第232話 「紛れ人」

気付けば周囲は雲海の群れ。

たまに、はるか下方に山々が見える。

赤茶けた産まれたばかりの山々が。


どれだけ空の上にいるのか。

どれだけ地上から離れてしまったのか。


防戦一方で、それでも死にものぐるいの綱渡りで、実際何度も死にかけた。

それでも五体はぎりぎり満足で、こうして戦いを続けることができる。


今は、血だらけのリンドヴルムの背にしがみついている。


「大丈夫か、相棒」

「グワッ!」


見た目の壮絶さに反して、元気な声が返ってくる。

だが、できれば彼の召喚はしたくなかった。


まだまだ竜としては若い紅竜ドレイクと、いけ好かないが古代竜エンシェントドラゴンの風竜。

チカラの差は歴然で、それがヤツのフィールドたる空ともなれば当然こうなる。


元々は、竜として格上のアスタルテに叩き潰してもらうつもりだったのだからそれが逆転した形だ。


だが、いつまでも暴風にもまれながら戦うのには限度がある。

守りのかなめたる『俯瞰』『歪曲』をほぼ封じられた状態ではなおさらに。


それに、若いとはいえリンドヴルムも竜。

未知なる外海の向こうで2年、ひとりで暮らしていた経験もある。


「――!!」


だからこうして、雲の中にひそむ敵の気配を俺よりはるかに素早く察知できる。

東の空を捉えるよう、ぐるりと体を旋回する。

そうしてすぐさま、雲からミサイルが直進してきた。


――すい状の、緑の弾体。

  朝日を背後にするという、古典的な奇襲法。


それはまたたきの間にこちらを通過すると、そのまま西の雲へと消えていく。


「――つう……!?」

「グワッ!!」


さきほどからこの攻撃の繰り返しだ。

リンドヴルムは直感、あるいは霊感で軌道を予測し体を逸しているが、攻撃のたびに体が削られていく。


体のウロコはこそげ落ち、まるで耕されたような痕がいくつもいくつも。

風竜の突進攻撃は、まるで削岩機ドリルが高速で突っ込んでくるかのようだった。


それか新幹線か。

あれも生身でぶつかった場合、体が粉々になるという。


「キミのペット、その形を得てろくな時間も経てないクセにずいぶんお利口だね」


雲の中から、だいぶ離れているだろうに不思議とよく通る涼しげな声。

そして声とともに、前方の雲がさーっとかき消えていく。

晴れたさきには青年の姿。


「そんなにコロコロ姿を変えて、ずいぶんと忙しいんだな」

「ああ、僕はニンゲンは嫌いだけど見た目はこちらのほうが気に入ってるからね。もちろん異性の好みもさ」


声と同じく、涼しげな顔でほほ笑む青年。

リディアの連れたる死神イクリプスがダウナー系の美青年だとしたら、こちらはアッパー系だな。おもにクスリでもやってそうだという意味で。


「……だったら、滅んだら困るんじゃないか?」

「いやいや、3000年も抱いてたらさすがに飽きがくるよ。それに、なにもすべて絶滅させたいわけじゃないし」

「……?」


「2年前、交易都市へ送り込んだ魔女の冬、あれは僕の協力がないと不可能だ。【黒森】を大きくまたいで冬をお届け。さすがのクモちゃんも、超高度を迂回する気流には糸が届かないしね。

 でもそれが計算外だったな。あのまま、まーーっすぐ下にラインを引いてくれたら僕としても勇者としてもわりと妥当な感じだったのに。

 まあ考えたら当たり前だよね、迂回するぶん無駄な道草になるわけだし」

「……。」


脳内で地図を開く。

2年前に交易都市へ迫った冬の領域。もしあれがそのまま真っすぐ南下し、海へと到達したらどうなるか。

西方諸国は東西に分断され、西には自由都市、湾口都市、そして北方に城塞都市と境界都市が残る。

もちろん、2年前にはラビット達、そしてまれびと達の村があったフローレス島も……。


そうして気がついた。2年前に彼がなにをしたかったのかを。


「世界を分断して、東のニンゲンだけ滅ぼすつもりだったのか?」

「――ご明察。やっぱりまれびとは察しがいいね」


こちらを褒めておきながら、なお小馬鹿にするような気配があたりに満ちる。


「まあ王族の禁猟区みたいなもんだよね? それかニンゲン保護区? それか……ぷぷっ! ニンゲン公園かな!? 

 キミらの世界にはあるんだろ、天然記念物がどーたらで上から目線で保護してやるぞってでっかい公園が! そう、それが近いかもね!」


ケラケラと子どものように笑う青年を無視し、切り取られたIFの大陸図を眺める。

西に残された各都市……、


ラビット達はいわずもがな。

彼らはまれびと狩りはせず、むしろ歓迎する。


自由都市は、ラビット達にまれびとを引き渡す。

まったく私刑リンチが起こらないとは言い切れないが、街としてはまれびと狩りは禁止だ。


湾口都市は、まれびとであるセレスの支配下。

その状態が健全だとは言えないが、当然まれびと狩りは行われない。


城塞都市、境界都市にはまれびと狩りはあったはずだ。

となると、大陸の東側を滅ぼしたあとで手をつけるつもりだったのか。


そうなれば、たしかにこの世界からまれびと狩りを無くすことができる。


「…………。」


脳内の大陸図で、あり得た未来を想像する。

交易都市をぶった切るように真っ直ぐに、真っ白に引かれた魔女のライン。

そのラインから東では、すべてのニンゲンの街と村が滅ぼされ、ひたすら赤茶けた大地と煙が広がっている。


炎と灰、煙。血の焼ける臭い。

死体、死体、死体の山。


すべて体験したかのように想像できる。


であればそれはかつて成し得たことなのだろう。

無邪気に笑う彼の顔も思い出せる。


「……狂ってる。そんなことをして、残された自由都市や周辺の村々が、そのままでいられるとでも? 魔女の領域が大陸を分断し、孤島のように残されたその世界で?」

「だからいいんじゃないか!」


音程の外れた、耳障りな青年の声が響く。

まるでオペラのホールのように、その声は反響していく。


「綺麗事でやってきた連中がそのときどんな景色を見せてくれるのか!? 混沌! 狂乱! まれびと虐殺導入しちゃう!? 溜まった鬱憤ぶちまけてみる!?

 いずれにしろ、どんな自由な風が吹き荒れるのか、僕はそれが見たかった!」


大空に手を広げ、拍手喝采を浴びたかのようにポーズを決める風竜。

朝日をキラキラと浴びたその姿は、秀麗でありながら極めて醜悪であった。


「……勇者はどうなる」


「うーん、僕の見立てだとより張り切っちゃうんじゃないかな? 信じてた都市なのに! 裏切られた! あんまりだ! 

 彼、あんまり回りくどい殺し方はせずにスパッといく主義なんだけど、新しい趣味……たとえば拷問とか初めちゃったり?

 なんにしろ新生勇者って感じで僕は楽しみにしてたんだけど、まあそれも2年前の話だしね。ラビットほとんど滅んじゃったし。勇者もすっぱり幼稚な計画は捨て去ったし。今は別の意味で完全体かな」

「……。」


どうやら俺の質問は、このイカレトカゲには通じなかったようだ。

どうなる? とは仲間として彼の気持ちは考えないのかという意味で問うた。


だが、もとより会話が成立する相手ではなかったようだ。

長々とひとり言をつぶやくのは好きみたいだが。


「まあ、今のニンゲンはそもそもこの世界のイレギュラーだしね。

 ……黒森も、死神も、魔王も、精霊……ひいては世界の防衛機能だと僕は思うんだよね。彼らがいなければ今ごろ【精霊大陸】はヒトどもに蹂躙されてるだろ。

 そんなおぞましい光景は見たくない。

 まあ、あのクモちゃんは呼び込まれてからむしろ親分気取りだけど……」

「……ちょっとまて」


今なにか、変なことを言わなかったかこいつは。


「ニンゲンがイレギュラー……? しかも今のって、いったいどういう……」

「ああ、やっぱり知らなかったかそりゃそうか。アスタルテも大昔はニンゲンなんて興味なかったし、たぶん知らないだろうなぁとは思ってたけど。まっ、知ってても教えないだろうけどね!」

「……だから、それは」


「まあ一言でいうと、たしかに君たちまれびとは侵略者って話さ!」

「……?」


「賢者がいっつもぶーたれてるからキミも聞いたんじゃないかな? 8000年前ごろから突然、ニンゲンが出しゃばり始めたって。

 そりゃそうだ。突然車輪だのなんだの、文化レベルが引き上がったわけだし」


突然、出しゃばり始めた……突然、車輪だの文化レベルが引き上げられた……。


文化や文明、生物の勢力圏というのは段階を踏む。

徐々にじょじょに、一歩ずつ確実に。

通常そうなるはずのそれが、そうならなかったとしたら……。


「……!?」


「おっ、その顔は気付いたって感じだね! そう、この世界の元々の、ようやく文化らしきものが出来始めたころのニンゲンたちは、それより文明の進んだ異世界からの侵略者に虐殺されちゃったのさ!」


パン! と大仰に風竜が手を叩く。


「まさに紛れ人まれびと

 たぶんきっかけはキミらの世界の魔術儀式なのかな? 神話時代なら魔力も潤沢だし、神官だの生贄だのいろいろあるんじゃない? 僕はそちらの世界を知らないから憶測だけど」

「……つまり、」


「そう。いまこの大陸に蔓延るニンゲンどもは、もとを辿ればすべてまれびとなわけさ! だからまれびと狩りだって、言ってみれば同族殺し。ほんと笑っちゃうよね!

 まあ8000年も経てばノーカンって考えもあるかも。でもキミらあれだよね。この世界の元々のニンゲンに比べて、だいぶ凶暴だよね。そこらへんは先代風竜から聞いた話だから実感ないけどさ!」

「……。」


「まー、僕としてはまったりなままの本来の住人を眺めているよりかは、キミたちみたいな気性の激しい連中を観察してるほうが飽きないからいいんだけど!

 長々見てきたけどさ、キミら……戦ったり痛めつけたり、ぶっ殺したりぶち犯したり、ほんと大の大好きだよね!」

「……勇者は、勇者は知ってるのか」


「もちろん、まだ教えてないよ」


満面の笑みを浮かべる風竜。

秀麗な仮面がひび割れるほど、口元が左右にぱっくりと開かれる。


「お楽しみはとっておくほうなんだ」


「最後に、すべて成したあと……それを明かしたら彼はどうなるか?

 ぶっ壊れるのか、それともなんともないのか。

 僕はそれが楽しみで仕方がない、仕方がないんだよ」

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