1、コスト削減
無駄を省きなさい。すぐに使えるのもだけを学びなさい。
新自由主義的現代社会とは、こういうもので埋め尽くされたものだと私は思う。そして、無駄を無くして効率の良いパフォーマンスの物だけを求めた結果……
しかし、一方で無駄だと思っていても止めることの出来ないものが強迫性障害というものだ。それは時にあり得ないことだったり、到底するはずもないことだったりするわけである。
さて、私にとって最も辛い時期の一つというと、テスト期間であろう。
毎度どれだけ名前を書いたか確認しても、いざ提出したあとに不安になってしまう。ちなみに現在も不安である。
しかし、残念なことに「書いたかどうか」あるいは「書いたっけ?書いたよね?」と思っている時点で、大抵は書いている。何故なら、書き忘れていた場合は必ず「書き忘れた…!!どうしようあああああああああ(死)」となるのだから。
この、書いたかどうか、あるいは戸締まりや火の始末をチェックしたかどうかという不安が、強迫性障害の初期症状であることが多いと言われている。つまり、
書いたよね?忘れてないよね?忘れてたらどうしよう。
だったり、
火の始末したっけ……火事になったらどうしよう。
といった不安を体験したことが一度でもあるのならば、あなたも便宜上は『おいでよ、強迫性障害の森』と認定されるのである。もっとも、一般的に病気であると認定されるに値するのはそれが常習化すれば、の話なのだが。
しかし、ここで残念なお知らせがある。几帳面と強迫性障害は全く異なる。似て非なると思いたいのはやまやまだが、私自身も全く違うと思う。
ところが恐ろしいことに、周りの人は皆私のことを几帳面でしっかりしていて慎重であると評価してくれる。私も律儀に「いえ。それは強迫観念で確認しているだけであって、本来はもう少し適当です」と答えるようなことはしないので、良い意味の誤解が広まっているわけだ。
しかし実際、私は電車で忘れ物をしたことはない。何故ならきちんと確認するからだ。母は公共交通機関から降りる際や席を離れる際は必ず忘れ物を確認するようにと、私に癖付けてくれたからだ(これは実践した方がいい人が沢山居るだろう。映画『スマホを落としただけなのに』を観て、内容がほぼ一切スマホを落としたことに関係なかったなどと言って笑っている場合ではない)。
では、確認と強迫観念は何が違うのか。私個人としては、途中までは同じだと思う。試験が終われば名前を書いているかどうか必ず確認し、空き時間には答案の見直しをする(答案の見直しをする人も減っているらしい。あれをしないことは、確実にあなたの学力を幾らばかりか下げている原因になるので、次回からきちんと実践すること)、特にマークシートならずれていないか確認する等……これらのことは自然にすることだ。つまり、確認作業である。ところが、その確認作業が一通り終わっても未だに不安に襲われ続け、そこから何度も確認し直すのは別物だ。何故なら、それは強迫観念で突き動かされている以外の何者でもないからだ。
ここで、冒頭のコスト削減の話に繋がる。ある研究によると、一度確認したときより何度も確認したときの方が、精神的信頼性が薄れるという。そして、驚いたことに我らの精神が一度目の完璧な信頼性を享受するためには、なんと百回も確認しなければならないそうだ。
正直、無理である。試験中に百回も確認している暇があるなら、一切見たこともないしわからない問題の解答をひねり出している方がよほどマシである。
そこで、私は一度だけチェックというものを提案したい。実際、それでかなり不安は減った(それでも不安に思うときがあるのは仕方がない)。
我々にとって、100%のコストを削減することは不可能に近い。だが、1%でも楽になれる日があるのなら。
それはきっと、あなたの安息の日となるだろう。
それでも明日は雨が降る 坂裏庵 @anne_sakaura
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