氷の魔女

第254話 「ひとつの指輪」

あの戦いから2週間がたった。

今はすっかり拠点となったフラメル邸で、最後の調整を行っている。


……だが、その戦いにどうしても参加できない者がでてしまった。

彼女の部屋の前にたち、軽く深呼吸。


「カシス、入るぞ」


ノックとともに声をかけると、ややあって静かな返事が。


「ええ」


ドアを開け、こちらも静かにそれを閉める。

初夏の青々とした日差しが部屋に満ちており、海に面したここは風通しもさわやか。


……療養りょうようには、いい環境だ。


「どうだ、調子は」

「うん。まあ、今日はいいほうかな」


ベッドの上で起き上がり、お腹をおさえるカシス。


そう、彼女の怪我は、大怪我は……完全に『治癒』されたわけではなかったのだ。


勇者と相打ちになり、結果、彼はその無限ともいえる回復能力を封じられた。

アレがなければ、最後のせめぎ合いで倒れていたのはこちらだろう。


つまりあの戦いの最大の功労者はカシスだ。


しかしその痛手は大きかった。

腹を刺され、さらにはそこに『ひねり』を加え内臓なかみをかき回された。


アルマの指輪の『一度きりの大治癒』により部品なかみ自体は再構成されたが、そこはそれ。

治した部位に見合ったぶんのモノを、彼女は体から支払ったのだ。



この世界で『奇跡』が別格扱いされる理由がここにある。


錬金術……つまり『魔術』による回復には、さまざまな制限がある。

しかし『奇跡』にはそれがない。

体力も、リソースも、なにもかも無視して『治癒』せしめる。


「はあー……やっぱだるいのが抜けないのが一番やっかいね」

「『宿温』やっておくぞ」


ベッドわきのイスに腰掛け、彼女の手をとる。

軽く集中し、術を想起そうき


体温が一般より低くなってしまった彼女には、ときどきこうして『カロリー』を与えている。


「ん……やっぱあんたのが一番効く。回復ポーションよりもずっとね」

「そりゃよかった」


重ねた手に、ふと硬いモノが当たる。

それは彼女の指にはめられた指輪だった。


「……アルマにはお礼を言わないとね」

「……ああ」


あのとき彼女の命を救った指輪は、予想に反してバラバラに壊れるようなことはなかった。

術式を発動させ、魔力を霧散むさんさせ、ただの銀の指輪に戻っただけだ。


「デザイン的にはあれよね。メンズ向けって感じ」

「初めから俺用だったのかな。イリムにはベルトだったし」


窓からさす光が、キラリと彼女の指輪をかがやかせる。

すこしサイズオーバーで、しっかりとその存在を主張して……。


「ところでさ」

「ああ」


「なんでこの指にしたの」

「……ええと」


左手をつきだし、その薬指をかかげる。


「コレって、そういう意味?」

「……いや……」


そう。

コレはいつか質問されるだろうと思っていたが、ついに来てしまったのだ。

その誤解を、解かねばならない。


左手の薬指に指輪。

それの意味はあちらの世界でもこちらの世界でも共通だ。


だが、俺があのときとっさにその指を選んだのはそういう意味ではない。

それを、しっかりと説明せねばならない。


「その指はな……」

「ええ」


「命につながってるんだ」

「えっ?」


カシスがきょとんとした顔をする。

たぶん、彼女が期待した答えではなかったのだろう。


「古い魔術の考えでな。左の薬指は心臓……命と直接つながっているとされる。だからあのとき、命を救うのに一番効果があるのはその指だと思ったんだ」

「……。」


「そういう『想い』だとかルールは、とくに素朴な魔法ではつよい意味を持つ。結果、効果はたしかにあったはずだ」

「……つまり、【魔法使い】としてこの指を選んだってこと?」

「ああ」


彼女は顔をふせ、指輪をながめた。

重い沈黙。


「……ごめん」

「や、いいよ。こっちが誤解してただけだし」


そう。

あの戦いのあとの彼女の様子や、指輪を大事にしているところを見て……なんとなく察してはいた。

毎日の『宿温』のときも、なんどか危ない雰囲気になったこともある。

だが、それでも……


「俺にはイリムがいるから。すまない」

「うん。わかってるって」


しばらく顔をふせていたカシスだが、すぐにいつもの気丈な顔でこちらを見る。


「まあ、ファーストキスもあんただったんだけど」

「ええっ!!」


「私は記憶ないんだけどさ、治療のときに定番のアレやったんでしょ。人工呼吸」

「ああ」


あのときは緊急事態だったので、そんなことを考える余裕はまったくなかったが。


「そりゃ、幼稚園や小学生のときに仲のいい子としたことはあるかもしれないけど、そんなの覚えてないし。中学は……わりとちょこちょこ休んでたからさ」

「えっ?」


彼女が、あちらの世界のことを話すのはとても珍しい。

せいぜい姉がいただとか、剣術の家系だったとか。

それぐらいだ。


「だから、高校入学の日。

 あの日は人生リセットするつもりで気合いれて家を飛び出したら……そのままトラックにはねられて気づいたらこんな世界で」


「誰も信じられない世界でなんとか必死に生きて、そんなことする余裕なんてなかった」


「まあ……だから初めてなわけ」


「……そうか」


だとすると、だいぶ悪いことをしてしまった。

3年仲間として付き合ってきたせいで関係も、やり取りもフランクになっていたが……あたりまえに考えて、彼女もひとりの女性なのだ。


「……重ねてすまない」

「だからいいって。それよりさ」


彼女はこの話は終わりだと、ガラッと雰囲気を変える。


窓を開き、遠く東の大樹海を見渡す。

その木々のつらなりをしばらく北上すると、まれびとたちの村……【開拓村】にたどり着く。


「今日なんでしょ、みんなを『帰す』のは」

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