第193話 「往きて帰りて……」

酔い、吐き気、頭痛。

とにかく気分が悪い。


俺はえづきつつ、地面に倒れ込んだ。

気付けば、みけをなんとか抱えつつ。


「――ハアッ、ハアッ……!!」


たまらず、腹の中身を嘔吐おうとした。

目の前のやけに黒々とした、石だらけの砂場のような大地にかすかに吐瀉物としゃぶつを吐き出す。


幸い、ダンジョン攻略中は体の動きが鈍るため食事は最小限。

おかげでこの醜態しゅうたいも最小限で……、


「やってくれたね、キミ」


右から男の言葉……と同時に体を衝撃が貫いた。

脇腹に抉るような衝撃と、ついで体がふっ飛ばされる。


「――――ガッ!!」

「……きゃっ!」


なんとかみけを守りつつ、空中を滑る自分の体、そして着地点を予測する。

精霊を励起れいき、空間を『歪曲』、地面に叩きつけられることのないよう……。


「?」


なにか、一瞬精霊たちとのリンクに違和感を感じたが、なんとか『歪曲』に成功する。

ふわりと体が反転し、多少バランスを崩しながらだが両足でしっかと大地を踏みしめる。


「……ふむふむ。すごいなキミは。魔法もなしに……いや、なるほど」

「……なんだよ」


脇腹への痛みは、身につけたミスリルの鎖かたびらのおかげが致命傷にはほど遠く、せいぜい殴りつけられた程度だ。

もちろん、魔道具アーティファクトの護りが多重なのもあるだろう。


そうして、立ち上がり、20メートルほど離れたフラメルを睨む。

ここはどこかの山の中腹だろうか、足元には黒い火山岩のような砂礫されき

風がびゅうびゅうと吹き付け、彼の背後には巨大な山、そして頭上には雲に覆われた夜空が。


「……師匠さん、あの……アレはなんですか?」

「みけ?」


後ろから、みけに服を掴まれている。

その布地越しに、彼女の手が小刻みに震えているのが伝わる。


「……アレって」


振り返り、彼女が目にしたもの……いや光景が飛び込んでくる。


眼下に広がる広大な景色。

ところどころに街々の眩いばかりの明かり、それらを血管のようにつなぐ道には、移動するたくさんの光点。


ああ、あそこの赤い光点の群れはだいぶゆっくりだな。

たぶん渋滞でもしているのか。

子どもの頃にはアレが、有名なアニメ映画でみた巨大なダンゴムシの、怒れる赤い眼と重なったものだ。


「――ハッ、まじかよ」

「……師匠さん、その……これが【まれびとの世界】ですか」


そう。

そうだろうな。

あの人工の輝きも、吸い込む空気の匂いも、すべて五感が覚えている。

懐かしいとさえ思ってしまった。

気付けば、かすかに涙さえにじんでいる。


「ああ、みたいだな」

「こんなにも、あなたたちの世界の夜は明るいのですか?」

「いや、都会の方はこんなもんじゃない」

「……信じられません」


そう。

ここはどこかの山の、やけに見晴らしのいい中腹だ。


視界いっぱい、広角に平野が見下ろせるのでそこかしこに街の明かりが見て取れるが、ひとつのひとつの明かりの数や規模はそう多くない。田舎といってもよいだろう。


だが、異世界の……元いたあの中世ファンタジー世界に比べたら、その生まれであるみけからしたら、あり得ぬほどに明るい夜だろう。

街が、道が、光源が、そのレベルが違いすぎる。


「ひと通り、驚くのは済んだかね?」

「…………。」


見下ろす眼下の景色から振り返り、この世界へ『連れ込んだ』男へ視線を戻す。

ゆうゆうと、余裕のある表情でステッキの先端にはまる『賢者の石』をなでている。


男のすぐわきには、コンクリートでできた台座に、石版……なにかの石碑せきひだろうか。

そのとなりには石柱があり、表面には刻まれた文字。


【二ツ塚下塚(下双子山) 1,804メートル


「……。」


フタツヅカ……聞いたことのない山だな。

しかし問題は標高だ、1800メートルというとそれなりの高さだし、そのぶん空気も薄かったりなんだりだろう。

風が唸るように強いのは、精霊術師たる俺からすると僥倖ラッキーだが。


そういえば……そうか。

さきも『歪曲』は使えたし、こうして眼を開くとわかるがこの世界にも精霊は居たのか。

その数は驚くほど少ないけれど……。


「ここはどこだ? どこに俺たちを飛ばした?」

「知らないよ、キミが無理くり『転移』に巻き込んできたせいでだいぶ座標がズレた。私の工房アトリエではなく、どうやらニホンの山みたいだが」


ぐるりとニコラスも後ろを振り返る。

その先には黒い山肌がまだまだ続いており、上の方は厚い雲に閉ざされていて見えない。


そういや、木々がまったく見当たらないな。

森林限界……というやつか、この強すぎる風のせいか。


「じゃあ、キミは故郷の世界に帰れたワケだし、私は後継者を無事連れてこれたし、そろそろおいとまさせてもらうよ」

「いやアンタにはまだやることがある」

「?」


「俺とみけを、今すぐ元の世界へ帰してくれ」

「……なん……だと?」


ニコラスは驚愕きょうがくに目を見開いた。


その彼へ向けすくっと黒杖こくじょうを構える。

後ろのみけもすぐさま臨戦りんせん態勢に入る。


「聞き間違いかね、キミはいま……元の世界と?」


「ああ。俺にとって大事な場所は、仲間が待つあの世界だけだ。それに俺には、あの世界でやることがたくさんある」


「私も、こんなわけのわからないピカピカした世界はゴメンです。魔力も薄いし、体はなんだか重いし……。それにあなたの養子もゴメンです。――すぐに帰して下さい!」


アルマとみけの家系の開祖、賢者の石を持ちし錬金術師ニコラス・フラメルは、本当に、ほんとうに、ホントウに……わけがわからないという顔をした。


「そうか」


彼がそう呟くと、風も強くただでさえ低い周囲の体感温度がガクンと下がった。


肌寒い、から凍えるような。

にらむ視線も刺すような。


「確認しよう」

「……。」


「この世界では科学により魔術、ひいては魔力の取り分が損なわれ、つまりはマナが薄い」

「…………。」


「そしてヒトの力、文明の啓蒙あかりが強く、広く、蔓延まんえんし、つまりは精霊が弱い」

「………………。」


「そのうえで、無限の魔力炉たる『賢者の石』を持つこの私とやり合うと。膝をつかせ言うことを聞かせると。……そういうつもりだと認めるわけだな?」


「ああ」

「ええ!」


強く俺は答える。

もちろん背後のみけも。

ともに、同じ帰るべき場所を望む仲間として。


そんな俺たちを見る男の瞳は、もはや理解不能わからないを超えて理解拒絶わかりたくもないと告げていた。


「そうか。

 ……では、徹底的に教育してやろうじゃないか。

 至高の錬金術師、ニコラス・フラメルの実力を!」

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