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 う……ん……?


 なにか、夢を見た気がする……なんだろうか?


 どうやら、いつのまにか眠っていたらしい。寝惚けまなこを擦りながら、ふあ、とひとつ、欠伸をする。


 って、ああ……! のんびりしている場合じゃなかった。早く支度して会社に行かなくっちゃ!


 妙に上等過ぎる布団を押し上げ、ふいに視界に入った自分の手を見て、酷く驚いた。


 手が……ちっちゃくなってるし……!

 ええ……なぜに……?


 そして自分の動きに合わせるかのように、先程から視界の端に、あり得ない色合いの髪の毛が、チラチラと揺れているのが見えている。

 う、薄桃……い、いやこれ夢だな。


 実はまだ寝ぼけているとみた。


 とにかく、先程まで眠っていた、なぜだか豪華過ぎるベッドから飛び起きて、真っ先に姿見の前に移動して、自分の姿を確認してみる。


 鏡の前には、愛らしい小さな女の子の姿が映っていた。


 多分、五歳くらいなのかな?

 どこか現実味の無い、淡い薄桃色の髪をした、深海のように蒼い瞳の女の子が、こちらを興味深々といった感じで見つめ返しているのが見える。


「ほえ〜」


 思わずペチペチと頬を触ってみる。


 わぁ……これ、このまま大きくなったら、ものすごい美人になりそうですよっ! 奥さん!

 ……でも、なんかこの顔、どっかで見たような……? 気のせいかな……?


 確か……うん、そうだ。

 私は、つい昨日までOLをしていた筈。

 なのに、目が覚めたら見知らぬ女の子になっている……と、いう事は……!


 こ、これあれだ! 流行りの異世界に転生しちゃったヤツだ。

 え、じゃあ、私……死んじゃったって事……?


 自覚した瞬間、ふいに、何かの映像が脳裏をよぎったような気がして、慌てておもいっきり頭をぶっ叩く。


 スパーン! といういい音が鳴り、頭がぐわんぐわんと振動する。


「ぐおおお……」


 ……正直やりすぎた。 ……痛いぃぃ。


 でも危なかった……! 今、なんか死んだ時の事を思い出しそうだったもの。

 こういうのは、絶対に思い出さない方がいいに決まっている。確かまだ死ぬような年齢じゃなかった筈だし、確実に痛い死に方をしてると思うもの。


 とにかく、自分の見た目を確認してみた感じ、ここは元の世界とは違う、いわゆる異世界という事で間違い無いと思うのだ。流石に薄桃色の髪の幼児は見た事が無いもの。


 さて。これからどうすればいいか。

 今後の行動で人生が決まると言っても過言ではないもの。下手な事は出来ないわね。


 ……いや、逆に考えろ。これはチャンスなんじゃないだろうか。

 幼児の段階で記憶を思い出したんだもの。

 一応、こんな時の為にやっておきたかった事がある。


 周りをキョロキョロと確認する。よし、誰もいないようだ……!


「ん″ん″」


 軽く咳払いをしてから、私は、異世界来たらいっぺんやってみたかった事をしてみる事にした。



 ーー

 ーーー※



「だめだ、つんだわ……」


 残念な事に、この世界にチート能力が存在しない事が確定してしまったのだ。


 先程ひとりで「ステータスオープン!」だの、「アイテムボックス!」だの叫んでみたけれど、見事に何も起こらなかったのだ。


 一人で言っていてすごく虚しかった……恥ずかしすぎる。


 出来ればおぱあああ! とか言って叫びたい。まさかのチートなしですかっ!?  と言ってのたうちまわりたい。

 しまいに滑舌も悪いというオマケ付きだ。


 世界観ファンタジーっぽいくせに、魔法とか無いだなんて……! し、信じらんないんですけど!


「はあ〜やってらんないわ〜」


 誰も居ないのをいい事に、ふかふかの絨毯が敷き詰められた床の上をゴロンゴロンと転がっていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。


「お嬢様、どうかされまし……」


 キィ、と薄く開いた扉の隙間から、お仕着せを来た、綺麗な女性がこちらを覗き込んでいる。

 彼女は確か、私の専属侍女であるナナ、という名前だった筈。

 その彼女は、こちらを見るなりピシ、と固まった。


「……あっ」


 見られてはいけない相手に見られてしまった。


 思い出してきた……ナナはメイド兼教育係をやっていたのだ。こんな淑女らしくない格好を見られたら何を言われるか……


 チラリと横目でナナを見ると、下を向きながらプルプルと震えている。


 目元は影になっていて、表情を読み取れないけれど、ここは、彼女の主をしていたであろう私だ。


 なんとなくだけれど、この後どうなるかわかる……! ような、気がする……!


「……お」


 来た! 初手は必ず溜めるのだ。この後の衝撃に耐えろ! 私!


「うおおぉ嬢様ああああ!!! 何をなさっているのですかあああ!!! レディが、そんなはしたない真似したらダメですって、昨日も言ったでしょおおおおお!!!!」


 キイィィンと鼓膜を破る勢いの彼女の声は、反響しながら屋敷全体にまで及び、その振動で、木に留まっていた小鳥達が一斉に飛び立ったのを、私は今、確かに見た。


 ……あ、今一匹落下してった。


 しかも昨日もって言ってなかった? そっちは私じゃないぞ。

 なんせいま、前世? を思い出したんだから。


 しれっとしながら両手を耳に当てて、彼女の超音波のようなお説教が止むのを待つ。


 ちらっと様子を伺うと、まだ顔が真っ赤なままだ。

 う〜ん……これは、もう一回来そうね……! 間違いないでしょう!


「もうっ! もう!! お嬢様をどこに出しても恥ずかしくない立派なレディにするのが私の使命なんですよ!! お嬢様もいい加減学んで下さいませっ!!」


 はあ、はあ、と肩を上下させ、ナナは心からの叫びを吐き出し切ったようだ。


 ……よし、もう手を離しても大丈夫そう。


「ごめんなさい、ナナ。あのね、わたし、気をつけるから そんなに おこらないで?」


 妙に舌ったらずな甘えた声が出てしまった。あ、あざといぃ〜! 自分で言ってて変な感じだ。

 ね、狙ってやった訳じゃないよ……?


 うるうると瞳を濡らして上目遣いでナナの事を見上げると、彼女はグッ! と変な声を出して口元を抑えている。


「……わかって下されば良いのです。お嬢様? 次はオイタをしてはいけませんわよ?」


 屈んで目線を合わせてくれる彼女に、まるで小さい子に言い聞かせるように諭された後、ギュっと抱きしめられ、優しい手付きで頭を撫で撫でとされた。


 ……ふふ。気持ちいい。


 おそらくだけれど、前世を思い出す前の私は、このギュッからのナデナデ目当てでワザと怒られてたんじゃないだろうか。


 うん……確か、今世の両親は、なにやら忙しいらしく、広大な領地を夫婦揃って視察に回っている為、あまりこの屋敷に帰って来れなかった。 ような?


 多分、人恋しかったのかもしれない。本来ならまだ甘えたい盛りだもの。

 ……そう。 だから、今私が彼女に抱きついていたって、なんら問題はない筈。


 だって……私、五歳だもーん。

 それに柔らかくって、抱きしめられると良い匂いがしてああ〜


 ふふふ。このひと時の為だけに生きてるわ。ナナたそ最高〜


 人知れず鼻息荒くなる私に全く気づく事なく、彼女は暫く私を抱きしめた後、すうっと離れてしまう。


 ああ。私の天使が……! む、無念。もうちょっとナナたそを堪能したかったのに……!


「そうですわ! お嬢様。旦那様がお呼びですから、すぐにお支度をなさいましょうね?」


 そう言いながら、ナナは私を鏡台の前に行くよう促し、椅子に座らせると、ブラシで髪を梳き始めた。


 どうやら、お父様だけが帰ってきてるらしい。

 それにしても一体なんの話なんだろう……?


「ねえねえ、ナナ? お父さま、わたしになんのお話しなの?」


「そうですねえ、私も詳しくは存じないのですが、お嬢様の将来に関わる大事なお話なのだと伺いましたよ? ……さあ、動かないで下さいね? 今日は、御髪を編み込みにしましょうね」


 ふむ。大事な話ねえ……全く見当つかないや。

 うーん……年齢的に、そろそろお勉強を開始しましょうとか……?  礼儀作法とか、計算のお勉強とか。


 これぐらいの歳で大事な話ってそれぐらいしか思いつかないかな?  

……あ、それか婚約者を決めようとか?  かな。見た感じ、お屋敷も豪華だし、なんとなく貴族っぽいものね。 

 ……とりあえず当面は、幼児っぽい喋り方を貫いてみようかな、と思う。


 ……けっしてちやほやされたいだとか、そういった邪な理由ではない。これは、自分の置かれた状況を確認する為であって、純然たる気持ちでやっているのだ……! 


「さあ、綺麗に出来ましたよ。 ……本当に、お嬢様は何でも似合いますわね〜」


 両手を腰に当てながら、出来栄えを見て満足気に頷いているナナに、こちらもつられて嬉しくなり、椅子の上で足をプラプラさせながら、彼女を見上げてニコニコと笑う。


「えへへ! ありがと。 ナナが、いつもきれいにしてくれるおかげだね!」


「お、お嬢様っ!  ……ぐっ!」


 ナナはバッ! と顔を勢いよく反らせぷるぷる震えている。あれ? どうしたんだろ? これはあざとくは無いと、思うんだけど……?  多分。


「……っと失礼しましたわ。さあ、旦那様の所に参りましょうか?  お伴しますわ。お嬢様?」


 さっきまでのプルプル姿が幻だったのではないかという程に、スウっと元の利発な顔に戻った彼女に促されながら、前世の記憶を思い出してからは初対面となる、お父様の居る執務室へと向かったのだった。

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