蠕魔

千木束 文万

蠕魔

 私は、昔からどうも、自分を自分と思えませんでした。それは、自己の俯瞰が得意であったということではなく、頭の中に自分以外の何かがうごめいて、さも自分であるかのように振る舞うと言った様な、曖昧な不快感を伴うものでした。

 そしてその何かは、絶望を味わうことが生き甲斐らしく、知らぬ間に私を地獄に突き落とすのでした。他人から見れば、それは自爆行為としか映らず、彼はマゾヒストだと揶揄やゆされても仕方なかったと思います。しかし、私がその行為に当たった際の記憶は、決まって無かったのでした。隣人達はいつも、「怒りで頭が真っ白になっていたんじゃないか」とか、「現実から逃れるために無心になっていたんだろう」などと口にするのですが、幾度聞いてもやはり、納得などは出来ませんでした。

 人間の脳の状態は、意識と無意識に分かたれると存じておりますが、私が絶望を呼び起こす行いをするときは、連続的に続いていた私の意識を無理くり断ち切って、別の何かの意識が入り込んでいるような気がしていました。

 その、意識をハイジャックされるのは一瞬程に過ぎないのですが、その何かは好機を逃さず、最も絶望的な展開が待つ道へと誘う言葉を発するようなのでした。

 悪魔の囁き、とでも表現できましょうか、それを言った後、私はいつもあの顔をされました。怒りや侮蔑や憎しみなどの、謂わば能動的な負を一遍に表したようなあの顔は、万人を畏怖させる力があると、今でも確信しています。毒の宝石をちりばめたようなその顔に、哀れみは一切介入の余地がありません。

 ああ、今まで積み上げてきた地位や名誉も、魔の一言によって、崩れ去ってしまうのです。凡そ幸福という幸福ががれます。人間の心の繋がりの、何と脆いことでしょうか。また、悪魔の発言の、何と力強いことでしょうか。

 今思えばおかしいと分かるのですが、私はいつも、持ち直していたのです。なぜだかまた、幸福の道をたどることが出来ていたのです。

 飴玉を舐めた後の珈琲が普段より苦く感じるのと同様に、幸福の後の絶望というのはより深いもので、その美味さを欲したが故、脳奥で蠕動する魔は、私に幸福の道を歩ませていたようです。

 これでもう何度目でしょうか、私はもう老いて、体も僅かながら震えを帯びて来ました。私は今、幸せです。家族に囲まれて、穏やかに、緩やかに、その時の流れを受け止められることを、とても有り難く感じます。

 最後の絶望が、訪れるのでしょうか――――――

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蠕魔 千木束 文万 @amaju

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