春の訪れ

第282話 「死刑執行、仮釈放」

し……! し……! しッツ……!!」


暗い小部屋で老婆……いやかつて氷竜と呼ばれた妖婆ようば喝采かっさいをあげる。


目から大量の涙を流し、口からも大量のよだれを流し……酸欠にあえぐ金魚のようにぱくぱくと。


狂気と狂喜に染まった顔で、喜びを体現していた。


「ついにようやっとあのアバズレ……【氷の魔女】が死におった! 炎のガキが殺しおった!」


叫ぶたび、口からツバを撒き散らす。

それらは腐臭をともないながら床を汚した。


「これでこれから……いやいやいやいや! すでにチカラも戻りつつある! これでようやっと儂も【氷竜】にっ……!?」


そこで妖婆は異変に気づいた

あごにまで垂れたよだれを拭い、小部屋の入り口、地上へののぼり階段をにらむ。


カツ、カツ……と靴で石段を歩む音。

それは軽やかにしてかすかであり、足音のあるじが子どもであることを告げている。


「おうおう、氷竜よ、氷竜のババアよ。久方ぶりじゃの」

「――!? おぬし、アスタルテかっ!」


そうして現れたのは子どもなどではなく……氷竜すらはるかに越えた年長者であった。


「ほうか、やはりの。……魔女の件、召喚の件。ようやくようと知れたわ」

「なにを……言っておるのかさっぱりじゃの」

「コレじゃよ」


アスタルテは一冊の本をかかげた。

抜ける夏空のように青い、一冊の本を。


「なかなかようできておるの。精霊力を魔力に変換、シルシなしでも『魔法使い』か。まあ、ほとんどは古代知識の借り物じゃが……」

「くうぅううう!!!」


妖婆は……氷竜はとっさに氷の術を走らせた。


――先手必勝、相手が語りに集中しているあいだに一気呵成いっきかせいにっ……!


「ガッツ!!」


腕と足とまぶたを同時に切り裂かれた。

土の、いや岩の槍により正確に。


「ぬぅぅぅ‥…ふぅおおおおお……」


腕が上がらない。

おそらくはけんを切られた。

きわめて正確に、的確に。


「くっふぅぅ……ぬぅおおおお……」


足が動かない。

おそらくはかかとがピンのように床に固定されている。

くるぶしからふとももまで、『槍』がまっすぐに貫いている。


「むぅぬぅううう……くぅおお……」


目が見えない。

おそらくは眼球が根こそぎほじられた。

切り裂くだけではなお足らぬと、まるごとほじくり返された。


そうして訪れたのは、ひたすらの絶望である。


「ひぃああ~、ワシの……ワシの新しい時代が……これから……これから始まるんじゃあ……」


そのつぶやきを、願いを、それ以上に強い言葉がさえぎる。


「させるかよ。みな……みな頑張ってここまでこれたんじゃ。おぬしの我欲がよくでの、原初はじまり原罪まちがいが生まれた。産まれてしもうた」


明確な否定と、

明確な殺意でもって。

その想いに、妖婆は恐怖した。


「……ヒイッ……」

「あんなことは、これきりじゃて」


瞬間、在り得ぬほどほどの速さで、在り得ぬほど硬い石柱が、ただただおびただしく氷竜を串刺し……否、すり潰した。

アスタルテはこの術に名前は付けていない。


ただ殺す。

く殺す。


それだけの術……いってみればただの死刑判決ゆえに。


だが、この術式には『隕石メテオ』に等しい精霊力が込められている。

それを、石柱をどれだけ速く動かすか、どれだけ硬く仕上げるか、それのみに集約しただけ。


当然として、相手は死ぬ。殺される。


そうして、かつて氷竜といわれた老婆は、一片の肉片すら残さずこの世から消え去った。

残ったのは、皮とわずかな白髪と、大量の赤い液体のみである。


「あとは……あやつじゃな」



------------



「……そうか、あのババアもようやく死におったか」

「ああ。かつての『冬』の奥深く、魔女を召喚しおった部屋に引きこもっておったわ」


木々の枝が絡みあう空洞のなかで、老人と少女の声。

火竜【竜骨】と、【土のアスタルテ】である。


ここは大樹海の『どこか』

強大なる土と水の精霊力チカラにより、暴虐なる火の精霊力を抑え込んでいる。


その破壊の具現たる火竜……いまは老人の姿だが……がのどを鳴らす。


「カカカッ! あやつは五竜のなかでも新参、チカラも劣っておったからのう。ゆえにあんなバカなことを……」

「おぬしも同類じゃろが。……まあ、結果的に魔女を倒すことができたがの」

「して、あやつはどうじゃった! 儂の炎を授けたヤツは!?」


顔をほころばせ、目を子どものようにキラキラと輝かせながら火竜が問う。

その様子にアスタルテは思わず笑ってしまう。


――まったく、こやつは。


「ああ、強うなったよ。本当に強くな」

「ほう!」


「最後の『火葬インシネレイト』……いや『竜の炎ドラゴンブレス』かの? 巨大な炎の柱で魔女を叩き斬りおったんじゃが……そのあと何が起こったと思う?」

「なんじゃな、勿体もったいつけず話せい」


「水じゃ。えぐられた大地にそって、水がなだれ込んできおった。……しかも塩辛い水じゃった」

「海水か!」


パン、と老人が嬉しそうにひざを叩く音。


「魔女の城から東に一直線……そうよ。ソコと海が繋がったんじゃ。あやつは大陸を叩き割りおった」

「やるのぅ!

 ……いやいや、真に精霊術師なら地形を変えて一人前、ようやくあやつも儂の眷属でしにふさわしい……」

「悪いが、あやつは我の弟子でしじゃ」


アスタルテがすぱっと即答、その顔はどこか自慢げである。

だが、すぐに表情をひきしめ正面から火竜をみつめた。


「だから死なせとうない。

 竜骨よ……協力してくれんかの」

「……ふうむ」


あごを撫でつつ思案する老人。

しかし、彼のなかでは答えはもう決まっていた。


「――よかろう。

 まあ、1000年ぶりに大暴れできるのなら是非もない。しかも相手は生まれ故郷とな! カカカッ! これはいい!!」


枝の回廊を火竜の笑い声がゆらす。

それは老人の声から発せられるものではなく、もっともっと巨大で恐ろしいモノの笑い声であった。

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