交易都市小話 「中世お風呂事情」

※短めです。


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次の日も、一日休みを取ろうという話になった。


予定ではここより北西の境界都市、そして北の城塞じょうさい都市と約束と取り付けるつもりだったが、北西にはアスタルテがおもむくとのこと。


エルフの故郷である西森に隣接する、まさしくニンゲンとエルフとの境に位置するかの都市。

交渉には、表向きはハイエルフの彼女が適任だろうと自ら買ってでたのだ。


そうして空いた数日、その分の一日を自由行動にあてようと。


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「いやー【御使い】さまにこんな仕事を頼んじゃってすいませんなぁ」

「や、ちょうど暇を持て余していたんで」


ここは交易都市に点在する物のなかで、もっとも大きく立派な風呂屋である。


ほとんどの大都市は、古代の地下設備たる下水道を流用しているため、衛生レベルが高い。

衛生レベルが高いと自然に衛生意識も高まり、結果的にこの世界の都市住民はきちんと風呂に入る習慣がある。


ものぐさな者でも3日に1回、そして毎日入る者も珍しくない。

スラムの住人や乞食ペガーにすら、教会の救貧院がもうけた風呂がだいたい週1でひらかれている。


なんでも教会では、神に祈るときは体もキレイなほうがいいよと教えているそうだ。

たまにはマシなことを説いているようだね。


だが、衛生意識の高い都市住民からすると困ったことが先日起きた。

この街の風呂屋は主に、北東部の森林地帯から輸入する木材に頼っているのだが、その輸送隊が氷のワイバーンに襲われ壊滅。

翼竜ワイバーンの群れ自体はたまたま通りがかった魔法使いにより退治されたそうだが、道の復旧と馬車や人の手配に時間がかかる。


今日明日と火を維持するための燃料が足りない事態におちいった。

そうして白羽の矢が立ったのが、先日派手に技を見せた【炎の御使い】であるというわけだ。


「ささっ、どうぞ一杯」

「や、すいません」


風呂屋の主人から、差し入れだろう冷えたワインを受け取る。

ちなみに『俯瞰フォーサイト』で見張っていたので毒入りの心配はない。


くいっと一口、転がすように舌で味わう。

その味で、この風呂屋が儲かっているのがよくわかった。


ボイラー室には炉が8つもあり、さきほど回ったどの風呂屋よりも多い。


今はすべての炉に『炎』が配置されている。

というか交易都市のすべての風呂屋の炉に『炎』を入れ終わったところだ。


『俯瞰』で見つけたはしから『炎』を入れて横着おうちゃくしようかとも思ったが、しっかり歩いて訪ねてから火入れを行った。


『俯瞰』はできれば秘密にしておきたい術式のひとつである。

無駄な使い方は避けたい。


「しっかし、輸送隊の生き残りが言うにはたいそうな魔法使いだったそうです」

「……ふむ?」

「白い翼竜に雨あられと炎をあびせて、あっというまに群れを倒しちまったとか」

「群れの数はどれぐらいで?」

「へえ、10は下らんだろうと」

「そりゃすごい」


それだけの使い手なら射撃手として即戦力だ。

冬との戦いにも参加してくれないだろうか。


「その魔法使いの名前は?」

「あー、なんでもただの通りがかりだとかで、名乗らず報酬も求めず立ち去ったそうで」

「ええっ……」


雪翼竜スノーワイバーン10匹以上というと、冒険者ギルドの依頼クエストでいえば上級……いや特級相当。

それもしっかり人数や魔法職スペルユーザーがそろっていてだ。


その報酬を独り占めできれば相当な金額になると思うのだが……欲がないのか、それとも本人からしたら金を取るほどのことではないのか。

いずれにしろ、名前ぐらいは知りたかったな。


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それから風呂屋の主人は去り、俺はさてどうしようかと手持ち無沙汰。

街中の風呂屋から貰った報酬は予想より高かった。

2日分の薪代は、存外カネがかかるようだ。


……いずれ冒険者を引退したら、風呂屋でボロ儲けもアリなのでは?

より大量の湯をタダで沸かして、巨大なお風呂テーマパークで……と妄想を広げていた矢先、見知った声が聞こえてきた。


「イリムちゃん、こっちこっち」とカシスの声。

「お姉ちゃん、さすが西方諸国最大の街、交易都市ですね! お風呂もでっかいです」とはしゃぐみけの声。


声はボイラー室の炉が並ぶ面の右手、そこの壁に掛かる茶色の布地の裏から。


「……?」


掛けていたイスから立ち上がり、布地をめくる。

そこには小さな亀裂があり、向こうを覗くことができる。


「…………?」


人間には好奇心というものが備わっている。

未知なるもの、不思議なもの、正体のわからぬものを知りたい、理解わかりたいという本能だ。

コレが人と猿を分かつ最大の特徴であり、進化にもっとも貢献こうけんしたモノだ。


つまりは、人間が持つ至極当然な本能として俺はその亀裂を覗き込んだ。

つまりは、俺はまったく悪くない。


そうしてその先には、旅の仲間が楽しく休日を過ごしている姿があった。

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