第219話 「ジェレマイアの赤表紙本」

※読了目安8分、長めです。


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フラメル邸の一角、ここは俺とイリムにあてがわれたいわば自室だ。

南向きの窓からは昼の光が射しこみ、すこし近づけばそこから庭園の花々を眺めることもできる。


そうして、遠くからはみけの乗り込んだゴーレムの足音。

今日も今日とて彼女はアレの操縦訓練だ。


戦いは近い。

それまでにどれだけアレを物にできるのかはわからない。

だから、彼女は必死に訓練を重ねている。


もちろん、アレの操縦自体はとても楽しそうなんだけど。


さて。

魔女との戦いの準備であるが……。


自由都市、ドワーフ島、そして交易都市とも協力は取り付けた。

城塞都市も翼竜退治で。

境界都市にはアスタルテがおもむき。


コロッセウムを抱える闘技都市はもとより傭兵や戦士のメッカであり、ふたつ返事で了承してくれた。

自由都市の領主であるカシェムとあそこの領主が古い友人なのも大きいだろう。

なんでもその昔、よく対戦カードでぶつかったそうだ。


湾口都市は残念ながらスルー。

あの街は、リディアの親友であるセレスを教祖とした『溺神できしん教』に支配されており、そこの住人は海から離れては生きられない体だそうで。


なにそれ怖い。

それとセレスはまれびとで、魔術師で、『溺神』とやらと交信できる召喚師サモナーだそうだ。


……最初聞いたときは冗談かなにかだと思ったが、現にニコラス・フラメルはあちらの世界に移り住んだ錬金術師だ。

魔力も、精霊も、あちらの世界にあることもこの目で見た。


そういうことも、あるのかもしれない。


しかし……氷の魔女を筆頭に、かつての炎の悪魔、ニンゲン狩りの勇者、湾口都市を支配したセレスといい、まれびとがこの世界の住人にとって害だというのはあながち間違いでもない。

大多数は無力な一般人とはいえ、際立って被害を与える存在がでているのも事実だ。


その一部で全体を判断されたらたまったものじゃないが……まあ、そんな事例はあちらの世界にも腐るほどある。

ここらへんは人類共通の種族特性パッシブスキルかもな。



そしてふと、もうこの世には居ないひとりのまれびとを思う。


書斎デスクに近づき、もう1年は開いていないその本を棚から引っ張り出した。


ジェレマイアの赤表紙本。

俺の十八番となった『熱杭ヒートパイル』はこれから受け継いだ。

そしてそう。

その後のほかの術式の物質化マテリアライズも、これがなければありえなかった。


「コレがなきゃ、ここまで生き抜くことはできなかっただろうな」


これを譲り受けてからずいぶん経ったものだ。

『熱杭』習得後はほとんど見ることもなくなった。


残念ながら英語はあまり得意ではないし、高校の入学前に飛んだカシスはより低い。アルマが生きていれば、もっともっと解読がすすんだのかもしれないが。


もちろん彼女はまれびとではなく当然英語も知らないが、彼女の頭脳をもってすれば俺とカシスの貧弱な知識からでも単語や文法を次々と導き出していただろう。


そうして俺はなんとはなしに、久しぶりに、その赤い表紙をめくった。

そうして目に飛び込んできたのは、すべてが理解できる文字列だった。


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「……いや、……なんだこれ?」


一瞬、文字が日本語かこの世界の共通文字に書き換わったのかと錯覚した。

しかしそうではない。

依然として、その古びた羊皮紙にのたくっているのは流暢りゅうちょうな筆記体だ。

つまり俺は習っておらず、読むのにだいぶ苦労させられたシロモノだ。


「……これは……いったい?」


まったく問題なく読みすすめることができる。

目にしたはしから意味がするすると理解できる。


ページをさらにめくる。

難解な用語で埋め尽くされ、完全にお手上げだった箇所だ。


「……なるほど」


なぜかはわからないが、俺は英語がそのまま読めるようになっていた。


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そうして俺は日が暮れてなお、読書に没頭していた。

頭上に配した『灯火』を読書灯として。


「師匠、そろそろ寝ますよ!」

「ああ、うん」

「もーーっ、ほんとに寝ますよ!」

「うん」


そうして一日読み込み、わかったことがいくつも。


魔法のことや、奇跡のこと。

氷の魔女や、黒森について。


俺が突然英語が読めるようになった答えすら書いてあった。

そして、それに従うのならば、まれびとの召喚者は……。


いちどにいろいろなことを知り、頭が痛い。

たぶん一種の興奮状態だろう。


……すこし頭を冷まそう。


寝息をたてるイリムの隣に潜り込み、目を閉じると、不思議とすぐに睡魔はやってきてくれた。

なんだかんだ、ぶっ通しの読書で疲れていたのだろう。


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昨日わかったもののうち、すぐさま役立つ知識……すなわち戦闘にかかわる所を思い返す。


●赤表紙本からの抜粋


炎は『運動』『加速』『エネルギーを与える』

氷は『停滞』『減速』『エネルギー奪う』


つまり、氷の魔女の能力には『冷気』や『氷』など氷使いが使いそうなもの以外にも、これらが含まれる可能性がある。

げんに、あの【冬の領域】をひとことで表すなら『永遠に停滞した世界』である。


そして逆に俺のほうは、炎の記述のうち『加速』に心当たりがある。


フジヤマのすそ野で、ニコラスの腕を奪ったあの一撃を行使したときだ。


至近の彼へむけ全力の『熱杭ヒートパイル』をぶち込み、コンマ以下で相手の『転移ワープ』を阻止し、そしてさらにギリギリで『歪曲』による軌道修正。

考えてみれば、あんな短い間にあれだけ考えたり、術を行使するのは不可能だ。


俯瞰フォーサイト』時の思考が加速したかのような感覚はもしかすると……。


身体の加速だと壊れてしまうので無意識的にセーブし、思考の加速だけは耐えられるギリギリまで回転クロックを上げていたのかもしれない。


「よし」


あとで意識的に試してみよう。

『俯瞰』『歪曲』ともに試してみたい技もあり、それとの相性も抜群にいいはずだ。


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そして……『転移門』


あの巨大鏡はラザラス邸に設置した『帰還』の扉をくぐれないので、物理的にこちらまで運び込んだ。


当初はリンドヴルムで運ぼうと思っていたが、なんとアスタルテが直接移送してくれた。

『地脈移動』は本人だけでなく、他人や物体も運ぶことができるのだ。

ワープではないとはいえ、さすがというかなんというか……。


そうしてフラメル邸に運び込まれた『転移門』は、みけや館のメイド長であるじいやさんの手により解析がすすんだ。

もちろん、ここの膨大な蔵書が助けになったのは言うまでもない。

じいやさんもここ2年、みけに魔術や錬金術を叩き込んだ達人アデプトで、なによりアルマの先生でもある。


みけが大鏡のフチを撫でながら口を開く。


「この転移門に嵌め込まれた炉心ろしんでは、『空間転移』の門を開けるのが限界ですね」


それから彼女は、首元の白いブローチを手のひらへ。


「そして、規格外の魔力炉であるこの『白い賢者の石アルベドストーン』と、さらにそれに比肩する規格外の精霊力チカラがあれば『異世界転移』の門を開くことが可能です」

「……。」


「師匠さんレベルの使い手であれば、そう遠くないうちに……火精と風精のチカラをあれだけ汲み上げられるあなたなら……ええ」

「……そうか」


実験はいくども必要だし、危険な要素も多々あるのだが、恐らくは……と。




それからひと月……大司祭イスカリオテやレーテを筆頭とする【西方教会】や、自由都市の領主カシェムの助けもあって大陸の西はまとまりつつあった。


西方教会はまれびとの調査・研究を目的として即刻の処刑は行わない……どころかその処理をフラメル家に依頼してきた。


「大陸有数の錬金術の名家であるフラメルなら、安心して任せられます」と。


事情を知っているレーテは納得できるのだが、大司祭も署名済みなのは驚いた。


まあ、彼とは何度か話していて頭のいい、というかずいぶん合理的な解釈をする人だったので、驚異を正確に分析して解明したいとか、そういうやつだろう。

もちろん、罠の可能性もあるため今まで以上に慎重に【開拓村】を運営していかなければならないが。


新技も、かなりモノに出来てきた。

何度もイリムやカシス、ザリードゥと手合わせし徹底的に。


『転移門』の解析や実験もすすみ、2度ほど「どこか」と繋がった。

ひどく不安定で、まだいろいろと改良が必要ではあるが、着々と、少しずつ前進している実感がある。


開拓村の人々や、それにそう。

カシスを帰すという目的も絵空事ではなくなってきた。



そうして、

そうして。


物事が順調なときほど、唐突にそれは起こる。

あるいは平和で安全な時間が長ければ長いほど。


それは2年前のフローレス島でもそうだったし、思えば初めてのまれびと狩りの夜もそうだったろう。


今はあちらの世界でいう6月で、魔女へ挑むのは8月と決めていた。

もっとも炎のチカラが増し、もっとも氷のチカラが弱る季節に【冬の領域】へと宣戦布告する。


だが、それを目の前に控え、別の宣戦布告が訪れてしまった。



「――師匠さん!!」


フラメル邸の裏庭で訓練に励んでいると、開拓村のほうからコバヤシさんが駆けてきた。

カシスに告白し盛大にフラれた彼は、今や村の頼れる戦士のひとりだ。


現に、彼は馬ではなく走ってここまでやってきた。

なぜか。

全速力だと馬より速いからだ。


「――ハアッ、ハア……!!」

「そんな急いで……何があった?」


「王国支部と、辺境の街から伝令です……帝国が……帝国が……ゲホッ、ゲホッ!!」

「おいっ、ほんとに大丈夫か!?」


体にムチを振り走ってきた結果だろう、汗を滝のように流しながら咳き込む彼の背中をさする。

そうして、彼は言葉の続きを口にした。



「帝国が……王国に宣戦布告しました」

「――なっ!?」


それからコバヤシさんは、言いにくいこと絞り出すようにそれを伝えた。


「そして……その戦いに勇者も加わると……いえ、むしろ先導しているのは勇者そのひとだと」



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TIPS『赤表紙本からの抜粋』


●異世界召喚について


ある世界からある世界に対象を移送する場合、その使い手の存在が基点、アンカーの役割を果たす。

そして移送対象は多少なりその存在に影響を受ける。


特に、理解、意思疎通の要たる言語が顕著けんちょである。

ことば、名前こそ存在を確立させるゆえに。


私の知る限り、異人まれびとはほとんどがこの世界の言葉を理解し、しかし文字は理解していない。

つまり、召喚者もそうである可能性が高い。


仮に私が誰かを召喚したり転移させた場合、その者も英語の読み書きができるようになるだろう。

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