。
「いいにおい〜」
「わあ〜! 何を作ってるんですか?」
「ふふ。シチューですわ。それと、パンが安く手に入りましたから、皆で食べましょうね?」
「わ〜い!」
出来上がったシチューとパンを乗せたお皿が食卓に並ぶと、私とロブ青年は待ってましたとばかりに席につく。ナナが席についたのを合図に三人で食事を始めた。
ほかほかと湯気をたてるシチューをスプーンで掬って口の中へと運ぶ。
程よく煮込まれた野菜の旨味が広がり、優しい味わいに、おもわずふふ、と笑みが溢れる。
久しぶりに食べたまともな食事に、私は心の底から感動した。やはり、人間キチンとした料理を食べなければ駄目なのだ。
なんだ素材って!
栄養偏るやんけっ!
「おいしい〜!」
「ふふ、お嬢様のお口に合って良かったですわ? ロブはどうですか? ……ロブ?」
見ると、シチューを一口食べたロブ青年が静かに俯いているところだった。
「…………あ、いえ。こんなに美味しい食事は随分久しぶりに食べたので、子供の時以来だなって思って。 いつもは、安いのを適当に買って過してましたから」
そうだ……彼は身寄りが無いと言っていたっけ。
話し振りからするに、彼が幼い頃に両親を亡くしているのだろう。きっと、家族が生きていた時の事を思い出していたに違いない。
いつもは頼りなく、結構失礼な事を言う彼だけど、今はなんとなく元気がなくて、まるで迷子の子供のように寂しそうに見えた。
「……ロブ、これあげる!」
私は自分のパンを掴み、彼のお皿の上に置いた。
「私も」
ナナも私に続いてパンを差し出した。彼女も私と同じように、ロブ青年に思うところがあったのだろう。
「……ありがとうございます。はは、凄く美味しいです……!」
ロブ青年は嬉しそうにはにかんだ後、照れ隠しの為か、ガツガツと掻き込むように食べ始めた。
目尻に少し涙が滲んでいたのに気づいたけれど、見なかった事にしておいてあげよっと。
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