1-6
「ああ〜ひまだな〜」
ウェル様が去っていったあの日から、私は暇を持て余し気味だ。
あれから毎日、刺繍やお菓子作りの練習をしてるけれど、やれる事にも限度があるし、なんせ一日は長い。
幼児の精神に引っ張られているからか、どうやら体感時間が大人の時よりも長く感じているようなのだ。なんとなく、前世での倍以上に感じてならない。
ウェル様と遊んでいた時は、あっという間に時間がたっていて、いつのまにか夕方になっている事も多かったけれど、最近は一日がどうも長いような気がしてダメだ。
「も〜! お嬢様ったら! またそんな事言って! ほらほら、背筋をシャキッとさせて下さいませっ! オリウェル様に、素敵になったお嬢様を見てもらうんでしょう? 暇なら刺繍でも刺しますか?」
「でもぉ〜、ずーっとやってたら、からだに悪いし〜! ほどほどにしないと〜。 根のつめすぎは、良くないんだもーん」
「またそんな事言って! やろうと思えば色々とありますのに。 ……全く、一体どこでそんな言葉を覚えてくるんですの?」
「ひみつ〜」
ナナはぶちぶちと小言を零しながら、だらけきっていたせいで崩れた私の髪を掬いとり、櫛で丁寧に梳いて整えてくれる。
今日の私のやる事は終わっているのだ。
刺繍は針先をプルプルさせながら二枚は刺せたし、お菓子作りも形が崩れていない良いのが出来た。
最近本格的に始まったマナーについてのレッスンも、先程終了済みだ。
「さあ、綺麗になりましたわよ? もう崩さないようにして下さいましね?」
そう言って、ナナは腰に手を当てて満足げににっこりと笑う。
鏡を覗いてみると、下半分の髪の毛を残し、両サイドを三つ編みにして後ろで縛った髪型になった私が映る。
今回はハーフアップのようだ。
「ありがと〜ナナ!」
「うふふ、どういたしまして」
整えてもらった髪を崩さないように、そっと片手で触りながら、ウェル様の事を考える。
あれから二カ月が経とうとしている。彼は、もうとっくにお家に着いている事だろう。
……そうだ! 手紙を書いてみるのはどうだろう。
それくらいなら彼の邪魔にはならない筈だし、真面目な性格のウェル様ならば、きっと、返事を返してくれるに違いない。
手紙を誰かに送るだなんて、すごく久しぶりだと思う。
前世では、メールでなんでも済ませてしまえたからか、子供の頃に数枚、友人に送ったっきりだ。
大人になってからは年賀状ぐらいしか送ってなかったんじゃないだろうか?
うん。きっとウェル様となら、楽しい文通になる筈だ。
「ナナ〜、わたし、ウェルさまにお手紙かきたい〜!」
「まあ。とっても良いと思いますわ! お嬢様、オリウェル様の事を気にされてましたものね? 早速、便箋を用意致しますわね」
「わーい、ありがと! ナナ」
しばらくして、手紙に必要な物一式を手にして戻ってきたナナは、それらを机の上に並べて、使いやすい様に準備をしてくれ、私は机に向かい、意気揚々と手紙をしたためにかかった。
「ええ〜とお……ウェルさま、ごきげんいかがですか、と。わたしは……」
書きたい事はたくさんある。
マナーについての勉強に、最近読んでいる絵本の事。それにお菓子作りや刺繍が少し上手くなった事。
書けば書くほど、次々と釣られるように話題が浮かんでいき、紙の上でペンがスルスルと文字を綴っていく。
たっぷり二十枚ぐらいは書いたんじゃないだろうか? キリのいいところでペンを置き、インクが乾くのを待つ。
……いや、ちょっと書きすぎたかもしれない。初回でこの量は引かれないだろうか……?
ま、まあ書いちゃったものは仕方がないしねっ!
捨てるのも勿体無いし、このまま送りつける事にする。
便箋を丁寧に折りたたんで、慎重に封筒に入れていく。
分厚過ぎてちょいちょい引っかかる便箋を無理矢理捻じ込み、閉じた口の部分に、ナナに溶かしてもらった蝋を垂らして、その上から我が家の家紋が入った印璽を、力を入れてギュッと押す。
そおっと印璽をどかすと、まだ熱を持った柔らかな赤い蝋に、くっきりと我が家の家紋がついてるのが確認出来た。
よし。上手くできた。
後は送るだけ! っと、思ったところでふと気づく。
……そういえば。ウェル様ってどこのお家の子なんだろうか……?
あれだけ毎日のように遊んでいた癖に、私、彼の事何も知らないんだ。
……いやいや何やってんだ。そんくらい聞いとけよ自分!
「……ナナ〜、わたし、ウェルさまのお家の名前、知らない〜」
「ええ!? お嬢様、あれだけお側にいらしたのに、お聞きにならなかったんですの?」
「まあね! あそぶのに、いそがしくて、聞くのわすれた〜」
「もう、しょうがないですわねぇ。 ……っと言っても、私も存じあげないのです。 旦那様に聞いてみてはいかがですか? 本日はご在宅なさってますわよ」
確かにお父様なら、ウェル様のお家の事を知ってるだろう。私に案内を頼んだ張本人だしね。
「わかった〜! 聞いてくる〜」
善は急げとばかりに椅子から飛び降りて、私は部屋を駆け出した。
「あ、お嬢様! 走っては駄目ですってば! もう……!」
ナナは呆れたように溜め息をつきながら、私の後を付いてきてくれたのだ。
※
偶然、目の前を歩いていた執事のロードに、お父様の居場所を聞く。今は書斎にいる、との情報を聞いた私は、目的の場所に行くために早歩きをしながら進んでいるところである。
淑女は走ってはいけないのだから。
……いや、ほんとは背後にいる人物が怖いだけだ。
先程やはり怒られてしまい、ちょっと頭がぐわんぐわんしているのだ。
ウッカリ耳を塞ぐのを忘れて、彼女の怒りのボイスをモロにくらってしまい、脳天に大ダメージを受けている。
死ぬかと思った。
もう二度と走らんぞ。
そうして歩いているうちに書斎へ辿り着き、扉をノックする。と、中から入室を促す声が聞こえる。
ナナに扉を開けてもらい書斎に入ると、何か難しそうな書類を書いているお父様の姿が見えた。
「ルル。どうしたんだい?」
「お父さま〜! あのね〜、ウェルさまって、どこのお家の方なんですの〜? おてがみ書いたから、わたしたいの〜」
そう言うと、お父様は神妙な顔をして、何かを考えるように黙ってしまう。
「お父さま? どうしたのですか?」
「あ、ああ。何でもないよ? すまないね、ルル。彼の事は、私の方から詳しく言えないんだ。ただ、とある名家の方だとしか。けれど今、彼は彼自身の為に精一杯頑張っている所なんだ。もし、彼がルルを必要だと言えば、君は、彼の力になってあげる事が出来るかい?」
どういう事なんだろう。ウェル様、秘密にしなくてはいけないくらい、ものすごく高貴な身分の方という事なんだろうか。
もしかして、お家で何かあったのかな?
彼は今、辛い目にあっている……?
彼を助ける事が出来るのなら、私に出来る事はなんだってやるつもりだ。側にいた時間は短いけれど、彼はこの世界で出会った、私の大事な友人なのだから。
「もちろん、わたし、ウェルさまの力になってみせますわっ! だって、わたしのはじめてのお友達だもん! わるものが来たら、ぱんちして殺す!」
お父様はキョトンとした後、突然大声で笑いだした。なにやらツボに入ったらしい。
「ははは! ルルは逞しいなあ。きっと、君達二人が力を合わせたら、どんな困難も跳ね除けてしまえるだろうね。 ……でも殺すだなんて、そんな物騒な事を言ってはいけないよ? 君は小さくても一人前のレディなのだからね?」
おっと、注意されてしまったわ。
いけないいけない。つい熱くなってポロッと出てしまったようだ。もっと幼児らしさを前面にださなければ!
とにかく、次からは気をつけよっと。
「は〜い」
「では、手紙の方は私が預ろう。お父様は、少々顔が広いんだ。彼に渡す当てはあるさ」
さすがお父様、頼もしいかぎりだ!
ウェル様に手紙を送るのは諦めた方がいいかと思ったけれどなんとかしてくれそうだ。
これでウェル様からのお返事が来てくれたら良いなあ。
「はいっ! これですわ! よろしくおねがいします!」
「お、おお……これはまた……ずいぶん沢山書いたね……」
「二十枚ぐらい、書きましたのっ! たくさん伝えたい事があって、きもちが止められなかったのですわっ!」
「そ、そうかい……? なら、確実に届けないといけないね」
お父様は若干引きつった顔をしながら手紙を受け取ってくれた。
……やはり書きすぎだったか……
しかも、ちょっとがっついてる言い方をしてしまった。
大好きすぎて突進してるみたいな感じになっているけど、友人として好きって意味であって、決して恋愛的な意味のアレではないし! と、妙にソワソワしながら、心の中で言い訳をしてみたりする。
そんな私の様子が傍目には照れているように見えたらしく、お父様は微笑ましいものを見るような優しい顔をしており、側に控えているナナも口元が小さくニヨニヨしている。
うおお……わ、私をそんな目で見ないでくれぇ……
ダメだ……この空気に耐えられそうにない。も、もう帰ろう。
「おとーさま、では帰りますね? おてがみ、よろしくお願いします」
「ああ、任せておきなさい。きっと良いようになるだろうから」
「はいっ! では、しつれいしますわっ」
ナナにドアを開けてもらいながら、私は部屋を出る事にした。
ーー
ーーー※
閉まりゆくドアの向こうに見える、愛娘の姿をじっと彼は見つめていた。やがて扉は音を立てて閉まり、しばらくして、小さく呟く。
「……これなら、あの方の話を受けても良いかもしれないな」
無意識に口から言葉が零れて、彼は、机の上に置いてある手紙を見下ろした。
上質な紙で作られた便箋には、四隅に金の縁取りが施されており、隣にはそれを入れていたであろう封筒が置かれていた。
封になっていた蝋には、この国の王家を表す紋様が刻まれている。
便箋を見下ろし、綴られた内容にもう一度目を走らせていく。
『親愛なる我が友、オスカーよ。息子の意を汲み、其方の娘と我が息子、オリウェリウスの婚約を考えている。無理強いはせぬ故、どうか考えてみてほしい。良い返事を期待している。 ——シャルル・フォン・ダグラス』
それは、この国の最高権力者たる国王自身が、かつて青春時代、苦楽を共に過ごした友人へと、したためた手紙だった。
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