幕間 王子の独白

 その日は、鈍色の雲で空が覆われた、不穏な色をしている日だった。


 自室の机で私は、ある愛らしい女の子の為に、手紙をしたためていた。まだ幼く、無邪気に笑うその笑顔を思い出しながら、思わず笑みが零れてしまう。


 彼女と出会えたのは、本当に幸運だったと思う。

 もしかしたら、自分の人生の運を全て使ってしまったのではないかというほどに。


 ——私は、孤独だったのだ、と、

 今ならば思う。


 両親からの愛は感じる。

 彼等の仲も良好だし、無愛想だが、実力は折り紙つきで密かに憧れている騎士の男が自分の護衛としてついてくれている。


 だが、忙しい彼等といつでも話せる訳では無かったし、自分自身も次代の王となる為の立ち振る舞いや、教養を身につける事に日々を追われ、誰かと腹を割って心から話せる機会など無かったのだ。


 彼等と話せないでいると、その隙間を狙ってか、他の者たちが私に話しかけてくるようになる。


 初めは嬉しかった。


 だが、ふとした時に違和感を感じる。それがなんなのか分からなかったが、繰り返していくにつれ、その正体が掴めるようになる。


 自分に近づく人間は、どうやら地位や、そのおこぼれにありつこうとする者たちばかりらしい。

 彼等は顔は笑っているのに、よく見ると目の奥は笑っていないのだ。


 気づいた時は怖かった。それに、虚しくもあった。

 彼等は結局、私ではなく、次期王という立場しか見ていないのだ。それは、大人も子供も関係ないようだった。


 婚約者を持てる年になると、父の命により、適齢期の令嬢がいる屋敷を訪れるよう、各地を回る旅が始まる。


 初めて会う女の子達は、皆、私を見ては顔を真っ赤に染め、ギラギラとした目つきで見つめてくる。


 おそらく母親にでも言われてきたのだろう、まだ幼いはずの女の子達は、年頃の女性のように直ぐに腕を絡めてこようとしたり、濃く塗りたくったお化粧に、香水の匂いをプンプンさせながら、甲高い声で自分の事ばかり喋るのだ。


 ……相手がどう思っているかなど、考えもせずに。

 少し、女の子が苦手になった。


 早いうちから人間の歪さや醜い部分を見てしまったせいなのか、ひとめ見て、その人物の人となりがわかるようになってしまった。


 嘘で凝り固まった笑顔を私に向ける彼等に、期待は到底出来なかったし、されたいとも思わなかった。


 だがある日、彼女に出会う。

 一生を捧げても構わないと、心から思える彼女に。


 彼女は不思議な子供だった。


 淡い薄桃色の髪に、海の底を思わせる深い深い蒼の瞳。その美しい色を持つ彼女を初めて見た時、あまりの愛らしさに見惚れてしまう。


 話してみると、自分よりも年下で、まだ数年しか生きていないというのに、拙い喋りながらもしっかりとした自己を持っているようだった。偶にはっとさせられる事を言われては、ど肝を抜かれる事もあった。


 と思いきや、年齢通りに子供らしい一面もあって、打算も何もないその純真さに癒される。

 突然お忍びでやって来た自分を、彼女は心から歓迎してくれた。


 知らない遊びも教えてもらった。

 “鬼ごっこ”というもので、どこか遠くの異国の遊びなのだそうだ。


 楽しかった。

 こんなに全力で遊んだ事など今までなかったのだ。


 彼女は自分を友人だと言ってくれた。 ……それに初めて出来た友人だと。

 彼女の一番を与えて貰えて嬉しかった。


 移動する度に、隙あらば彼女の手を握る。

 子供特有の体温の高さを感じて、その手を通して自分の心にもポッと熱が灯ったような錯覚を覚える。


 触れた手のひらの温もりも、その柔らかさも。全てが心地よかった。


 ずっと彼女に触れていたい。

 彼女しかいないと思った。

 一生を添い遂げるなら、彼女がいい。彼女しかいらない。


 ……彼女は私を受け入れてくれるだろうか。それだけが、無性に怖かった。



 ——彼女の家が、婚約を了承してくれたらしい。それに、彼女自身も私を受け入れてくれたのだ。

 飛び上がる程嬉しかった。


 ある日、彼女から手紙が届いた。侯爵が信用のあるものに持たせてくれたようだ。


 内容は、今勉強している事や、刺繍が上手くなった事、それに、綺麗な蝶々を見かけた事。

 そんな他愛もない話が便箋いっぱいにびっちりと書き込まれている。


 便箋に走る、まだ少しぎこちない字を目で追っていく。


 丁寧に書こうと手に力が入ったのか筆圧が強くなっているところなどに気づき、無意識に口元が小さく笑みの形をつくる。


 届いたその日から、手紙は自分の手元にある物の中で、一番の宝物になった。


 早く、彼女に会いたくなる。

 ……そうだ! 私も手紙を書けばいい。


 まずは手紙をくれた事のお礼を書き、今の自身の状況や、婚約を受けてくれて嬉しかったと綴る。


 少し枚数が少ないかも知れない。

 なにしろ、彼女は二十枚も書いてくれたのだ。平均的な枚数はわからないが、自分が書いたのは五枚程。


 ……彼女に呆れられないだろうか。

 護衛騎士であるテオドールに聞くと、酷くどうでもよさげに「その枚数でいいですよ」と言われてホッとする。

 彼が言うなら間違いないだろう。


 書き上げた手紙を侍従に持たせ、彼女の家に届けるように伝える。彼女の家はここからとても遠い。

 無事、届いたとしても、返事を貰えるのは早くて二ヶ月後ぐらいだろうか。


 今から楽しみでならない。


 ——だが、彼女からの返事は一向に来る気配がなかった。

 初めは距離があるからと思っていた。

 だが、日にちが経つほどにおかしいと気づく。

 いくらなんでも、彼女が書かない訳がないのだ。


 考えて、考えて、考え尽くして……ある時気づく。

 自分の手紙が、届いていない可能性に。


 試しに何も書いてない手紙を侍従に持たせ、気づかれないよう後をつける。すると侍従は、辺りをキョロキョロと見回し、人影が無いのを確認すると、庭園の茂みの中へ進んでいった。


 柱の陰に隠れて様子を伺っていると、しばらくして侍従が戻ってくる。

 その時には手紙を手に持ってはおらず、おもわず飛び出して問い詰めると、侍従はギョッとした顔をしながら「王子からの手紙は他の人間に渡す手筈になってるので、その先の事は知らないのです」と言った。


 ならば、ともう一度手紙を書く。なんども、なんども。

 その度に、城の者の手で握り潰される。犯人は割り出せていない。この城内には、カルト教団の生き残りがいるのだという事は知ってはいた。信頼の置ける者達で探し出してはいるのだが、正体は未だ、掴めずにいる。


 奴等は自身の手で事を下さず、他者を巧みに使いながら証拠の残らぬようやってのける。悔しいが地道に炙り出して排除していくしかない。

 だが、こちらの行動を嘲笑うかのように、カルト教団と繋がっている者たちが次々と邪魔をするのだ。 ……その手は、城の根深い所まで、伸びているのかもしれない。


 彼女への手紙を届けるのなら、直接侯爵に渡すのが一番だが、生憎、リヴィドー家の領土は王城から遠く、侯爵本人も領内の仕事に追われている為、なかなかこちらまで来られないのだ。


 しばらくして、城に出入りしている貴族の中からどうにか信用のおける者を見つけ出し、手紙を託すことに成功する。

 きっと、今度こそ彼女の元に届く筈だ。今から返事が楽しみだ。


 だが、彼女から手紙が返ってくる事はなかった。 ……彼女が何者かに誘拐されたのだ。


「そんな……!」


 視界が滲み、全身から力が抜けていく。頭の中が真っ白になり、心に大きな空洞が空いたかのような気持ちだった。

 ……いなくなってしまった。私の婚約者になった、大好きな彼女が。


 ……だが、希望は捨ててはならない。誘拐だというのなら、身代金を払うまで彼女の安全は保証される筈だ。


 自分も探しに行きたい。けれど、立場がそれを許さない。


 彼女の書き置きから、彼女の祖父が犯人である可能性が浮かび上がる。捜査の手が及んだのだが、どうやらこの件には無関係のようだった。だがこれがきっかけとなり、前侯爵が犯した重大な罪が露見してしまう事となる。


 前侯爵は熱心な魔女崇拝者だったのだ。

 

 彼の屋敷から、今では違法となっている黒の神への信仰を示した御神体と、”聖灰”という、体内に取り込むと猛毒とされる粉末を大量に所持しているのがわかった。


 彼の罪はそれだけではなく、屋敷の近隣で暮らす領民達を“幸福”にする為、”聖灰”を良薬と偽り、摂取させようとしていたらしい。


 当然、前侯爵は捕らえられ、王城の地下牢へ繋ぎ、生涯幽閉の身となる事が決まる。


 前侯爵は、度重なる聖灰の摂取により中毒症状に陥っていたらしく、聖灰の摂取を突然止めた事で、突然奇声を発しては喉を掻き毟ったり、頭を何度も壁に打ちつけたりと異常行動を繰り返すようになる。


 その様子を間近で見続けた牢番達は、『前侯爵は悪霊に取り憑かれているのではないか』と怯えて過ごしているのだという。


 彼女の父君である現侯爵は、娘を失った悲しみと、長年信頼してきた実父が、裏で罪を犯していた事実に憔悴しきってしまい、「身内から犯罪者を出してしまった我が家からでは、婚約者を出す事は出来ません。どうか、辞退する事をお許し下さい」と言ってきたのだ。


 だが、私は彼女を諦めるつもりはない。

 渋る侯爵を必死で説得し、両親にもこの件を握りつぶす事を提案する。


 父は、侯爵を含めた信用のおけるもの達と話し合い、前侯爵の独断だった事、領民に被害が出る前に収束出来た事に加え、現侯爵の人柄や、先のカルト教団討伐の功績が認められた結果、この事件は不問とする事になる。


 だがその代わり、私が次代の王となるのを予定より早める事が決まる。条件はまだある。現状、国の抱える問題を必ず解決する事、彼女が万が一見つからないようであれば潔く諦め、別の女性を伴侶として迎え入れる事を約束させられる。


 ……この事を周囲に気取られてはならない。


 彼女がいなくなった事が知れ渡れば、折角手に入れたこの婚約は破棄されてしまうだろう。

 そんな事になるのなら、死を選んだ方がマシだ。


 まだ、時間は残されている。

 後十年。期限を迎えるその時までに、必ず彼女を見つけだしてみせる。


「ルル……どうか、無事でいてくれ……!」


 ——私には、君だけしかいらないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る