第283話 「死んで逃げることは許されない」

『氷の魔女との戦い』から3ヶ月がたった。


かつてまれびとと呼ばれた人々と、ドワーフの生き残りが暮らす開拓村に、ずいぶん早めの雪が降り始めていた。


しんしんと、こんこんと。

まだまだ秋の景色のなかを、つぎつぎに白く染め上げていく。


……だが、村人も、そしてこの世界の誰もが知っている。


この雪は、この冬は、かつてあったあの『冬』ではない。

すべてを否定し停滞させるあの冬ではない。

自然と精霊の流れにそった、ただのあたりまえの冬であると。


------------


「師匠、今年の『初雪』はずいぶん気が早いですよ」


暖炉の火に照らされながら、イリムが彼の頭をなでる。

彼は、ベッドで横になり静かに寝息をたてている。


ほんとうに静かに、かすかに。

まるで死人のように。


「『あの子』も最初は大変でしたけど、いまではだいぶ……それにそう! 私もアスタルテさまに教わって、精霊術での回復もちょびっとだけできるようになりました」


「だから、師匠の体が弱らないよう、毎日『癒やしヒール』や『活力』でですね。……まあ、体にさわる必要があるので、たまにエッチなこともしちゃったりですが……」


「……。」


「師匠はそういうの、だいぶドライでしたからね。あの世界の人はみんなそうなんでしょうか? こんど教えてくださいね」


「…………。」


「……ねえ師匠……師匠はたしかに約束は、『絶対に死なない』って約束は破ってません。……でも、でも……これじゃあ……」


「………………。」


ベッドへと倒れ込み、彼に掛かった毛布に顔をうずめるイリム。


獣人である彼女にはわかる。

この状態でも、布越しでも、彼の心臓がトクトクと音を立てているのが。

だからいつも……口には出さなかったが、彼の感情や想いが丸わかりだったのが。


そういうことで、茶化したり、ふざけたり。

もっともっと、これからもそういうことをしたかったのに。



どれだけそうしていたか……しんしんと雪の降り積もる音と、彼のかすかな吐息と、イリムのすすり泣く音と。


その静かな空間に、力強いノック音が響いた。

そしていらえを待たずに部屋の扉が開かれる。


「入るぞい」


純白の髪に、真紅の瞳。

悲しみに満ちた部屋の雰囲気を一顧いっこだにせず、堂々とした足取りで彼とイリムのすぐ横まで。


「……アスタルテさま」

「おう、イリムよ。朝からあつあつじゃの」

「……。」


アスタルテ流の冗談に応えられないぐらい、今の彼女は弱っていた。


最初のひと月は、涙ひとつ見せなかった。

続くふた月めも、気丈きじょうに乗り切った。

最後のひと月は、元気をしぼり出すようだった。


アスタルテはイリムの頭をなでると、ついでベッドに横たわる師匠の頭を ――強くはたいた。


「わっ、アスタルテさま! なにを……!?」

「ハッ、この眠りこけておる馬鹿弟子の顔を見たらつい、な。なあに気付きつけじゃ気付け」


カカと笑うアスタルテ。

そしてなおもべしべしと頭を叩く……が、すぐにイリムにその手を払われた。


「――ちょっとアスタルテさま!

 たしかに師匠はあんなバカなことして、約束だってほぼ破っちゃっての大バカ師匠ですが、これ以上バカになっちゃったら……起きたときに私が困って……」


そこでイリムが力なく腕を落とした。

そうしてまた涙の気配。


だが、アスタルテはそんなイリムの様子など知らないと、いや。落ち込む必要などないとばかりに力強く笑った。


「そうよ。そろそろこやつには起きてもらわんと困る。……世界を救った英雄として。そしてなにより、おぬしを泣かせた大バカ者としてな」


「……でも、でも……師匠の存在いのちは、名前は、ここじゃない別の世界に……」


「じゃから、ソレが出来るやつにやらせる。今日までのうのうと生きておったあやつにのう」


そうしてアスタルテは振り返り、部屋の入り口をにらんだ。

そこに立つ、黒髪の……かつて魔女と呼ばれた『少女』の姿を。


「お主にやってもらうぞ、氷の魔女よ」



◇◇◇


アスタルテさんの真紅の瞳ににらまれ、彼女と最初に会ったときのことを思い出す。


あれはいつだったか。

そう、ひと月ほど前だ。



目が覚めたとき、私は暖かいベッドに寝かされていた。


暖かい。

いつぶりの感覚だろう。


暖炉の火がこうこうと部屋を照らし、私がくるまる毛布にもこんこんと熱を。

いつまでもこうしていたい気持ち。


まるでそう……家のコタツでまどろむような……


「――!!」


がばりと飛び起きる。

しかしすぐさま体のふしぶしに痛みが走る。


「いてて……うん?」


そういえば、痛みを感じるのもずいぶん久しぶりだ。


そう、あの最後の瞬間。

彼の炎にこの身を焼かれたあのときでさえ痛みはなく、あるのはただ安らぎだった。


「ようやっと起きたか」

「!?」


気づけば真横から刺すような気配、視線。

それを恐る恐るたどると……壁にもたれ掛かりこちらをにらむ小さな女の子の姿。


透けるように白く、銀のように輝く髪。

まるで妖精のよう。


すらりとした、ともすればカンタンに折れてしまいそうなほど華奢きゃしゃな腕。

まるでお人形のよう。


――そしてそれらの印象をとく否定する、燃え盛る炎のように、吹き出す血のように紅い瞳。


ひと目見てわかった。

アレは人間じゃない。

そんな弱々しいものじゃなく、もっともっと強い別のなにかだ。


「おぬしがなぜあの炎を生き残ったのか、それはわからん。

 おぬしがなぜ今も殺されておらんのか、それはわかりとうない」


「……。」


「じゃがイリムが殺すなと言うたからの。あの娘に感謝せよ、氷の魔女」


「……あなたは……」



白い少女、土のアスタルテは語った。

これまでのこと、いままでのこと、これからのこと。


1000年まえのこと

500年まえのこと

ふた月まえのこと


私を召喚した国について

私が『停滞』を始めたころについて

私を倒すための大戦について


魔王について

氷の魔女について

師匠さんについて


そして……


まれびとについて

彼らのこの世界での扱いについて


私がび続けた人たちについて

私が喚んでしまった人たちについて


いや、私が殺し続けた人たちについて


「…………。」


もろもろを語ったあと、白い少女は「あとは好きにせい」と部屋を出ていった。


「…………。」


そう。

そうだね。


たしかに私は魔女で、この世界にとっても魔女で、あの世界の人たちにとっても魔女で。


生きているのが許されるはずもない、勇者に殺されるべき魔女で……


「……そうだね」


私はなんとかベッドから立ち上がり、うようにして窓際まで。


……少女が言っていた。2ヶ月だっけ、私が眠りについていたのは。それだけで人の手足はだいぶえるのだ。


窓枠にへばり付くように立ち上がり、木でできたフタのような窓を開く。

外には、月明かりに照らされた庭園、いくつもの花々。

ここはお屋敷だろうか。

一階一階の高さがおおきく取られ、十分な高さがある。

窓の下には、しっかりしたレンガ造りの道が敷かれている。


……ああ、よかった。これなら……、


窓枠を越える、できるだけ頭を下に。

引きずるように体を押しやり、トン、と足で勢いをつける。


ふわりとした感触。


そうしてそのまま重力にひかれ、私は私を終えることができた。


そう、そのはずだった。

……そのはずだったのに。


「……。」


気づけば私は地面に転がり、頭からどくどくと血を流して倒れていた。

いつまでもどくどくと……本当にいつまでも。


しかしなぜか、自然と。

出血は止まり傷はふさがり、痛みもじょじょに消えていった。


「……なんで……まだ、まだ死ねないの……」


そうして朝をむかえ、館のメイドさんに発見され。

ケモミミの少女や、トカゲ顔の宇宙人に運ばれ、私は元いた部屋へと寝かされた。


窓にはもちろん、しっかりと鍵を掛けられたうえで。



◇◇◇


「お主にやってもらうぞ、氷の魔女よ」


アスタルテが強く、つよく少女をにらむ。

かつて魔女と呼ばれ、いまはただの力なき少女を。


「……でも、その……アスタルテさん。私はもう精霊は……」

「そこは我が、そして水竜がやる。

 おぬしはこの500年、ひたすらに『召喚』を行った。ただひたすらにな。

 ゆえにその身はすでに『召喚術』の達人よ、生きた術式よ。この世界でただひとりのな」


「……でも、あの本は……?」

「それもむろん必要じゃ」


そうしてアスタルテは一冊の本を取り出す。

抜ける空のように青い、『青表紙本』を。


かつて魔女を召喚した国の、努力と知恵の集積。

それを氷竜が編纂へんさんし、なんとか編み上げたもの。


この世界唯一の『召喚の魔道具』


「もはやコレはおぬしの体の一部。ページの一枚一枚がおぬしの皮膚であり、インクの一滴一滴がおぬしの血のようなもんじゃ」

「……。」


「そしてなにより、おぬしと……ここで眠りこけておる馬鹿弟子は同じ場所に同じ落とし物をしておる。ゆえにおぬしにはあの世界……『精霊界』と繋がりがある」

「…………。」


「あとはわかるじゃろ。みなまで言わなくとも」

「……もしかして」

「そうよ」


こくり、と力強くアスタルテがうなずいた。


「氷の魔女よ、おぬし……我を『異世界転移』させよ。行く先はもちろん『精霊界』じゃ」


「そんな、アスタルテさま! いくらアスタルテさまでも……」


イリムが彼女の肩をつかむ。


そう。

すべての精霊の生まれ故郷であり、ある意味すべての自然のみなもとであるかの世界。


純粋な願いと、想いと、そして莫大ばくだいなエネルギーに満ちた世界。


ありとあらゆる生物種が湧き立つように発生し、

ありとあらゆる自然現象が絶えず吹き荒れる。


その世界は、古代竜エンシェントドラゴンですらひるむほどの、まさしく精霊の王たちの領域だ。


だが、アスタルテはにかりと笑った。

獰猛どうもうな竜そのものの、そして無邪気な少女そのものの笑顔で。


「安心せい、頼もしい助っ人をふたり呼んである。 

 ――この馬鹿弟子の名を、存在を取り返してきてやるわい」



そうして彼女と、彼女と同じ存在である竜たちは。

すなわち土竜、水竜、火竜の【三竜】たちは。


宣言どおりに、約束どおりに、かの世界から彼の名を取り返してみせた。


それは彼女らにとってひさびさの大暴れ、すなわち楽しいひとときであったという。

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