第250話 「理屈ではなく理性でもない」

勇者は死んだ。

俺が殺した。

同郷人である彼を。


手のひらと足元から力が抜ける感覚。

そのまま倒れ込んでしまおうかと思った矢先、後ろから少女のつよい声が。


「師匠!!」


少女の、イリムの、生命力に満ちた声。


「――師匠、カシスさんがっ!!」


しかしその内容は、別の命の終わりを知らせていた。


------------


「はあっ……はあっ……」


体にムチを打ち仲間のもとへ駆け寄る。

イリムと、ザリードゥと、彼が抱える仲間のもとへ。


「……カシス」


彼女は応えない。

彼女は腹部にいくつも布を巻かれ体を横たえていた。

その布は、真っ赤に染められていた。


「ザリードゥ、カシスは」


「刺された傷口はふさいだ。『治癒ヒール』もなんどもなんども。……だが、」


ザリードゥが弱々しく首を振る。


「……内臓がふたつかみっつ……やられちまってる」

「……。」


「俺っちは聖女サマじゃねえ。『大治癒グレーターヒール』は使えねェんだ」


ギリギリと、歯がきしむ音。いまにもその尖った歯が砕けんばかりに。


「『奇跡』は、都合のいいもんじゃねえ。いつも土壇場で裏切りやがる」

「でも、『治癒ヒール』のおかげでこうして、」

「いや」


「……これじゃムダに苦しませているだけだ……」


優しく傷口に手をそえ、必死に『治癒』を重ねるザリードゥ。

しかしその顔は険しく、そして別の決断を迫っていた。


「楽にしてやろう」


------------


さきほど勇者からも感じた……強い死の匂い。

生命が終わりつつあるとき特有の匂い。

それがあたりに満ちている。


しかし、しかし。


それは断じて許容できない。


俺はこいつを帰すと約束した。

それは絶対に、絶対に果たさなければならない約束だ。


「ザリードゥ、それはダメだ」


かがみ込み、彼女の体に手をそえる。ひやっと冷たい。驚くほど。

しかし、その冷え切った体に熱を灯す。


『宿温』


あの時死にかけた自身を温めたモノであり、凍りついた少年を救ったモノである。


すこしして、彼女はゆっくりと目を空けた。


「……はあっ……はあっ」

「カシス」


「……つぅう……やっぱキツイ……感じかな」

「いや」


「自分でわかるよ。コレは治癒じゃ助からないって……」

「そんなことはない」


「……昔言ったこと覚えてる?」

「……なんだ」


彼女はあさってのほうを見ながらつぶやく。

まるでもう目は見えていないとでもいうふうに。


「私がダメになったら……アンタの『火葬』でぜんぶ煙にしてって……さ」

「そしたら……魂だけでも……元の世界に……」

「……元の世界に……」

「……かえり……たい……」


言葉が止まる。

意識も止まる。

呼吸も……止まる。


しかし命は、まだ止まっていない。止めてはいけない。


『宿温』を再度重ね、無理にでも体温を保ち続ける。

くちびるとくちびるを重ね、息を吹き込む。


しかし、彼女が呼吸を取り戻すことはなかった。


「……カシス」


思わず彼女の手を握る。

鼓動も熱もまだ感じられる。

しかし、人間は中身をやられていては……、


「?」


ふと、キラリと。

それは目に入った。


彼女の手を握る俺の左手……その中指で、銀色の指輪が静かなひかりをたたえていた。


コレは、3年以上前。

初めてのゴブリン退治の帰りに、アルマから受け取ったものだ。


最初は『矢避けアヴォイド』の指輪と聞かされ、あとからユーミルがそんなもんじゃないと看破した。


『矢避け』にくわえ『防護プロテクション』、しかも双方中級以上で、これまで何度も俺の体を守ってくれた。

そしてなにより、秘奥ひおうも秘奥『一度きりの大治癒』という超レア術式が……、


「!!」


振り返り、後ろのイリムを見る。

少女の左腕にはいまも変わらず、あのとき貰ったベルトが巻かれている。

この指輪と同じ効果を持った、魔法のベルトが。


「ザリードゥ。おまえさっきなんて言った!」

「はあ?」

内臓なかみがいくつやられてるって!?」

「……ふたつかみっつ。医者じゃねェからそれ以上はわからねェよ……なあ、なんの話を……」


あのときユーミルはなんと言っていたか。

暗い下水道で、俺の手をつかみなんと言っていたか。


そう、「この術の構成密度だと……内臓ひとつはいける」と評していた。

それほどまでのチカラと想いが込められていると。


「イリム、ベルトを貸してくれ。助けられるかもしれない」

「!? ……なるほど、師匠! それです!!」


イリムは察し、素早くベルトをほどきにかかる。

不思議な顔をするザリードゥに「アルマがくれた指輪だ。『一度きり』だが大治癒が込められている」と説明する。


「『一度きり』が二度。つまりふたつまでなら回復できる」

「師匠……だが、もし『みっつ』だったら……?」

「いや」


首を振る。

指輪も、ベルトも、いまのいままで効果を発現することはなかった。する機会がなかった。


イリムは重体寸前にまで追い詰められることはなかったし、俺の一番の大怪我は『左腕』の切断だった。

2年前の交易都市で、異端狩りに追い詰められ、押さえ込まれ、腕を跳ね飛ばされた。


あのとき飛ばされたのが『右腕』であれば、おそらく『一度きりの大治癒』は発動していただろう。左の中指からそのチカラを発現させ、そしてそのまま壊れていたはずだ。


だから、きっと、たぶん、おそらく。


アルマがくれた指輪とベルトは、いまこの時のために貰ったのだ。

カシスを助けるためだけに。


そんなアイテムが役に立たないはずがない。


理屈ではない。

理性でもない。

だが絶対に……彼女はここで助かる。助ける。


「師匠、コレを!」

「ああ」


『宿温』を維持したままのカシスの体に、やさしくベルトを巻く。ぐるりとお腹を包むように一周。

そして、握った彼女の左手をゆっくりとほどく。


「……。」


迷いなくその薬指へ指輪をすべらせる。

助けてやる、約束を果たしてやると誓いながら。


「……頼む」


祈るように、両手で彼女の左手を握り、目をつむった。



……それからどれだけ時間がたっただろうか。

気づけばイリムとザリードゥに加えみけやアスタルテ、ユーミルも俺とカシスを囲んでいた。


そうして、目の前から少女……いや女性の声。

握った手は逆につよく握り返されており、顔にはさすような血色が。満面の笑みが。


「……へへっ、ありがとね」

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