幕間 「500年前、氷の玉座にて」

白き広間で目が覚める。

気づけば私はまた……氷の玉座に腰掛けていた。


現在いまがいつなのかわからない。

あれからどれだけたったのかもわからない。


異世界に召喚され、どれだけの時がたったのか。


「……はあっ、はあっ……」


なにも口にはしていないはず。

あれからずいぶんたったはず。


――なのに、私は餓死することもなく、体は老いることもない。


なぜ死ぬことができないのか。

なぜこれだけ生き続けることができるのか。


私はもう、死んでしまいたいのに。

私はもう、あんなことはしたくないのに。


知覚を伸ばせばすぐにでもわかる。

氷の領域、かつての私が望んだセカイ。


壊された私が、無意識に望んだ永遠の停滞やすらぎ……。


でも、もう……もう、これには耐えられない。


意識が戻るたびに、突きつけるように襲いかかる私の罪業あやまち


氷に呑まれる村。

人々の悲鳴、嘆き、断末魔。


家に逃げ込み、トビラにかんぬきをかけひとかたまりになる家族。

畑を必死に駆け、下草に足を取られ転がる若者。

もう逃げ場はないと、手を取り合い抱き合う恋人たち。

大人の狂乱が理解できず、ただ寒空を見上げる幼子。


すべてすべて、直接その場で見たように思い出せる。

すべてすべて、私が殺した人たちを。


そんなものを、意識が戻るたびに突きつけられる。

なんどもなんども、いくどもいくども。


「……ううぅぅ……」


悲しみで頭がおかしくなりそう。

吐き気で胸がぐるぐると。


「……なんで、なんで言うことを聞いてくれないの……」


私はなんども、コレを止めようとした。

氷の領域を、なんども。


しかし、冬はびくともしなかった。



――カツ、コツ、カツ。


そのとき、静かに、ゆっくりと杖をつく音が。

おもてをあげると、凍りついた白亜はくあの広間を、ゆっくりと老婆が歩んできていた。

私の座る、白き氷の玉座まで。


「おまえさん、いまは『どっち』じゃ?」

「……えっ」


「よいよい……重畳ちょうじょう重畳。それが本来のおぬしか」

「……いったい、なんの話ですか。それにあなたは……」


かすかに覚えがある。

はるか昔に、会ったことが。


「ほう。わしから精霊力チカラを奪っておいて、ソレか。……ずいぶん舐めた態度じゃの、【氷の魔女】よ」

「……その呼び名は」


そう。

私はそう呼ばれ始めている。

いつだかの村の記憶のなかで、そう叫ぶ声を聞いた。


「わしは【氷竜】、まあおまえさんのおかげで元、じゃがな。500年前におぬしにチカラを奪われ、いまは枯れかけのババアじゃよ」

「……500年、」


長い時間がたったのだろうとは思っていたが、まさかそんなに……。


そうして氷竜は手短に語った。

私が飛ばされてからのこの世界の歴史を。


――500年前、『私』はニンゲンの国に召喚された。

  その後すぐに、ニンゲンの国は魔王の国に滅ぼされた。


そうか。

歴史というモノサシだと、ニンゲンの国で受けたあの地獄の数ヶ月は『すぐ』になるのか。


――その1年後、『私』は魔王の伴侶はんりょとして進軍を開始。

  なみいる敵国を氷で滅ぼし、魔族は国を取り返した。


……あの、顔色の悪いイケメンのことだろうか。

伴侶になっただの、ともに戦っただの、私には覚えがない。


――それからおよそ500年、世界は平穏だった。


――そして今から1年前、魔王が殺され、魔族が滅び、『氷の魔女の領域』が産み落とされた。


「……1年……? あれだけの人が死んで、あれだけの村が呑まれたのが……たったの?」

「凄まじい勢いじゃったからの。土竜のババアが止めんかったらどうなっておったか」


あのたくさんの悲劇。

あれがすべて、たったの1年の間に起きたことなのか。

それに……、


「魔王が死んだって……」

「わしが見たときにはすでに、ただの氷像になっておったの」


「魔族が滅んだって……」

「わしが見たときにはすでに、城のものも城下のものも、ひとり残らず氷像になっておったの」

  

私が、殺したのだろうか。

氷のチカラで、氷の魔女として。


「……おばあさん、氷竜さん。チカラはお返しします。……私のセカイも止めてください」


頭を下げる。

心の底から。


しばらくして返答がなかったので頭を上げると、そこには怒りに染まった老婆の姿が。


目は血走り、杖を指が折れんばかりにつよくつよく握りしめ。

体はぶるぶると引きつり、全身から……怒りと殺気を放っていた。


……なぜか、まるで怖くはなかったけれど。


「おうともよ。いずれ、いずれ返してもらうとも。じゃがな……それは今ではない」

「……。」


「氷の領域を止めるのも不可能じゃ。なにせ、精霊たちはおぬしの願いに応えておるだけじゃ」

「――!?」


「おぬしの根っこの部分、おぬしの本当の願いがわかっておるのだろう。うわべの綺麗事など聞かんよ」

「そんな!」


私は、私が……アレを願っているのか。


「げんにほとんどの時間は『あっち』じゃろが。いまのおぬしはかすかに残った残りかすでしかない。500年前の、まれびとであったころのな」

「……。」


否定したい気持ちと、なんだか納得できる気持ちと。

あの死体のような時間が、ほんとうの私なのだろうか。

いまの私は、いずれ消え去ってしまうのか。

たとえ、そうだとしても……、


「辞めたいかの?」

「えっ」


「氷の魔女を、辞めたいかの? 氷の領域を止めたいかの?」

「ええ、でも……どうやって」


げんになんどか、私は私を止めようとしたことはある。

手首を切ろうとしたり、首を吊ろうとしたり。


しかし、そのたびに手にしたナイフも、ロープも、粉々に砕け散った。

あるときなど、大きな白い犬に羽交い締めにされ止められた。


私は、『私』を殺すことは許されていない。

おそらくは『私』によって。



老婆が右手を振ると、広間のむこうから一冊の本が滑ってきた。

凍りついた石の床をスルスルと。



「――お前さんに、そのすべを授けてやろう」


ヒヒヒッ、と心底楽しそうに竜の老婆は哄笑こうしょうした。



------------


異世界召喚。

不慮ふりょの事故などで亡くなったひとだけが喚ばれる……これなら、あの世界にも迷惑をかけない。


術式を多重に重ねた魔法の本。

精霊力を魔力に変換し、本にチカラを満たすだけ……これなら、シルシのない私でも、文字の読めない私でも、魔法が扱える。


「どこに飛ばすかは決められないんですか?」

「そうじゃな、だがヒトはヒトに惹かれる。安全な町中がほとんどじゃろて」


「飛ばされたところは見れないんですか?」

「そうじゃな、あくまでその魔法陣……亡き王国の最大の遺産に頼っておるからの。おぬしはただの燃料じゃ」


「飛ばされた先でトラブルとかは……?」

「それは安心せい! この魔法世界、召喚も転移もよくある事象ことじゃて! 暖かく歓迎されるぞぃ!」



いくつか不安、疑問もある。

しかしもう、私にはこの手しかないだろう。


私を終わらせ、人々を救うには。

私を終わらせ、世界を救うには。



◇◇◇



あれから、ときたま意識が戻るたび。


彼女はまれびとをび続けている。


自分を殺してくれる、勇者さまを。

世界を救ってくれる、勇者さまを。


悪い魔王を、召喚された勇者が退治する……そんなありふれたおとぎ話を、望みながら。

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