第228話 「『詰み』」

「――氷の魔女の領域……なぜ!?」


そうしている間にも、季節が、色が、書き換えられていく。

今はもう、北方をのぞむ景色の半分は白き冬に侵食されている。


「風竜! 貴様、竜としての矜持きょうじを捨てたか!? それとも狂い、世界を滅ぼすのが目的か!?」

「いやいや、そんなことはないよ。いくら風竜たる僕でもそこまでぶっ飛んだことはしない」


吠えるアスタルテに、へらへらと笑う風竜。


……帝国北部の山脈は現在チカラを失い、代わりにあの青年の操る風で冬を押し留めていたはずだ。

だがいまのやり取り、そしてなにより眼下に広がる光景。


――間違いない、風竜は『氷の領域』の防御を放棄したのだ。

しかも、アスタルテに気付かれることなく巧妙に。


「師匠! 師匠の炎なら止められるのでは!?」


ぐんぐんと南下する白い景色をにらみながらイリムが俺の手をつかむ。しかし、直接目にしてわかった。アレは俺では止められない。


以前交易都市で押し返したモノとは範囲も、格も違いすぎる。アスタルテの山脈に分断された残りカスとは比べものにならない。


「…………。」


時間稼ぎぐらいなら、できるかもしれない。1時間か、2時間か。その間に皆をリンドヴルムに乗せ、できるだけ南西に、遠くへ……、


「弟子よ、それはならん。それは詰みじゃ」

「えっ」


師であるアスタルテからの声。

俺をチラと見やり、確固とした意思で言葉を続けた。


「魔女を倒せるはこの世界でただひとり。炎に愛されし精霊術師だけじゃ。

 ――おぬしは、死んではならん」


そうして、アスタルテはしゃがみ込み、両の手のひらを地面へと押し付けた。

その仕草は、まるで大地へむけて祈るかのようにもみえた。


「――あとは任せたぞ、我の自慢の弟子よ」


直後、まさしく魔法としか呼べない現象が【古戦場】を、そして帝国軍の群れを襲った。


------------


大地が割れる。裂ける。砕け散る。

そして隆起し、盛り上がり、屹立きつりつする。


何が起きているか。


端的シンプルにいえば、山脈が凄まじい速度で形成されていた。

みるみる山は高さを増し、砂煙を上げながら上へ上へと伸びてゆく。

本来、数万年数億年でおこなわれるべきそれが、秒の早さで成されてゆく。


……気付けば、東西をぶった切るように一直線、巨大な山脈が形成されていた。

北より迫る死の領域から、人界を護る防壁として。


「……アスタルテ?」


だが、その奇跡を成したまさしく【四方】は、地面にうずくまり丸まっていた。

呼吸も、鼓動も、まさしく停止寸前である。


「――アスタルテ!! おいっ……」


俺がかけた声は、肉で肉を叩く音によってかき消された。

風竜とよばれる青年が、土竜の少女を蹴り飛ばした音によって。


「アスタルテさま!!」


どちゃりと地面に叩きつけられた彼女に、みけが駆け寄る。

そのふたりをまとめて焼き払わんと風竜が放った紫電を『歪曲』でそらす。


「なーんだ、邪魔な横槍だねぇ」

「みけ、アスタルテは?」


風竜のつぶやきを無視し、師の安否を問う。

しかしみけの声は暗かった。


「生きてはいます! ……でも、でもっ!!」

「わかった」


みけとアスタルテを守るように、一歩まえへ出る。

黒杖を風竜へ突きつけ、意識を切り替える。

そんな俺をたいして気にせず、風竜はへらへらと仲間である勇者に声をかけた。


「ねえ、僕の言ったとおりになったろ。彼女はヒトを見捨てない。だから必ずアレをやる。自身の存在を削ろうともアレをやる。そしてその結果は……」

「婆さんはこれで脱落ってわけだ」


勇者が事実を確認するようにそう言った。それに対して賢者は「まったく、古代竜のくせに頭は悪いのね」とせせら笑った。


「いや、そうでもない。さすが竜骨のジイさんを抜いた四竜の長だ。あの状況で的確ともいえる」

「?」

「帝国軍の奥でなく、彼らの真下から山脈を突き上げただろ。あれはヒト族をひとりでも多く護るためさ」

「……ああ、なるほど」


風竜と賢者が納得したことは、俺の疑問にも答えていた。

なぜ帝国軍を守るように山脈を敷かず、彼らをはんば見捨てたのか。


あの山脈より北はすでに死地。氷の魔女の領域であり、白き永遠の停滞であり、つまりは……


「帝国は滅んだのか」

「そうだね、よかったじゃん炎の悪魔! キミらまれびとからすればさぁ!!」

「……。」


つまり、そうなったとき残された帝国軍がどんな行動をとるか。

武器を捨てただただ放心するか、または狂うか。


後者の場合、意味もなく意義もない戦いが始まり、帝国軍も王国軍も血みどろの殺し合いとなる。

『核熱』による制止も効かないだろう。


だからこそアスタルテは、帝国軍を呑み込むよう、彼らが半壊するよう山脈を敷いたのだ。

ひとりでも多くのニンゲンが助かるように。

その決断を、2000年以上ヒト族を護ってきたアスタルテは瞬時に下した。

恐らくは、断腸の思いで。


そんなアスタルテの想いをあざ笑うかのように、風竜は笑顔を絶やさず、浮かれたように言葉を続ける。


「でもさ、でもさ……我ながらここまで上手くいくとはね!」

「私の隠蔽や作戦もあるでしょ」

「そうだね賢者、それは認める。やっかいで邪魔くさい帝国を落として、同じく邪魔くさくて偉ぶってる土竜のババアを落として、まさに一石二鳥。残るは雑魚だ」


「……それはどうかな」

「……師匠」


『俯瞰』を密にし、風竜、勇者、賢者の動きをミリレベルで監視する。

仲間たちも、すでに陣形を整えている。

ここから先は、いつ戦闘になってもおかしくない。


……そうしてわかった。風竜と呼ばれる青年が、笑いを必死にこらえているのが。しかもそれは、すぐにも決壊するのだと。


そうして、壊れたスピーカーから音が爆発した。

明確なあざけりと蔑みと愉悦をともなって。


「アハハハッ、クハハハハッ!! 死ぃーんだ死んだ! たっくさん死んだ!! ねえ、たくさん死んだよねぇ!!」

「……。」


「どれぐらいだろ、どれぐらいだろねぇ……僕は計算苦手なんだけど、この汚れた大陸に蔓延るニンゲンの領域は大まかに【帝国】【王国】【西方諸国】だろ!」

「…………。」


「そのうち【帝国】がまるごと魔女に喰われた! アヒヒッ!! つまりつまりさっ、三分の一税のお取り立てってもんさ!!」

「……………。」


「なあ、炎の悪魔! むしろ僕らにお礼を言うべきじゃないかなぁ? どうもありがとう可哀想なまれびとをイジメる悪い悪い帝国を滅ぼしてくれてっ……てさぁ!?」

「……ああ、ありがとな」


「おおっ、素直だねぇ!? そうだろそうだろう、こんなに素直にお礼を言われるとはまあ僕もあんまり思ってなかったけどさぁ、でも」

「ありがとな」


「うん?」

「オマエは師とは違う。本物の偉大なる竜エンシェントドラゴンなんかじゃないって自己紹介してくれてよ」


「……へえ?」

「オマエはただのトカゲだ。綺麗なお面をかぶっちゃいるが、醜いただの爬虫類だよ」


その言葉を言い終わるやいなや、俺は空中へと投げ出されていた。

位置はすでに上空、目の前には緑の巨体。彼との間には物質化マテリアライズし多重展開した『炎の壁』。


一瞬にして竜化した風竜が、風を巻き上げながら突進してきたのだ。

つまりは、挑発は成功したということだ。


風竜の爪や牙、さらには尾を受け止め受け流しつつ思考を『加速』させる。


当初の予定では、対戦カードは違っていた。


勇者にはイリム、ザリードゥ、カシス、俺。

鉄壁のコンビネーションを誇る前衛3人に、精霊術の『秘策』で勇者の実力を大幅に削ぐつもりだった。


賢者にはユーミルとみけ。

仲間のなかで最も魔導に精通したふたりが、最高位の魔法職スペルユーザーたる『賢者』を抑え込む。


そして風竜にはアスタルテ。

これはもう、純粋に竜対竜の戦いであり明確な力量差で叩き潰すつもりだった。


だが最強の戦力たるアスタルテが脱落し、状況が変わった。

そして師は最強ゆえ、ただでは倒れなかった。


地に伏し、みけに抱きとめられながらもしっかりと作戦を伝えてきた。

俺は『俯瞰フォーサイト』で彼女の口の動きを読み、みけは直接に言われたはずだ。


「みなで時間を稼げ。我はアレを引っ張ってくる」


その言葉にみけは「私に任せてください」と力強く答えた。

つまり……それまでこのトカゲの相手は俺ということだ。

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