第三話 死中の酔生
少し時間がかかってしまった。
夜も更けた頃、シェーンと買い物という名のデートを終えて地下鉄の駅に降りたアーシェは、二級車両の座席に腰を下ろしてほうと浅く息をする。
どうしても駄々をこねるものだから、アーシェは仕方なく彼女を家に連れて行くことにしたけれど、さすがに車で行けば良かったかな。と、地下鉄道に揺られながら後悔した。
地下鉄内の空気は呼吸が苦しくなるほど汚れていて、まともに空気を吸うことが難しい。
ガーニーよりはよほど速くて料金も安いが、逆に云えばそれだけしか良い点がなかった。
新聞”アラン・タイムズ”によれば、政府がシティのトンネルに設置した排気ファンによって、地下鉄の空気は以前に比べると非常に良くなったそうだが、バベッジ卿曰く、この排気ファンの設置はまだ実験段階であり、ロンドン各所のトンネルに設置するには性能不足も甚だしいとのことだ。
「貴女、いつもこんなひどい乗り物を使って通学してるの?」
これ見よがしに眉を顰めながら、口元を上品な柄のハンケチで覆うシェーンに、アーシェは癖みたいに肩を竦め「慣れたものさ」
「明日から車で迎えに来るわ。こんな物に乗ってたら、身体を壊してしまうもの」
「ええ? いや、大丈夫だよ。そんなに気を遣わなくても」
「ダメよ、貴女はもうわたしのモノなんだから。わたしの云うことを聞きなさい」
「ず、随分と強気に出たね」
「こうでも云わないと、従ってくれないでしょ? それに、アーシェに何かあったら困るもの。だから……、ね?」
反論できなくて、思わずまた肩を竦めてしまう。
地下鉄というのは利便性だけを詰めた乗り物である。硫黄を含んだガスの排気は充分ではないし、下水の吐き気を催す酷い匂いだって捨て置くことはできない問題なのだけれど、急進派はこのことに口を噤むどころか、雇われのやぶ医者の意見を公式の見解として発表した。
排気ガスが喘息の治療を促進するならば、そもそもこの排気ガスに塗れたロンドンで肺を病んだりしないだろう。
不意に、とりわけ強い衝撃が客車に走った。
ブレーキがかかったのだろう。天井から吊るされた機関ランプの灯が一斉に揺れて、乗り合わせた客の顔を照らす。
紳士面をした貧者に、上衣に酒をこぼした酔っ払い。
それに堅苦しい雰囲気を纏った老人聖職者。彼は娼婦に軽蔑の視線を送っている。
くだらない。
アーシェは神父に対して軽蔑の眼差しで見た。彼女だって必死に生きているのだ、軽蔑すべきはそれを知らずに軽蔑する神父自身ではないか。
汽車が完全に止まってドアーが開くと、アーシェはシェーンの手を引いてすぐに汽車を降り、足早に自分の部屋へ向かう。
これ以上地下鉄の悪い空気を、彼女に吸わせたくなかった。
階段を上って外に出ると、恐ろしいほど冷え込んでいた。
真夜中のイーストエンド、ホワイトチャペルは道の先が見えないほど霧が濃くて、機関街灯の明かりがあってもなお暗い。
人通りもやけに少なかった。普段なら遅くまでやってるはずのクラブやパブに明かりはなく、仕事帰りのサラリィ・マンの姿も、逞しく駆け回る浮浪児の姿もなかった。
誰もいない。
不自然なほどに。
いくら治安の悪い地区だと云っても、ここまで人がいないのは異常だ。
アーシェは訝しく眉をひそめて、辺りを見回す。
十年近く住んでいる彼女であっても、こんなことは初めてだった。
「どうしたの?」
「いや」
背筋にいやなものを感じた。
急ぎ足で辿る家路はいつもの通り、いつもと変わらないはずなのに、何故だか全身が汗ばむ。
思い出すのはあの噂。切り裂きジャックの模倣犯のこと。
あまりに静かなものだから、もしやスコットランド・ヤードが封鎖しているのを知らずに、道路を歩いているのではないだろうか。そんな不安さえ過るほどだ。
まったく、あり得ない。
アーシェは穏やか得ない心中を無視した。
と、その時だった。
甲高い音が聞こえた。
背後。それもすぐ後ろから
いつも聞く列車の汽笛。
けれど、何故だか。
ひどい違和感があった。
同じ音のはずなのに、それはまったく別のものに思えて。
アーシェは戦慄を覚えた。
「ね、ねえ。何か、変よ……こんな時間に、列車なんて走ってたかしら……?」
まさか。
そんなはずない。
そんなはずがない。
二人の呼吸が止まる。
ザリッ。
靴底が石畳を擦る音。
フゥフゥ。
荒い息遣いが耳を叩く。誰かの気配がした。
それは後ろにいた。
二人は振り向いて、その瞬間、言葉を失った。
腹の底から湧き上がるこの感情を、はたして誰が的確に表すことができるだろうか。少なくとも、彼女自身は的確に表現するだけの言葉を、持ち合わせてはいなかった。
胸の奥底から恐怖が、怖気が、戦慄が、呼吸を止める。
続けざま、強烈に視界が歪んだ。
極度の恐怖と、呼吸困難によって引き起こされた眩暈。思考もできず、意識が途切れそうになって、けれども恐怖が気を失うことを許さなくて。
あまりの苦しさに、我知らず喘いでしまう。震える瞳から自然と涙が零れ、喉からは引きつった声がばかりが出る。
狼だった。
振り返った二人の視界に映ったのは、巨大な狼だった。
毛むくじゃらで、黄ばんだ鋭い牙を剥き出しにして、涎を垂らして、二足で立つ狼。耐え難いほどに腥(なまぐさ)い血の臭いを纏ったそれは、街に流れる噂の正体。おとぎ話の中にしか存在しないはずの怪物。
すなわち。
「ひと……? おお、かみ……っ……?」
声が出た。
酷く掠れていたけれど、喉に詰まっていた空気を吐き出すには充分すぎる量。僅かに、ほんのちょっとだけ、全身に酸素が回ったの自覚する。
ぐらついた視界はぴたりと定まり、全身の感覚が戻る。遠い世界から帰ってきたような錯覚を感じた。
シェーンを庇うように後退りつつも辺りを見回す。
誰もいない。
助けてくれる者は。
狼が低く唸り、今にも飛びつかんと口を開けた。
だらだらと口端から滴る赤黒い涎が、これから襲い掛かってくる”猟奇”を二人に認識させた。
「っ、シェーン! 逃げて!」
アーシェが言葉を発するよりも早く、人狼は大口を開けて彼女の目の前に迫る。逃れることのできない恐怖に、目を瞑る以外の選択肢はなかった。
そして。
けたたましい音が響く。
目を開くと、そこには見慣れた光景があった。
薄汚いシミだらけの板張り天井と、使い古した機関ランプのか細い明かりだ。アーシェリカ・ロゼッティの寝室だ。
「あ?」
我知らず、間の抜けた声が出た。
彼女には家に辿り着いた記憶がなかった。
服は外出用のままで、壁の時計は朝が来たことを示している。
シェーンと家路を辿ったのは憶えているのだが、途中からばっさりと記憶が抜け落ちていて、いったい自分の身に何があったのかさえ思い出せない。
上体を起こして身体を検めれば、はたして身体には失くした記憶の残光があった。
傷跡!
切り裂かれ血の滲んだシャツ、肩口に噛みつかれた痕、おおよそ尋常のものではない三本の巨大な爪跡が、鎖骨から下腹部まで伸びているではないか!
ゾクリと。人外に出会った恐怖が、吐き気と共に蘇ってきた。
声なき悲鳴を上げてアーシェはベッドから転げ落ちた。
隣に寝ていたシェーンもつられてベッドから落ちたが、今の彼女には気にする余裕もない。
おぼつかない足取りのまま洗面台に向かい、喉元で抑えていた胃液を全て吐き出す。二、三度吐いてようやく落ち着いた。
鼻奥から漂うすえた臭いが生きている実感を与えてくれた。
「アー……シェ……?」
シェーンの心配した声が聞こえてきて、はたと恐怖の中から意識が浮上する。「どうしたんだい」と答えれば、驚くほど掠れた声が出て。正面の鏡に視線を移せば、強張り憔悴した自分の顔があって。何故かわからないが、アーシェは衝動的にその顔に頭突きをして、消し去ろうとした。
もちろん、結果は鏡と額が割れただけだった。
「アーシェ、どうしたのアーシェ」
ひどい音を聞きつけてやって来たシェーンは、歩く屍みたいなアーシェの姿を見て悲鳴を上げる。
その驚愕と恐怖と混乱ぶりはあわや失神してしまうのではないかとさえ思えるほどで、まったく筆舌にし難い。あまりの様子にアーシェは逆に冷静になってしまった。
困ったふうに笑いながら「シェーン、あたしは大丈夫だよ。ほら、生きてる」
思ってもないことを云えば、彼女は半ば乱兇しながら首を振り「噓だわ!」とだけ叫んで両手で顔を覆い崩れ落ちすすり泣いた。
ここに至っては宥める術もない。アーシェはやはり肩を竦める他なかった。
数分。
いや、数十分だろうか。
なんとか落ち着いたらしいシェーンに寄り添って、自身の肌の暖かさを伝えようと涙にぬれた彼女の頬をそっと撫でた後、アーシェはこう語り掛けた。
「大丈夫、大丈夫だよ。あたしは生きてる。幽霊じゃあこんな風にキミを触るなんて、できないだろう? こんな傷跡があるけれど、少なくとも死んではいないのさ。まあ、なんで生きているのか自分でも不思議なんだけれど、ともかくあたしはちゃんと血が通った人間の、アーシェリカ・ロゼッティのままだ」
「そうなのかしら……でも、でも……」
「信じられないのは、あたしも同じだよ」
呆れたような諦めたような表情のまま鼻柱を指先で掻くと、アーシェはすっくと立ちあがって、もはや服の原形をとどめていない上衣を脱ぎ捨てる。
自分たちに何が起こったのか定かではないが、目の前の現実から目を背けるのが最善だとアーシェは思った。
「……今日はアカデミーに通う日だ」
漠然と呟く。
後になってみれば、ここで何も考えずただ茫然とした気持ちでいたことは最も愚かな行いだと気付けるが、とにかく。
今のアーシェには現実を直視するだけの余裕がなかった。シェーンにもなかった。
時間に追われているわけでもないのに、アーシェは”アカデミー用”の衣服をクローゼットから取り出して、せかせか身に着けていく。
外出用の大量生産されている粗雑なものとは違う、高級感の漂う上質なシルクのシャツと丈夫なズボン、鹿革の丈夫なブーツ、それに仕立ての良いウールのコートは、彼女にとっての一張羅だ。
「さあ、シェーンも準備をしないと。ああ、そうだ。キミは一旦家に帰らなきゃ」
「……ええ、迎えを呼ぶわね」
促されて、シェーンは懐から何かを取り出す。手のひらより少し大きいそれは、小型の
彼女のそれはオーダーメイドの品であり、丸い懐中時計型の見た目に違わず時計としても機能する。蓋を開いて、二つあるうちの右側面に付いたダイヤルを回して歯車に刻印された数字を合わせれば、数秒後には実家の通信機から若い執事のくぐもった応答が届いた。
およそ十分で迎えのガーニーが来くると云う。はたして十分きっかしにガーニーが来ると、シェーンは不安を抱いたままアパートメントを去っていった。
ひとりになってしまったアーシェは、なんだかぬるま湯の中を素足で歩いているような気持ちの悪さと居心地の悪さを覚えて、自分の身体を抱きしめた。
ロンドンへ来てから久しく感じていなかった孤独が、じくりと足元から這い上がっている。
アーシェは愛用の鞄と共に部屋を出た。
鍵をかける手が震えていた。
地下鉄に乗ってホワイトチャペルを出て、テムズ川岸に向かう。
ここには複合施設、ランドマークのロンドン塔がある。広大な敷地には大小さまざまな塔が乱立しているが、うち真新しいものがあった。
北西に建てられたこれらの塔は、二人の通っている王立アカデミーだ。
アカデミーは一七七〇年からロンドン塔に設立された教育施設であり、多くの碩学を輩出してきた由緒ある場所だ。
知識に隔たりなくあらゆる学問を修めるため、ここでの授業は厳しくあるが決して――相応の努力が必要になるが――無駄にはならないだろう。
多くの生徒が行きかう瀟洒な正門を前にして、アーシェは今日初めて自分の身体になった気がした。
人ごみに紛れても孤独が消えるわけではないが、それでも幾ばくかの安寧が身体に満ちた。
石畳の道路を抜け大理石の床が眩しい教育塔へ入ると、こちらに気付いたらしいアーサーが寄って来た。
「おはよう、アーシェ。なんだか疲れた顔をしているね」
「ああ、おはようアーサー。そうだね、悪い夢を見た……かもしれない」
「妙な云い方をするね。まあいいさ、それより一緒に朝食でもどうかな」
彼の提案にアーシェは頷きで返した。
硝子天井が設けられたグレート・ホールにある食堂は、講義まで時間があるせいなのか、キッチンでソーセージ・サンドイッチを受け取った時には十組あるはずの長テーブルは既に大半が埋まっていて、喧騒は耳を聾さんばかりである。
少し彷徨って見つけたのは、辛うじて三人分ほど空いた壁際の薄暗い端っこだけだった。
「いつも思うけれど、この冷え切った椅子に座るのは気が引けるな」
「底冷えするよ。身体も、心も」
冷たさに唸りそうになるのを堪えて座り、さっそく湯気の立つサンドイッチに齧り付く。
味を感じないことに、アーシェは眼を背けた。
「昨日の話だけど」ふと思い出したように彼が云う。
「また”出た”らしいね」
呼吸が止まった。
時間が色を失った。
「出た、だって?」
「恐ろしいことにね。ホワイトチャペルでホームレスが一人犠牲になったそうだよ」
震えた声で訊けば何でもない答えが返ってくる。
生きている以上は自分のことではないとわかっているが、あの悍ましい記憶からして関係ないとは云い切れない。それが何よりも恐ろしくて、衝動に任せて首を掻き毟りたくなってしまう。
「君が住んでいる地域だろう、あそこは。用心するべきだ……、いや、そもそもあそこから離れた方が良いかもしれないね。そうだ、俺が部屋を用意してあげようか。父さんの持ってる貸家のひとつがちょうど空いていてね、アカデミーに近いから便利な場所だと……聞いてるかい?」
この後、どうやって過ごしていたかアーシェは憶えていない。
は考えた。けれども予想に反して「いいえ」数秒を置いてきっぱりした表情で云う。
「わたしはね、ただ待つだけの女じゃないの」
「けどっ」
「怖いでしょうね。間違ったら、きっと死ぬかもしれない。でも、怖いのには耐えられるけど……独りぼっちになるのは、もっと耐えられない」
「……いいの?」
シェーンは強気に笑った。それが答えだった。
まずガーニーで向かったのは事件があったというホワイトチャペルだ。自分たち以外の被害者がいるのならば、現場でスコットランド・ヤードに、いったいどんな状態で、どんな風に殺されたのか、話を聞くのが手っ取り早い。
ホワイトチャペルに着くと、多くの警官が物見に来た浮浪者や新聞記者を現場から避けたり、ホワイトチャペルを隙間なく巡回をしていた。
厳戒態勢のひりついた雰囲気の中、近くの警官に訊けば場所は地下鉄駅前から少し歩いたところのうらぶれた路地だという。
もちろん現場には規制が布かれているため近付けないが、それでも事件の委細を話を聞くことはできた。
アーシェがホワイトチャペルに住んでいると云えば、恰幅の良い彼はすぐに話してくれたからだ。
「獸に、食べられていた?」
「まったくひどい有様だった」
警官が云うには、被害に遭った男性のホームレスの死体は、食い千切られた跡が複数あったらしい。
裂かれた痕もあったが、切り裂いたと表現するより力任せに引き裂いたみたいだったと云った。いつもの切り裂きジャックの再来の手口とは違うとも云っていた。
アーシェはこのあたりで野犬が出たなんて話は少しも聞いたことがない。見たとするなら、やはり昨夜の人狼だけだった。
「……っと、すまない。女性に訊かせる話ではなかったな」
「いえ、ここに住んでいる以上は知らなければいけないことです」
背筋をうすら寒いものが走る。
娼婦よりもはやくこの近くに来ていたら、死体安置所へ送られていたのは自分たちだったかもしれない。
だがそこまで考えた時、やはり何故喰われずに済んだのか、二人の間に疑問が横たわる。アーシェの致命傷と思える傷が塞がっているのも奇妙だった。
「ありがとうございます、警官さん」
「お二人とも気を付けて。何かあればすぐ我々にお知らせを」
「ええ、頼りにさせて頂きますわ」
優雅に一礼して警官から離れて、アーシェは顎に手を当てて考える仕草で呟いた。
「人知の及ぶ事象じゃない」
シェーンは辺りを見回してから、むんずと腕を組んで「あの狼男が、切り裂きジャックの再来なのかしら」
「可能性は高い。現に娼婦が一人死んで、あたしたちも襲われたんだ」
奥歯を噛み締めて、恐怖を殺した。
二人は夜を待った。
人狼が相手ならば夜を待つのは悪手かもしれないが、正体がわからない以上はどうしようもない。
幸いにも武器は持っている。
アーシェの家にはモーゼルと、ストックを切り詰めたウィンチェスターライフルがそれぞれ一挺あったし、シェーンは父と鳥撃ちに行ったりするほど銃の腕には覚えがあった。
「なんでこんなもの持ってるのよ」
「知り合いに貰ったのさ。良いオジサンだったよ」
誤魔化して、銃弾を装填したモーゼルをシェーンに差し出す。
ウィンチェスターライフルは前時代の銃だったし、何より、アーシェにとっては手に馴染んだ物だからどうしても自分で持っていたかった。
夜霧に覆われたホワイトチャペルには、昼にも増してスコットランド・ヤードの警官たちが配置されている。手持ちの機関ランプを持っているのか、か細い明かりがあちこちで揺れていた。
見つかっては少々面倒なことになるか。
二人は目立たぬよう闇に紛れながら、事件現場の近くまで進んでいく。
途中、シェーンは気が付いた。
「浮浪者の一人もいないわ」
薄汚い路地裏で、犬みたいに鼻をひくひくさせながら彼女は、
「昼間はいたの。貴女が警官に話を聞いてる時、わたしはよくよく周りを見てたわ。その時は、確かに浮浪者が大勢物見に来てたのに」
「それはヤードが……、いや、襲われる前は人っ子一人いなかったんだ。可能性は充分にある」
昨晩は予兆として人の気配がなかったのだから、ヤードが浮浪者を排除したと思い込むのは軽率だ。アーシェは素早く視線を表通りに走らせた。
はたして警官の姿はなかった。
ごくりと、シェーンがつばを飲み込んだ。
瞬間。
表通りに影が降り立った。
「っ!」
アーシェが表へ飛び出して銃爪を引く。
計五発の銃弾が影に吸い込まれ、獸の悲鳴が夜闇を駆け抜ける。
「仕留めた……!」
確かな感触があった。
影はうずくまっているが、不規則に大きく震えているばかりで暴れる素振りはない。時折り聞こえる呼吸はくぐもった咳が混じっている。肺に穴が開いた証拠だ。
心中でしっかり十秒数えてから、アーシェは銃を下げずにゆっくり影へ近付いた。
「死んだの……?」
「まだ生きてる。もう長くないけれど」
シェーンが駆け寄ってその姿を見止めると、小さな悲鳴を上げて立ち止まる。
はたしてその正体は人狼だった。
ずんぐりとした体形、薄汚れた毛並み、両手には鋭い爪を、大きな口から悍ましい牙を覗かせるそいつは既に虫の息だけれど、濁った瞳でこちらをじっと見つめていた。
「何よ、これ……」
「狼男だよ、たぶん」
「……死ねば、元の人間に戻れるのかしら」
彼女の呟きが、恐ろしいほど響いた。
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