第241話 「狂った闇霊に侵入されました」
なぜだなぜだ!
なぜだ!?
賢者と呼ばれる女は、この日何度目かになる苦渋の叫びをあげた。
右から左から、そして上から下から。
視界を埋め尽くすほどの鎖の群れが彼女に迫る。
それをなんとか……本当になんとか防御の術でしのいでいる。
「くっ、いまいましい……!!」
――種族としてはこちらが
それは当然、なにしろ彼女はエルフであり、産まれながらに魔導の天才を約束されている。
ユーミルをひと目見て「これは楽勝だ」と判断し、勇者の邪魔になるだろうと戦場を丘から赤茶けた大地へと移した。
その判断が、最初の間違いだった。
あの、紫ローブの娘が
あの、死神を従えた【異端の魔女】の妹であることも知っている。
しかし、まさか。
この【古戦場】に巣食う亡霊を使役できるほどとは。
かつて、ここは幾度も戦場となった。
王国と帝国、飽きずになんどもなんども、なんども。
この大地の下には、どれだけの膨大な『死』が積み上がっているのか……想像するだに恐ろしい。
しかし、それだけの「いわく」と「歴史」を積み重ねた亡霊は、ただのニンゲン霊をして「精霊」に近いものとなる。
当然、それを操る、従えるなどただの死霊術師には不可能だ。
可能とするには、先祖代々受け継いだ祖霊だとか、長い長い儀式により個別に契約するしかない。
……それを、目の前の少女はいともたやすく従えている。
さらにはつぎつぎとその数を増やしている。
「……いえ、でもこんな小娘にっ……!!」
彼女の姉……
しかしソレより数段劣る妹にも可能だとは。
「それに、霊の使役がレーベンホルム流ではない? いえ、むしろコレはネビニラルの……」
彼女の姉、リディアはレーベンホルムの当主であり、己の
それは歴史と、魔力と、呪いに浸された醜悪にして強力なものであり、引き込んだ霊を『館』で徹底的に調教する。
そうして、意思も尊厳も失った……完璧な持霊として運用するのだ。
しかし、目の前の少女に従っている霊たちからは、一様に強い意思……感情を感じる。
しかもそれは極めてシンプルで原始的なモノ……つまりは「怒り」に満ちていた。
「……あんまり私の趣味じゃねーけどさ、こーゆーやり方は」
「――!?」
さらにさらに、大地から、地の底から、死霊が
汲めども汲めども尽きることがないとばかりにつぎつぎと。
「おいっ! 小娘ッツ!!
なぜ、なぜ貴様ごときにそれだけの霊が扱える!?」
ゆえについ問うてしまった。
戦い……
「……オマエ、ここの
「ハッ?」
「……『古戦場の誓い』だよ」
「なによ、私はくだらないニンゲン同士の戦争なんて関係……」「あるだろ」
鎖の少女、ユーミルは明確に賢者の言葉を否定した。
「……オマエは『帝国』側につき勇者と風竜とともに参戦した。そのうえで『帝国』『王国』、両者の段取りを無視して奇襲した。……氷の魔女を使ってな」
「そう、奇襲したのはイカれた魔女でしょ、恨むならそっちを……」
「……その作戦を決めたのはオマエだ。帝国側の参謀としてな」
「私がいつニンゲンの国の……」
ハッとする。
そこまでいって賢者は理解した。
「……少なくとも、そう『説得』すればこいつらは言うことを聞いてくれる」
「……。」
つまり、嘘は言っていないが本当のことでもない。
それは極めて危険な綱渡りだ。
『古戦場の誓い』
「帝国」「王国」による古くからの取り決めが、『
緒戦は古戦場で行い、それを超えての奇襲・先制攻撃は禁じるというルール。
全面戦争ではなく外交戦争である両国の争いにおいて、合理的かつ平和なシステム。
これを破った場合、古戦場に縛られた亡霊がすべて、違反側に対して牙をむくと言われている。
彼らはこの
「……まあ、バレたらだいぶやべーけどな」
「……正気?」
しかし、その場合でも彼女ならおそらく「なんとかなる」だろう。
そう、ふたつめの間違いは彼女の力量である。
丘からここ、古戦場へ戦いの場を移したとたん、鎖の少女のチカラが跳ね上がったのだ。
場所がいい、というだけではない。
明らかにその身のうちに膨大ななにかを溜め込んでいる。
それをいざ「殺し合い」になるまで、巧みに『
これではまるで、彼女の姉そっくりの……その身に『館』を宿したかのような……。
「……まさか」
「……そう。姉妹仲良くはんぶんこにしたんだよ。貰ったのはつい最近だけどな」
「
「……ハッ、リディ姉のことよく
「あの自己中女が、己の能力を減じてまで妹にっ!? それで彼女になんの
「……かわいいユーミルちゃんの安全だろ、ばーか」
「そんな……凡俗な理由であの女が?」
「リディ姉の理由なんてそんなもんだよ。自分の中に明確に「要るもの」「要らないもの」があって、その選択が死ぬほどはっきりしてるだけだ。まあ、やべーやつなのは否定しねーけどさ」
「……しかし」
「それによ、『自己完結』した『自己中女』って……オマエのことじゃねーか。っと、そろそろつぎ来るぞ」
「!?」
その言葉を皮切りに戦いが再開される。
否、さきほどまでの長々とした会話も戦いに含まれていたのだが……。
ユーミルも、もちろん賢者もれっきとした
魔法使いは、火を飛ばしたり光線を放つだけでは三流だ。
視線、しぐさ、言葉によって魔法を成立させてこそ一流である。
ゆえに、さきの言葉のやりとりも、互いに『魔眼』や『
だが、この段階で『堕ちる』ほど互いに未熟者ではない。
その段階で『堕ちる』のであれば、それは敵ですらない。
そして、ひとたび敵として認定されれば、晴れて本物の攻撃が飛んでくる。
そして、それこそがみっつめの、そして致命的な間違いであった。
「――チッ!!」
目を覆うほどの鎖の嵐。
その
『ソレ』は巨大な剣であり、十字架であった。
『
かつての異端狩りの筆頭騎士、ハインリヒの自慢の得物であり、帝国の奴隷身分たるドワーフの血と涙の結晶。
そして2年前のフローレス島において、あまたのラビットを『神の怒り』により殺し尽くした神威の象徴。
つまりは、輝くほどの神聖を帯びた聖剣であり、同時に、吐き気をもよおすほどの悪性に満ちた魔剣である。
その大剣は、鎖の少女の手足としていくどもいくども賢者に迫る。
極めて巧みに、正確に。
……まるで、熟練の剣士が振るうかのように。
「……ふうん。よく耐えてるじゃん」
ユーミルのつぶやきはもっともだ。
賢者はよく耐えている。
まるで……というより熟練の剣士そのものの太刀筋を、本来後衛である
『
しかも、ユーミルは大剣の攻めの合間合間に『鎖』で、『
いってみれば、賢者は前衛の剣士と後衛の死霊術師、ふたりのパーティを同時に相手どっている。
もし、ユーミルの手札がただの「それだけ」なら、賢者にも十分勝機があっただろう。
魔法の巧みさ、手数、そしてなにより扱える魔力量において圧倒的な差があるのだから。
賢者をしてなんとか創り上げた『
賢者の石としては3流だが、それでも
石炭のような見た目もいただけないがMPポーションとして効果はばつぐんだ。
……あくまで、その使いみちしかないのだが。
そして、いくら魔力があろうとも、いくら魔法が巧みであろうとも、水と油といってもいいチカラがこの世界には存在する。
「……次で仕掛ける。鎖丸と合わせて、ハインリヒ」
「!?」
ユーミルの言葉と、ついで目の前に迫る大剣に驚愕する。
その大剣は、まばゆいばかりの光を放ち、たかだかと振り上げられる。
――あの大剣に宿るしろい極光は……まさか!!
直後、地面に叩きつけられた『奇跡』が賢者の体を直撃した。
『神の怒り』
奇跡と魔法は違う法則、チカラから成り立っており、つまりは相性が悪い。
『奇跡による攻撃』を魔法で防ぐのは効果がひくいのだ。
「――――ゴガッッッッツツツ!!」
ゆえに当然のごとくこうなる。
賢者の魔力障壁をしてこうなる。
――なぜだなぜだ!? あの鎖のガキはどうみても聖職者じゃない、そして奇跡の担い手でもない。
残るはあの大剣に宿る剣士ということになるが、霊魂が奇跡を行使できるなど聞いたこともない。
もしそんなことが可能なら、それは狂気にちかい信仰、あるいは願いだ。
賢者であるスピカはもちろん奇跡のなんたるかを知っている。
『
「……上出来じゃん。じゃあ続けて、ハインリヒ。あんたの祖国、『帝国』を滅ぼした悪いやつを仕留めるまでね。……死ぬまで殺すまで、正義の『奇跡』を浴びせるといいよ」
大剣が震える。歓喜する。
そうして再度『神の怒り』が振るわれる。
いくども、いくども。
大地や、そこに住む虫にはいっさいの
ただただ、神の敵として認定したモノだけを執拗に。
「――ああ……」
体を『奇跡』だとか『正義』だとか、『神』だとかに引き裂かれながら、とうとつに賢者は理解した。
あの大剣に宿る霊魂は、真実狂っているのだと。
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TIPS『赤表紙本からの抜粋』
・奇跡について
まったく馬鹿げた話だが、アレはつまるところ想いの力である。
手順を踏まず、マナを介していないというだけの話だ。
神が居るか居ないかはお好みで。
よりつよく奇跡が発現できると思う方を採用すればいい。
そう言えば元の世界の量子論は進んだのだろうか……思念は確率に影響を与える、魔法使いからすれば当たり前の話だが、科学者からすればしばらく受け入れづらいだろう。
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