もしも出会ったのが社会人になってからだったら。

 社会人になって二年ほどが経過した日、私は憂鬱な気分で朝、目を覚ました。

 仕事に行きたくないという、単純すぎるほどに単純な理由ではあるのだけれど、そんな理由が私を憂鬱にさせる。

「あー。起きるか」

 体と精神両方に呟き、ベッドから体を起こす。

 そのままの勢いで、洗面台に向かう。

 高校生の頃は、髪とか顔の手入れとか全くしない人だったのだけれど、さすがに社会人になってそれは色々とまずいので、朝一番にやるようにしている。

 手入れも終わり、適当に焼いたパンを食べいつもよりも早めに家を出る。

 家から会社までは、電車で十分ほどなのでゆっくり出ても余裕を持てるのだけれど、今日は昨日の仕事の残りがそこそこあるので、それを終わらせるために早めに出ることにした。

 家から五分ほどでつく駅のホームで電車を待っていると、見慣れない女性の姿が私の目に写った。

 綺麗な長髪、整った顔立ち。美人という言葉がぴったりな、そんな女性だった。

 いつもより一、二本早い電車を待っているので、見たことがないのは当たり前なのだけれどね。

 女性はホームを歩き私の隣に座った。

「ふぅー」

 女性は息を吐きながら鞄から本を取り出して、読み始めた。

 息を吐いた女性とは反対に私は、緊張で息が詰まり体温が上がるのを感じる。こんな綺麗な人が私の隣に座ることなんて滅多にないので、緊張しないというのは不可能。

「はぁーふぅーはぁーふぅー」

 深呼吸をしてなんとか息を落ち着かせる。

 そんな状況で、数分なんとか待っていると電車が、ゴトンゴトンと音をたてながら走ってくる。

 電車が来るのを確認したい隣の女性は、本を閉じて、立ち上がり電車に入っていく。

 そんな女性に見惚れていた私は、慌てて立ち上がり電車内に入っていく。

 電車内に入ると、結構な人数が中にはいた。その中で空いている席は──と探していると、一人分空いているところを発見した。

 だけれどそこは、さっきまで私の隣に座っていた女性の隣だった。

 またもや体温が上がってくる。

 隣には座りたい。でもなんかこの状況で隣に座ったら変に思われるかなとか、色々考えると頭が爆発しそうになるぐらい、こんがらがる。

 いいのかな、隣に座ってもいいのかな。

 決めた。隣に座ろう。だってただ空いている席に座るだけだしね。うんうんそうだそうだ、他意はないのだから。

 心の中で呟きながら、ゆっくりと足を進める。緊張が出まくっているのか、まるでロボットみたいな歩き方になってしまっている。

 そしてそーっと隣に腰を下ろす。

 左隣には、さっきの女性。右隣には正直どうでもいい男性。私は、右隣の男性に向けていた目線をサッと女性の方に向ける。

 綺麗だなー。

 すると女性は、本に向けていた目線をこちらに向けてきた。なんですか? というような意味を感じる目線だ。

 そこで見つめ返せるわけがないので、私はサッと目線を外し正面を見る。

 あーーー。変に思われちゃったよねきっと、そりゃそうだよね、だって電車内で見られてたら変に思うのも当たり前だよね。ごめんなさいごめんなさい。

 その後の電車内で私は、彼女を見ることはなかった。


 次の日私は、別段仕事量が多いとかではなく、もう一度会えるかもという欲求で、昨日と同じく少し早めに家を出た。

 駅につくともう女性は来ていて、椅子に座って本を読んでいた。

 そんな女性の隣に私は、体をガチガチにしながら座る。

 ただそれだけ、話しかけたりなんかはしない。

 そして数分後電車が走ってきた。

 その電車内に行くと今日も運良く、女性の隣に座ることができた。

 電車内で私は今日も、女性を見ていた。

 

 それから数週間後、私はその女性と未だに会話を一回もしたことはなく、平日は毎日何故だかただ隣に座る人となっている。

 そんなある日のこと、私はいつもどおり早めに家出て、駅に向かった。

 そして女性の隣に座る。

 その後女性の隣に座ってただ電車が、来るのをじっと待つのがいつものルートなのだけれど、今日は違った。

「あのー」

 なんと女性の方から私に、私なんかの底辺みたいな人間に話しかけてきてくれたのだ。

「は、はい。なんでしょうか」

 カチカチだ。緊張しまくっている。せっかくの喋れる機会なのに!

「最近よく会いますね」

「そうですねー。はははー」

 言えない。私がわざとあなたに会いたいから時間をずらしているなんて。こんなの言ったら絶対引かれる。

「そ、それでですね。その私──」

 女性は俯き、綺麗な髪を手で弄りながら言ってくるのだった。

「あなたと友達になりたいなって」

「へ?」

 私は思わず変な驚きの声を、上げてしまった。

「な、なんで私なんかと」

 私がおどおどと聞くと、女性は俯いていた顔をこちらに向けて、力強く言った。

「なんでって。そんなの──毎日あなたが見てくるから気になっちゃったの!」

 その時私は、場違いなのかもしれないけれど、ホッとした。だって女性が私のこと嫌ってないってわかったから。

「だからその──私と友達になってください!」

 女性は椅子から立ち上がり、私の方向に体を向き直し頭を下げてきた。

 ええー!? なんでなんで。なんで頭下げるの? 

 そんな感じで、私が戸惑っていると女性は下げていた頭をチラッと上げて、上目遣いで見てくる。

「だ、ダメですか?」

「か、可愛い」

 反射的にそんなことを言ってしまった。え? という顔をしている女性に、私は慌てて訂正する。

「ち、違うんですよ。いや、可愛いって思ったのは本心なんですけどね。いやその。こちらこそ友達──よろしくお願いします!」

 私も勢いよく頭を下げた。

 すると女性も私に合わせて頭を下げ直した。

 成人女性二人が、駅のホームで頭を下げ合っている奇妙な風景がそこにはできていた。

 数秒お互いに頭を下げ合った後、二人同時に顔を上げた私たちは、両方とも笑顔だった。

「それじゃあ連絡先交換しますか?」

 切り出したのは意外にも今まで奥手気味だった、私のほうだった。

 スマホを鞄から取り出す。

 女性の方も慌てて取り出してくれた。

 アプリを起動して、連絡先を交換。

 画面には凪桜なおと表示された。女性の方には私の名前の、雪火ゆかが表示されているはずだ。

「雪火さんか⋯⋯」

 凪桜さんは、小声で私の名前を呟いた。私は頭に? を浮かべながらも、まぁどうでもいい疑問なので無視をした。

「凪桜さん。これからよろしくね」

 自然と敬語も取れ、もうなんだか友達みたいだ。

「こちらこそ──よろしくね。雪火さん」

 そう言った凪桜さんの笑顔は、とても眩しく、とても可愛かった。

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