第一話 事件の始まり

 一九九九年七月十日、土曜日。


 私立臥子高等学校二年一組、学級委員長『竜崎千鶴』が行方不明になったとの報が、同町にある臥子警察署へと届けられたのはその日の早朝であった。家出か、事故か、誘拐か。様々な憶測が立てられる中、同署に所属する刑事、古林が担当することになったのは竜崎千鶴の級友たちへの聞き込みであった。


 臥子学園は全寮制の小中高一貫校である。一応、名門の学園らしいが、建っているのが田舎の、しかも山の中腹であるため、生徒数はそれほど多くない。それどころかその立地の悪さから、地元では『隔離病棟』だなどと、不名誉なあだ名をつけられる始末だ。古林は学園への上り坂を、息を切らせて歩きながら、そんなことを思い出していた。


 気の早いクマゼミの鳴き声が、しゃわしゃわと喧しい。予想最高気温は二十五度、湿度は七十パーセントを超える蒸し暑い天気だ。それなりに登ってきたというのに体感気温が涼しくなる兆しはない。


 体を左右に揺らしながら坂を登り切ると、学園の正門が見えてきた。しかしここが終点ではない。正門付近にあるのは臥子学園の初等部であり、中等部、高等部はさらに奥にあるのだ。


 初等部を通り過ぎてさらに山を登り、中等部高等部の合同の校舎へと辿りつく。体育の授業で騒がしい校庭を前にして、古林はやれやれとタオルで汗を拭った。


「臥子署の古林です」

「竜崎千鶴の担任の深野といいます。ご足労いただきありがとうございます」


 蒸し暑い職員室で古林を迎えた彼は、目の下に隈を作って憔悴しきっている様子だった。まさか自分の受け持ちのクラスでこんなことが起こるだなんて思ってもみなかったのだろう。緊張しているのか、おどおどと視線を泳がせる深野に対して、古林は早々に本題に入ることにした。


「早速ですが、竜崎千鶴さんについて教えていただけますか」


 深野によると、最後に千鶴が目撃されたのは一週間前、七月三日の土曜日だったらしい。その日は土曜日であるために授業は午前中までしかなく、千鶴は午後を過ごすために昼には一旦、寮に帰っていった。そこからの消息は杳として知れず、翌週の授業にも千鶴は一切出席していなかった。彼女は元々病弱のきらいがあり、普段から授業も休みがちだったために発覚が遅れたそうだ。


「深野さんが知っているのはこれだけですか」

「ハイ、すみません……」

「いえ。それでは千鶴さんのクラスメイトたちに聞き込みをしたいのですが、案内していただけますか」


 深野に案内されたのは本校舎に併設された学生寮だった。ベージュに塗装されたコンクリート造りの建物だが、先程、午前中の授業が終わったばかりでまだ生徒もまばらにしかいないこともあって、まるで二階建ての小さな病院のようにも見えた。


「一階が女子寮、二階が男子寮となっています」


 なるほど、過ちが起きないように一応は工夫してあるということか。こういった全寮制の学校には詳しくない古林は、妙に納得した気分で首を縦に振った。


 古林は生徒たちからの奇妙なものを見るような視線を受けながら歩いていき、まずは用務員室へと通された。


「ここの用務員をしております水橋です」

「臥子署の古林です」


 水橋と名乗った男は、五十代ぐらいの年齢に見えた。用務員だというのにやせっぽちで、筋肉はあまりついていない。その上、頭頂部の髪も少ないために、何とも情けない印象を受ける男性だった。


「この学生寮の鍵は全て、水橋さんが管理しています。ですよね、水橋さん」

「はい、昼間はいつも持ち歩いておりますし、夜も基本、泊まり込みの勤務ですので、私の寝泊りしている用務員室にあります」


 水橋は、腰にぶら下げた鍵束を軽く持ち上げてみせた。金属製の輪に、十を超える鍵がじゃらじゃらとぶら下がっている。


「鍵があるということは、夜間、この寮は施錠されているのですか」


「ええ、その通りです。各部屋の窓も中途半端にしか開かないようになっているので、夜の七時半から朝の六時まで、誰も寮の外に出ることはできません」


「つまり、千鶴さんは鍵が開いている昼の間に失踪したということか……」


 古林はメモを取り出すと『失踪は昼間』とボールペンで書きつけた。半分だけ開かれた窓からジーワジーワとセミの声が聞こえてくる。


「二年生の部屋はこちらです。ご案内します」


 水橋の先導で古林は学生寮の奥へと歩いていく。担任の深野は別の仕事があるとかで、そこで別れることになった。男女共通の食堂を抜けて、居住スペースへと入っていくと、そこには左右の壁にずらりと並んだ木製のドアがあった。ドアにはちょうど顔の位置に開閉式の覗き窓がついており、室内を確認することができるようだ。


 恐らく、用務員や教師が生徒を監視するためのものなのだろう。しかしこれではあまりにも――


「これじゃあまるで独房だな」

「おっしゃる通りで」


 思わず零した言葉に、水橋は深く頷いて同意した。


「一人に一つずつ部屋が与えられると言えば聞こえがいいですが、実際はほとんど刑務所と変わらないぐらいの広さしかないんです。だから『独房』や『病院』と呼ぶ生徒もいますし、『蚕箱』と呼ぶ生徒もいるんですよ」


「『蚕箱』? なんでまた」


「ほら、蚕は小さく区切られた枠の中で繭を作るでしょう? この山奥に閉じ込められて、勉強ばかりをさせられる自分たちを、蚕に例えたくなったのでしょうね。初等部の頃には蚕を育てる授業もあるそうですから、そこの影響もあるのでしょう」


 ――しゅる、しゅる、と。


 狭い部屋に閉じ込められた子供たちが、大人たちの指示で延々と繭を作らされている。そんな想像が古林の脳裏をよぎった。


「さ、二年生はこの辺りですよ」


「ありがとうございます。他の場所に行くこともあるかもしれませんので、もう少しだけご同行いただいても?」


「ええ、勿論ですとも」


 そうやって断りを入れた後、古林はちょうど近くにいた女生徒たちに声をかけた。


「君たち、ちょっといいかな」


 セーラー服姿の彼女たちは古林を窺うように見上げてくる。学生寮の中に見知らぬ大人がいることに対して、怪訝に思っているようだった。


「私はこういう者なんだけどね」


 警察手帳を取り出して開いてみせると、彼女たちは一気に顔をこわばらせた。


「刑事!?」


 顔色を変えた少女たちに、古林は少し屈んで視線を合わせた。子供相手の聞き込みは得意ではないが、経験がないわけではない。


「竜崎千鶴さんを知っているかな」


 二人は古林をじっと見たまま、首を縦に振った。


「彼女、どうやら一週間前から行方をくらましているようでね。その捜査に来たんだよ」


 その言葉――竜崎千鶴の失踪の事実を聞いても、二人に動揺した様子は見られなかった。既に彼女が姿をくらましたことは生徒たちの知るところとなっているのだろう。


「お嬢ちゃんたち、名前は?」


「……益田彩音」


「藤堂涼子です」


 彩音はぶっきらぼうに、涼子は消え入りそうな声で答えた。古林は二人の名前をメモに書き込み、質問を続けようとしたのだが――


「竜崎さんのことは、あまり親しくないのでよく知りません」


 先んじて彩音にそう言われてしまい、古林は喉まで出かかった質問を飲みこまざるを得なかった。


「もういいですか、私、忙しいので」


 刺々しい態度を取られ、古林はそれ以上食い下がることはできなかった。彼の沈黙を肯定と捉えたのか、彩音は涼子の手を掴んだ。


「行こう、涼子」

「あ、うん」


 足音も荒く歩き去っていく二人の後姿を見て、古林は曲げていた腰を伸ばしてから片手で頭を掻いた。


「あのぐらいの年の子は難しいな……」


 古林は腕を下ろすとため息を一つついてから、腕まくりをした。水橋はそんな古林の隣で苦笑いをしているようだった。




「竜崎千鶴? 知ってる知ってる。あの変な子でしょ」

「優秀だから先生からの評判はいいけど、本当に変な子だよねー」

「なんで苛められていないのか不思議なぐらい!」

「何だっけ、魔女って呼ばれてるんだっけ?」

「え、親しかった人? 彼氏って意味?」

「三年の塩田先輩とこの前話してなかった?」

「えー、でもその時って蜂谷先輩とも一緒だったって話だよ」

「あの三人って仲良いのかもねー」




「三年一組の塩田隆弘くんと蜂谷ゆきさんだね」


 聞き込みを進めた古林は、食堂に二人の生徒を呼び出していた。上着を脱いだ制服姿の塩田隆弘と、裾の短いセーラー服を着た蜂谷ゆきは不安そうな眼差しで、刑事だと名乗った古林を窺っている。


「君たちは行方不明になった千鶴さんと仲が良かったと聞いたんだが」


 しかし、二人からは有力な情報は得られなかった。なんでもあの二人は千鶴と同じ学級委員長と、副委員長で、その関係で話していただけなのだそうだ。


 ふと窓の外を見ると、既に日が傾きかけていた。もう少ししたらここも施錠の時間だろう。古林は一人座っていた食堂の椅子から立ち上がり、机の上に置いていたタオルを持ち上げた。


「……また日を改めるか」




  *




 夕食の時間、多くの生徒が食堂に集まっているその時間に、彩音は焦った様子で用務員室へと向かっていた。その数歩後ろには、涼子が小走りでついていっている。上靴を踏み鳴らしながら廊下を通り過ぎ、彩音は用務員室のドアを乱暴に開いた。


「水橋、あれはどういうこと!」


 用務員室の中には、既に三人の人物がいた。用務員の水橋、三年生の塩田隆弘と蜂谷ゆきだ。彩音を追って涼子は部屋に入り、慌ててドアを閉めた。


「警察が来るなんて聞いてないわよ! ボロが出たらどうするつもり!」


「断るわけにもいかないだろう! 仕方なかったんだ!」


「だからって!」


 語調を荒くする水橋と彩音の間に、ゆきは割り込んで二人を諌めようとした。この寮の壁は分厚いわけじゃない。誰かに聞かれでもしたら事だ。


「まあまあ水橋さん、彩音ちゃん、ちょっと冷静になろう?」

「冷静になれって? 冷静になんかなれるもんですか!」




「だって、アイツを殺したのは私たちじゃないの!」




 その場にいる誰も彼もが黙りこくった。互いに互いの顔を窺いあい、彩音が口に出した事実の重さを確認しあう。



 二年二組、益田彩音。

 二年二組、藤堂涼子。

 三年一組、塩田隆弘。

 三年一組、蜂谷ゆき。

 そして用務員、水橋健一郎。



 この五人が、『黒魔女』――竜崎千鶴を殺した共犯者たちなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る