第291話 「樹霊祭3」

◇◇◇


村の広場の上を、大きな竜がゆっくりと旋回している。

あれは師匠さんのお友達、リンドヴルムだ。


「うわー、まじすげー。ドラゴンすげー」

「ちょっとチャール、食べながら叫ぶのは汚いよ」

「おおー、すまんね」


ケモノっ子のチャールは、いつもどおり師匠さんの口癖で。


「紅竜。やはりパパはすごい。私はまだ火蜥蜴ヒトカゲなのに」

「……そうだね」


ほぼ人の子のノールは、4匹のペット……すなわちヒトカゲ、もぐらノーム水球ウンディーネ月下蝶シルフィードを肩に乗せ。


師匠さんの子どもふたりを引き連れ、私は祭りにわく広場をねり歩いている。

正直、人も多く心臓がバクバクする。


けれど、この村に滞在して今年で3年、祭りも3回目。

そろそろ私もこういうことを克服しなければならない。


そう思い師匠さんとイリムさんに「お祭り、出てきます」と言うと彼らは笑顔で見送ってくれた。

しかも、自分の大事な娘たちのお守りまで任せて。


……彼は、彼女は。

  どうしてそこまで優しいのだろう。


私……泉冬花トウカは魔女だった。

【氷の魔女】、この世界で最悪の、最大の、大罪人。

げんに世界を滅ぼしかけ、げんに彼らと戦った。


殺し合った敵、憎むべき悪。


そんな私に、なぜあんな笑顔を向けられるのか。

そんな私に、なぜ娘を任せられるのか。


私には、わからない。


なぜ生かされているのか。

なぜ死ぬこともできないのか。


……私には、わからない。


「トウカさん」

「えっ、なにノール」


考え込んでいたら、左で手を繋ぐノールから涼やかな声が。

彼女はいつもどおり、大人びた青い目でこちらをまっすぐに見つめる。


「あなたを、呼んでいる人が」

「……?」


「たぶん、とても大事なこと」

「ちょ、ちょっとノール!?」


ぐい、と強い力でチャールに引かれ、人混みをどんどんかき分けていく。


「おお、いもうとのクセにつえー!」


右手のチャールの言うとおり、幼い子どもとは思えないほどの強さだ。

……これは、彼女の腕の力とか足の力とかではなく、なにか視えないチカラで引っ張っているかのよう。


私の足が、大地に引っ張られ、

私の背を、風でぐいぐい押し。


……これは、『精霊術』だ。

もうすでに私にそのチカラは使えないけれど、かつて死ぬほど扱った感覚は、忘れたくても忘れられない。


そうしてノールに連れられたさきは、小高い丘のうえ。

丘のうえと言っても、この樹上の村ではそれはつまり大樹たいじゅのてっぺんなんだけど。


その小さな見晴らし台のベンチに、ひとりの女性が腰掛けていた。


風と、それに運ばれた樹海の濃いみどりの匂い。

樹海で育まれた水気を帯びたしっとりと爽やかな空気。

それだけが満ちる、とても清浄な雰囲気。


巫女みこさま。連れてきた」

「えっ、巫女さま……って」


ぺこり、と女性が頭を下げる。

ほんとうに長く、ほんとうに静かに。


「あなたをお待ちしておりました。

 ――はじまりのかたよ」


------------


そうして私は、一冊の本を手渡された。

緑の表紙。

ずいぶん古そうで、同時にとても大切に扱われているのがわかった。


「……その、これは?」

「あなたが祭りに、外に出られるほど回復したのならこの『緑表紙本』を渡せと。それが私の代だとは思いませんでしたが」


「……その、この本は?」

「この村の巫女に継承されつづけた、初代はじまりの巫女が書き残したものです」

「……。」


本を開こうとして気づいた。

両の手でつないだ姉妹の姿がない。


振り向くと、チャールは見晴らし台の手すりに飛び乗り「わーお」と村を見下ろしていた。

ノールは、その無邪気な姉が怪我をしないよう『風』で体を支えている。


「……。」


私は、ある種の覚悟を決め本を開いた。

目に飛び込んだのは懐かしい文字。


ひらがなと、カタカナと、漢字の。

漢字はかんたんなものだけで、まるで子どもが書いたみたいで。


まるっこくて、ところどころクセ字で。

ああ……そうだ、よく友達にもからかわれた。


――冬花トウカの手紙って、読むのにコツがいるよねー、と……


驚くよりも、なぜかすとんと納得する気持ち。

ぼろぼろと涙はとめどなくあふれてくるが、決して悲しいわけではない。


ああ、そうか。

だから私は死ぬことができないのだと。

まだ私には、やるべき事があるのだと。


「その『緑表紙本』で、もっとも大切な場所はここです」


巫女さまがあるページを指でしめす。

そこには、私の文字でとある詳細なことがらが。


そこには『日付』と『場所』と『人物』が。


それはちょうど8年前の、3月にあたる月。

とある『人物』の誕生日の翌日、本来は違う見回りとなるはずの彼女をその『場所』に割り当てよと。


ガルムでは見捨ててしまう。

『彼女』でなくば、『彼』はクマに殺されてしまう。


「その予言にしたがい、私は『あの日』自警団の割り当てに介入しました。村長にも、その日訪ねてくるであろう【旅人】を歓迎せよと」

「……。」


「そうして『旅人さん』は『師匠』となり、そして『御使い』となり……そうして今がここにあります」

「……それはわかった。でも……」


「なんですか、はじまりのかた

「それは、どうやればいいの?」


問われた巫女さま……そういえばこうしてじっくり見ると、彼女には名残があるように思う。

黒い髪、やわらかな顔立ち、そして目だ。


「それは、【あなた】にしかわからないと思います。はじまりのまれびとであるあなたにしか」

「……。」


思い出したくもない最初の記憶。

私が、この世界に召喚されたときのこと。


彼らは、『時間の魔法』のためにまれびとをんだ。

より正確には『過去への情報伝達』のために。


理論として術式として完成したその魔法は、なぜか成功することがなかった。

絶対に成功しかない場合でも、なぜか絶対に失敗する。


ゆえに彼らは考えた。

この世界はこの世界の住人を厳しく律している。


ゆえにどうすればいいか。

そうだ、この世界でない住人を使えばいいと。


そうしてばれた私は、なんの能力もシルシもないただの一般人。

その後のことは、いまでも思い出したくない。


「……でも、これは情報だけじゃなくそれこそ……」

「あなたは『召喚』の達人でした。500年ものあいだソレを行使しつづけた、その身もふくめて」

「……。」


そうだ。

師匠さんの名前を取り戻すため、【三竜】を連れて精霊界に行ったのは5年前。


あのときすでに私は精霊術師ではなかったけれど、チカラを借りてそれを行うことはできた。

つまり、精霊力チカラを借りられれば私は『異世界召喚』や『異世界転移』を行える。


――私を、過去という『異世界』に『転移』させることが。


「…………。」


しかし、よりよい手があるのでは……とも思う。


そう。


「もし私が最初から居なければ……」


そういうふうに歴史を『改変』すれば。


悲劇はなくなるのだろうか。

すべてはやり直しになるのか。


まれびと狩りが行われず、そもそも【氷の魔女】なんて産まれずに。


そのほうが、すべての悲しみをなかったことにできる。

それこそが、私の贖罪しょくざいなのでは。



――けれど、そのとき私のお腹にぐいっ、と暖かくもモコモコしたものが。


師匠さんとイリムさんの子ども、チャールと目が合った。


「レリゴー姉ちゃん、どうしたー?」

「だからその、よくわからない名前はやめて欲しい」


くりくりっとした、生命いのち活気いのちに満ちた瞳。

そのまあるい宝石が、またとない輝きが、私をまっすぐに見つめている。


「――そうか」


そうして、私は理解した。


この世界は、これからも続いていくんだ。


悲劇も起こるだろう。

絶望も起こるだろう。


そして、


喜びも、幸せも、ひとしく起こるだろう。


泣いたり怒ったり、

笑ったり楽しんだりがえんえんと続くのだ。


「……うん」


それをすべて、なかったことにはしたくない。


だから、私ができることは……そう。

いまのこのときが、そしてこの先が、消えてしまわないためには。


『彼』の最初の最初を……救わなければならない。

いまのこのときに繋がるレールを敷かねばならない。


私には、死んでるひまなどなかったのだ。

逃げるひまなどなかったのだ。



それから、しばらく丘の上にいた。

チャールと、ノールと。

夕日に照らされ輝く村々と、木々の葉っぱの連なりを。


日も落ち始め、ところどころにオレンジ色の篝火かがりびが灯され始める。


今日は祝祭の日。

これから、本格的に祭りも本番に入るのだ。


家々の間をぬうように、広場への道を下った。


右手にノール、左手にチャール。


「よう! トウカに師匠さんとこの娘さん」


通りすがったカジルさんがにこりと笑顔で。


「……こんばんは」

「おーーー」

「こんばんはです」


彼は、祭りゆえに警備とそこかしこでおこるケンカの対応に追われている。


3年お世話になったクミンの村。

ケモノの村。

みな、いい人、温かい人しかいなかった。


引きこもりがちだがなんとか食堂に出れた日のことを思い出す。

彼らの笑顔も、やはりなかったことにはしたくない。


広場の一角、師匠さんたちの屋台までたどり着く。

彼は、泥のようにイスにもたれ掛かっていた。


「とーちゃん、大丈夫かーー?」

「パパ」


かわいい娘ふたりの声で、ゆっくりと目を空ける師匠さん。


「うぉお……今年も……乗り切ったぞ」

「えらいなとうちゃん!」

「えらい、えらいです」


チャールにお腹をこちょこちょと、ノールには頭をやさしくなでなでと。


「トウカも、ふたりのお守りありがとな」

「いえ、楽しかったですから」

「そうか、よかった」


そこにイリムさんがひょっこり顔をだした。

疲れ果てた師匠さんに比べ、彼女はまだまだ元気いっぱいといった様子だ。


「師匠、さあお祭りも夜の部! ここからは楽しむ側で参加しましょう!」

「……うぃっす」


ゾンビのようにのろのろと立ち上がる師匠さんに、イリムさんが「ファイト一発、『活力バイタル』!!」と彼の背中をバシーン! と叩く。


「うぉおお……いや元気でるけどさ、出るんだけどさ……むっちゃ強制的だよねそれ……いやまあいいか」

「かーちゃんもすげーーー」

「えっへん!」


わちゃわちゃと騒ぐ師匠さん、イリムさん、チャール、ノール。

……やはり、この光景をなかったことにはしてはいけない。


「師匠さん、イリムさん」

「おう、なんだ? トウカも来るか」

「いえ」


はっきりと首をふる。


「そっか……あっ、もしかしてトウカは別に行くところある?」

「そんなとこです」


師匠さんはにこにこと「そっかー村で友達、いやいや……もしかして」と本当に嬉しそうだ。

その彼に、ぺこりと頭を下げる。


――いままで、ありがとうございました。




そうして彼らに見送られ、私は彼女のひかえるテントへと。


『樹霊祭』の本当の主賓しゅひん、すなわちこの大樹海の主たる彼女のもとへと。

すさまじい精霊力チカラを持つ、この世界最強のひとりのもとへと。


「アスタルテさん、お話があります」



------------



そうして彼女は、原初はじまり原罪まちがいは。


はじまりの巫女として、クミンの村を守り、伝え、あるときは失敗し、あるときは成功し。

人として生き、人として死んだという。


それは今から300年ほど昔の、ありふれたひとりの女性の生涯である。

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