第16話 裏切り

その場の全員があっけにとられている。


涙が勝手にあふれ出ているといった感じなのか。


彼女は無表情でポロポロと涙を流している。


僕はどうすることもできない。


それを見かねてか、E美がハンカチをカバンから取り出して、彼女にそっと渡す。


僕はこの状況をどうにかしなければと気ばかり焦る。


とにかく彼女をこの場から連れ出さなければと思い、


「ちょっと行こうか?」


と震えた声で彼女をトイレ前の暗がりへと連れ出す。


「ごめん。俺何かやらかした?」


「違うねん。何か勝手に涙出てきただけやねん。」


「何かようわからんけど、今からどうする?」


「とりあえず調子悪かったら今日は帰ろうか?」


僕は本当にわからなかった。


「大丈夫。みんなに悪いから。」


「いや、泣いてるほうがマズイやろ。」


つい、本音が出てしまった。


「涙止まったら戻るから、もうほっといて!」


彼女の心を逆なでしたみたいだ。


何か言えば言うほど、彼女の心をかき乱してしまうようなので、涙が止まるまで何も言わないで付き添うことにした。


僕達の前を横切る人の目が彼女の方をチラ見して通り過ぎていく。


僕の方はなぜだか見ないが、心の中で冷たい目線を向けているのは確かだ。


僕はそんな中、店のオブジェのように存在を消して彼女が落ち着くのを待った。


「ごめん、もう大丈夫だから、先に戻ってて。」


「私もトイレ行ってから戻るから。」


「マジで?」


「じゃあ、先行っとくで。」


彼女はようやく落ち着いたみたいだ。


でも僕は全く安心はしていない。


はっきりした原因は分からないが、間違いなく自分にある事は確かだし、何一つとして解決していないからだ。


モヤモヤした気持ちのまま席へ戻る。


AとE美は何かしら会話をしていたけど、僕が視界に入ると同時にやめて、心配そうにこっちを見る。


「ごめんなぁ。何か雰囲気悪くなってもうて。」


「最近色々あったからなぁ…。」


「いやぁ、俺達は別にいいけど、彼女さん大丈夫か?」


Aがいつになく心配そうな顔で聞く。


「ああ、今は落ち着いてる。」


「私ちょっと様子見てきましょうか?」


「あっ、大丈夫やで、トイレ行ってからこっちに戻ってくるって言ってたから。」


E美が行こうとして立ち上がるが、僕は迷惑をかけたくないのでとめる。


E美は再び席に座りなおす。


E美は妙に落ち着いているので、たぶん僕達の事情をある程度把握しているのだろう。


「ごめんなさーい。心配かけてぇ。」


えらい明るいテンションで彼女が戻ってくる。


どのように戻ろうか、悩んだあげくの事だろう。


「大丈夫?」


「うん、平気!」


彼女はE美の腕に自分の腕をからませる。


E美が反対の手のひらで彼女の頭をなでながらいたわる。


これが2人のいつものコミニュケーションなのだろう。


僕とAは笑顔でそれを眺める。


場が落ち着くのを見計らって僕は、


「とりあえず今日はこれぐらいにして、そろそろ行きましょか?」


「まあまた4人で飲みに行きまひょ。」


とAの方を見る。


「そやなぁ、行こか。」


Aが返事をしながら立ち上がる。


僕達は会計を済ませ店を出る。


僕は正直言って、はやく1人になりたかった。


本当はこの後、彼女の心のケアをするのが彼氏としての役目なのだろうけど、僕にはその自信が無かった。


僕が彼女の心の扉を開くと、余計にこじれるような気がして、今はそっとして時間を置く事が一番良いように感じられた。


結局はまた、目の前の現実から逃げたのだ。


この決断が後の致命傷になる事もわからずに。


僕はその後も彼女の心の扉を開ける事もなく、時間だけが淡々と過ぎていった。


はっきり言って僕自身、彼女にどう接したらいいのか分からなくなっていた。


もちろんだからと言って、冷めたとか好きじゃなくなったとかそんなのではない。


好きだからこそ臆病になって、どうすることもできずに立ち止まったままでいた。


しかし、どうやら時間が止まったままで立ち往生していたのは僕だけだったみたいだ。





それは突然やって来た。


彼女がいつになく深刻な口調で、大事な話があるから逢いたいと言ってきた。


そういえば最近逢っていない。


こないだはいつ逢ったのか?


そんなことすら憶えていない。


僕はイヤな予感がした。


こんな時はロクな事がない。




そんな不安を抱えながらも、彼女の自宅で逢う事にした。


自宅に到着してインターホンを鳴らすと、すぐに彼女が扉を開けて僕は中に入る。


彼女は何か料理を作っているみたいで、いい匂いがした。


「パスタ茹でてるねん。」


彼女は電話の時のテンションとは違い、妙に明るい。


ひょっとして、イヤな予感は僕の取り越し苦労か?


などと思いながら、


「いい匂いやなぁ。何か腹減ってきた。」


と僕も返す。


「もうちょっとでできるから待っててなぁ。」


「マジで!俺のもあるの?」


「あるでぇ。」


彼女は子供に言い聞かせるみたいに言う。


僕はお腹を空かせた子供のようにリビングの椅子に座って待つ。


キッチンに立って料理をしている彼女の後ろ姿を見ながら、将来の僕達を想像してニヤける。


そんな妄想をしているうちにパスタは茹で上がる。


彼女はそれにミートソースをたっぷりとかけて、僕の前に置く。


そして自分のパスタも仕上げて、テーブルの向かいの席に座る。


「今日なぁ、何かめっちゃミートスパゲティの気分やってん!」


「そうなん。」


僕は微笑みながら頂きますの格好をする。


ていうより、僕がミートスパゲティを大好きだという事を彼女はよく知っている。


特に彼女作るやつは格別だ。


彼女が頂きますの格好をするのを見計らって、僕は幸せいっぱいの顔で一口目を頬張る。


「おいしい?」


と言って彼女は微笑む。


「めっちゃうまい!」


彼女は僕のその言葉を聞いてから一息ついて、何か話づらそうに切り出す。


僕は二口目を頬張りながら彼女の顔を見ると、そこから笑顔は一切消えていた。



「私、子供できた。」


「3か月だって。」


「ごめん。」


「Kの子じゃないねん。」


それは僕でもわかった。


もうかなり前から彼女とはしていないからだ。


僕は頭の上から足の先へ向かって、何か硬くて巨大な物で押しつぶされたような感覚を覚えた。


衝撃と痛みで呼吸すらできなかった。


しばらくの間、動くことも会話することさえもできずに、もちろん大好物のミートスパゲティに口をつける事さえできず、彼女の言った言葉だけが頭の中で呪いの呪文のように繰り返した。




つづく


*尚、この物語は実話をもとにしたフィクションです。


*文中に登場する僕は筆者の友人Kでその彼女はHです。その他の登場人物はイニシャルか三人称で表記しています。

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