境界都市小話「かつて牛呼びの歌声」

「あの歌も懐かしいのう」


現在アスタルテは交易都市より北西、エルフの森との境にある境界都市を小高い丘から見下ろしていた。


ざらっと広大にしてなだらかな牧草地帯が広がり、そこかしこから牛呼びの歌声、カウニングが響いている。

あれはこの地方の伝統技能であり、ああして独特の高い歌声で遠くまで声を届け、あちこちに散った牛たちを集める。


昔は、こうしたささやかな暮らし……牛を育て、時には西森のエルフたちから知恵を借り、静かに静かに時を刻んでいた


「……して、しばらく見んうちにようデカくなったもんじゃ」


彼女の視線が、緑の海原の中央に浮かんだ茶色の都市に移った。

西森の強い木材により、塔のような建物がいくつもいくつも。

それが、少しのスキマも許さぬようにとびっしりと乱立している。


もしまれびとである師匠が見ればこう言うだろう。

まるで木製の九龍クーロン城だと。


あれなるはこの大陸最新の、木材輸出都市である。

上のハイエルフが去り、力持たぬ下のローエルフのみが残った西森は、即座に彼らの金脈と化した。

なぎ倒され運び出された木々のぶん、あの街は潤った。

強く、古く、ときに魔法さえ宿した貴重な木材は、驚くほどの値段で、飛ぶように売れるのだ。


今回の彼女の仕事は、ニンゲンとエルフとの境界やくそくであった『境界都市』と、西森に残った……いや取り残されたローエルフとの調停である。


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「ややっ、これはこれは高貴なる土のアスタルテ様!」


アスタルテが通されたのは木製の都市ではなく、そこからだいぶ離れたお屋敷であった。

この区画だけ、たっぷりと土地を使った豪華な平屋が10件ほど連なっている。

柱、扉、置かれた家具にいたるまでとても細やかな装飾そうしょくが施されている。


「その柱の紋様、懐かしいの」

「ああっ……さすがは長命にして教養ある本物のハイエルフでありますな! あれは500年前の様式を職人に蘇らせ……」


楽しそうに自己紹介じまんばなしを始めた市長の言葉を聞き流し、紋といえば……とアスタルテは弟子のことを思い出していた。


封印紋。


彼は、彼女が掛けたくさびをあっさりと解除していた。

危機に対して、みずからそれを乗り越えたのだ。

生き残るため、仲間を助けるため、この【四方】アスタルテのいいつけを破ったのだ。この【四方】アスタルテの『封印紋』を破ってみせたのだ。


「……ふっ」


それがなんとも、彼女には好ましかった。

最初の出会いたる洞窟の母のように、その息子のように、そしてあの弟子まれびとのように。

ヒトが強く戦い生きようとする在り方が。


「……で、ですね。私達もなにも西森を狩り尽くそうというわけじゃない。目的は真にひとつ、西方への脱出です」

「ほうか」


無駄話がおわり、ようやく議題に入ったようなので耳を傾ける。

木々を狩るのは、ハイエルフだけが知る『外海を渡れる船』の秘密を探るためだと。


調べ、実験し、……そしてこちらが本命だろうが、これ以上西森を冒されたくなかったら『船の秘密』を教えてくれと。


「ずいぶん強硬な手できたもんじゃの」

「へえ、我々も【氷の魔女】に殺されたくはないですからねぇ。ハイエルフ様のように、こんな大陸からはおさらばしたいのです」

「ほうか」


目の前の……この街を牛耳る十人委員会の男と目が合う。

その眼には不思議な輝きがかすかに。

アレは、エルフの血を引くものだけが持つ輝きだ。


「ぬしらハーフエルフの末裔も変わったの」

「いえいえ、街のために身を粉にして働いているだけです。祖父たちのようにただ牛を放ち呑気に歌を歌っている時代は過ぎたのです」


そう。

この街の支配者層【十人委員会】はすべて、西森のエルフの血をはるか昔に継いだハーフエルフの血筋である。

ヒトとエルフの境である境界都市の長にふさわしい、と500年前からの習わしである。


「して、逃げるぬしらを助けて我らにどんな得がある? 北との戦いになにができる?」

「西森の木々は冷気に強い。霊樹クラスならよりいっそう。……それで作られた盾をかなりの数用意できるかと。それにすべての者が逃げられるわけじゃない。

 残った貧民……いや失礼。市民が戦士として戦ってくれるでしょう」

「……ほうか」


「それにいまだ草原暮らしの野人どもなら体力が有り余っているでしょうし、算術木工ができずとも兵士としてなら優秀かと」

「……ま、優秀であれば欲しいかの」


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それからアスタルテは西森におもむき、ローエルフと話し合った。

若き彼らは外海を渡れる『船の秘密』を知らない。


ゆえに、伐採を止めることができず、交渉もできない。

ゆえに、あとはもう実力行使のみ……と考えていた。


「境界都市がいまや木こりの街になっている以上、突然止めるのは不可能じゃろて。少しずつ変えてもらうよりほかない」

「しかしっ……アスタルテ様」

「それにこのまま揉めとったら森もなんも冬に呑まれて終わりじゃ。また境を作り、また協力せんといかん」

「いまさら上手くいくのでしょうか? 特にあの【十人委員会】と交渉なんて」

「……まあ、欲しがっているモノを与えればよい」


アスタルテは知っている。

古のハイエルフのみが知る『船の秘密』を。


この大陸で最も古いこの森の、樹齢が8000を越えた大霊樹のみで造った船だけが、外海の劣った化け物を寄せ付けず、風も潮も無視して西へと進み続ける。

もし手すりの一部ですら格の低い木材が使われようものなら意味を成さないその魔法。


そしてこの森にはもう、船一隻ぶんしかそんな大樹は残っていない。

西へ去ったハイエルフ達が、ほとんど狩り尽くしてしまったのだ。


それはある種の宣言ですらあったのだろう。

すなわち、もうこの大陸は見捨てた、残りのエルフは見捨てたという……。


「あの件がなければ、賢者の娘っ子ももう少し丸かったろうに」


そう呟いたアスタルテの背後から、4人の少年少女が声をかけてきた。


「アスタルテのばーちゃん、調べてきたぞ!」

「ほうか。さすが仕事が早いの……つかばーちゃんは止めてくれんかの」

「ごっ、ごめんばーちゃん!」

「……。」


素直に頭を下げる少年少女たち。

彼らは水竜たるアナトがヒト族と交わって産んだ子どもであり、彼女の『魅了』の魔力を受け継いでいる。


今回の依頼において、久しぶりに訪れた境界都市の調査にうってつけだろうと呼び寄せたのだ。

聞き込みに『魅了』がどれだけ役に立つかは言うまでもない。


「してどうじゃった」

「うん、ばーちゃんの予想通りだったぜ、ひでぇもんだ十人委員会ってのは!」

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